夕凪プロミス

 なんてことはない、普通の日だったと思う。
 皆おそろいの大学に進学し、部活からサークルに昇格したSOS団で高校時代となんら変わりない活動を終えた、帰り道。
 下宿先のアパートが隣部屋なのは高校の時の席順と同じ原理なんだろうハルヒと並んで歩く、夕暮れの街。
「あの教授さあ、もうろくしてんじゃないかしら? もごもご小さい声で何言ってるか聞き取りずらいし、まっすぐ立てないくらいふらふらだし」
「構内では言うなよ。単位欲しかったらな」
「分かってるわよ」
 長く伸びる二人分の影絵を眺めながら、何時ものたわいのないお喋りをする。
 ハルヒは大学に来ればもっと面白いと思ったのになぁ、と枕を置いてから、そんな不満をこぼすのが日常だ。
「キョン、あんたこそ気をつけなさいよ。留年したら死刑なんだから」
「死刑って、子供かおまえは。来年で二十歳だっつうのに」
「うっさい。進歩してない子供なのはあんたでしょうが」
 そう言って、むーっと俺を睨みつける。
 そんな風に何時の間にか俺を矢面に強引に移動させるのも日常だが、酷い言い草だ。確かに成績は落第ぎりぎりだが、人間的には成長してるつもりだぞ。
「ふーん。成長ねぇ」
「文句があるなら書面で貰おう」
「嫌よ面倒くさい」 
 ふん、と息を吐いたハルヒは、
「いい? あんたってば探索の時はいっつも集合遅いし、あたしがご飯お裾分けしないと直ぐ飢え死にするだろうし、みくるちゃんに直ぐでれでれするし、部屋は汚いし、あたしが起こしてあげないと大学も遅刻するし……」
 とかなんだのと、口頭で俺の欠点を次々とあげつらえる。
 それもやけに機嫌良さそうに。
 おい、こら。俺が駄目人間で何で嬉しそうにするんだよ。
「嬉しそうになんかしてないわよ。嘆いてるじゃない」
「いいや、笑ってたね。楽しそうに」
「楽しいと嬉しいは違うのよ」
「……そうかぁ?」
「そんな事も分からないから何時までもたってもキョンはアホキョンの馬鹿キョンなのよ」
 それとエロキョンね! と満足そうに付け加えるハルヒ。
 俺がアホで馬鹿なのは自分でも認めるが、正直ここまで言われるとむっとくるぞ。
「待て。誰がエロだこの野郎。俺がおまえに何をした」
 何もしていないと神に誓っていえるので、そう反論する。
 ……いや、高校時代にキスは一回してるがな。あれは事故みたいなもんだからノーカンだ。そういうことにしろ。
「ふんだ、何よ」
 かぁ、とカラスが鳴く。
 そっぽを向いてしまったハルヒの横顔は夕陽を背負ってる事もあって、その表情を読みとることが出来ない。
 っても、どうせ不機嫌顔してるんだろうけどな。 
 そう思った俺が、やれやれと肩をすくめようとしたその時だった。

「……何もしないからあんたは大馬鹿なんでしょ」

 物憂げに、ぽつりとハルヒが囁いた。
「――は?」
 台詞にこめられた意味と全然不機嫌じゃないその声音に、俺が驚愕するのも無理がない話であり、
 さらに続いたハルヒの言葉に、
「せっかくあたしが通い妻してあげてるのに」
 驚愕に加えて唖然茫然としてしまって、
「――はえ?」
 そんな素っ頓狂な声をあげるくらいしか出来ないのも仕方ないだろう。
「何て声出してんのよ」
 ハルヒの叱責に、急な事で白鳥座のかなたに吹っ飛びそうになる意識を何とか維持する。
 それでも頭の中は暴れ馬のロデオの跳ね回りよりも混乱のきわみで、あぁ、もう、何なんだ。
 取り敢えず待て、待ってくれ、何なんだこれ。何だこの展開は。
 いや、待たなくていい。分かる。人生初体験だがこれくらいは俺でも理解できる。
 遠まわしのようで真っ向に直接的な告白だ。
 あのハルヒから俺への。
 そう分かるし理解できるんだが、えーと……何ていうかだな、
「なぁ、ハルヒ」
「……なぁによ」
 こういう時どう答えていいのかは全然分からないし、知らない。
 しかし絶対に何か返さないといけないという事だけは幾らなんでも承知であり、そういう訳なので、

「卒業したら、結婚しようか」

 ハルヒの”妻”という言葉に影響されてそんな事を思わず後先考えずにというか考える余裕なく口走ってしまい、
「……あんた、ね」
「うん」
「いきなり飛躍しすぎじゃない?」
「そうか」
「そうよ。順序ってもんがあるでしょうが」
「そうなのか」
「そうに決まってるでしょ!」
 くぉの超馬鹿キョンが! と、そっぽを向いたままどやされてしまった。
 あほう、とカラスが鳴く。
 だんだん混乱が収まってきたのか、歓喜とか羞恥とかいろんな感情が湧き上がってきて--るはずなのだが、カラスの鳴き声にそうだな。アホだな、俺。うん。と変に納得する。
 まさか鳥類にまで指摘されるとはびっくりだ。人間としてどうなんだ。
 がっくりと肩を落としつつ、それでも聞いてみる。
「……で、どうなんだ」
「なにが」
「結婚、してくれるのか」
 今更だがとんでもない会話だ。だが、ここまで来たら引けない。
 ――なんで引けないかって? 
 いや、そりゃあ、決まってるだろうよ。一つしかないだろう。
「……ねぇ、キョン」
 ハルヒが今しがたの怒鳴りは何処吹く風といった様子で、振り向く。
 その顔は、半分が夕陽に照らされて真っ赤で、半分が影の所為で黒かった。
 アンバランスな色彩だというのに、それでもちっとも変だと思わない。
「何だ」
「うん。あのね、答える前に一つ聞きたいんだけど……」
 そこまで言って、ハルヒは珍しく口ごもる。
 もじもじと体を揺らせて視線をふわふわ彷徨わせて、何だか挙動不審だ。
 どうしたんだ? 聞きにくいことなのか?
「違うわよ。……えーと、あー、うー……、あ、あんたは」
「俺は?」
「その、……あたし何かで良いの?」
 そう、そんな不安顔で言われてもだな。
「こんな駄目人間好いてくれるやつ、お前ぐらいだしなぁ」
「……非常に不愉快な回答なんだけど」
「好いてる、って所は否定しないんだな」
「しないわよ。文句ある? あったら書面でちょうだいよ」
「断る。面倒くさい」
 ふん、と俺は息を吐き、
「お前はいっつも無茶ばかり言うし、雑用全部俺に押し付けるし、奢らせるし、団のみんな困らせるし、危なっかしいし、倣岸不遜だし、……他にも色々あるが、なんだ。俺はそんなお前に好かれて嬉しい」
 一気にそう言った。
 ハルヒはむっすぅとした顔でそれを聞き終えると俯いて、はぁ、と俺ばりのため息を吐いた。
 そしてゆっくりと顔をあげて、一転くしゃみが出そうなほどの明るい笑顔を浮かべる。
「決めたわ」
「うん」
「あたし、あんたと結婚してあげる」
 感謝しなさいよ!
 と、本来なら驚くべきだろうその返事を、すんなりと受け止めた。
 頭の中に溜まっていたもやもやがすぅっと晴れていく感じ。
 ふぅ、と安堵の息を吐いて、大学に入ってからというものの神聖な程に似合っているポニーテールに、本心からの賛辞を送った。
「……そうか、ありがとう」
「いいわよ、別に」
「先に謝っとく。迷惑かける、絶対」
「そうね。あたしもそう思う」
「否定しろ」
「ばっか。何言ってんのよ、この駄目亭主」
「うるせぇ鬼嫁が」
「あら。分かってんじゃない。あんた、あたしを宇宙一幸せにしないと死刑なんだから」
 道端だというのに思わず抱きしめてナニしたいような笑顔にくらっとくる。
 あー、なんだかさっきから頬が熱いなちくしょう。だけど、
「そのつもりだよ」
「つもりじゃなくて、絶対だと誓いなさいよ」
「その健やかなるときも、病めるときも,……とかいうやつか」
「それは結婚式の愛の誓いでしょうが」
 それを心地よいと感じながら、俺は歩調を緩めた。
 何だか、ずっとこのまま二人で歩いていたかった。
「ちょっと、遅いわよ」
「お前が早いんだよ」
「時間は有限なのよ? 一分一秒でも無駄にせず有効に使わないと勿体ないじゃない」
 口ではそう言うくせに、ハルヒの歩調もだんだんと緩まって、俺と同じになった。
 つめたーいつめたーい、冷やしわらびもちー、とおっさんの声が聞こえる。
 そうして、二人。宵闇が包み始めた街をゆっくり、ゆっくりと歩く。
「なぁ、ハルヒよ」
「なぁーによ」
「お前の親父さんって怖いのか」
「そうでもないわよ。残念なことに普通よ、普通。ただの野球好き」
「そうか。助かった」
「何よ根性なしね。しゃっきりしてよね。娘さんは俺が頂いた! くらい言いなさいよ」
「無茶いうな」
 どちらからともなく、手を握る。
 冷たくて小さい、とか、以外と大きいのね、とか、結婚するのに何でそんな事で驚くんだろうね。俺たちは。
「これから知っていけば良いわよ。時間はたくさん有るんだから」
「時間は有限だから無駄にしちゃいけないんじゃないのか?」
「だから一番楽しい事に使うんでしょ」
「嬉しい事言うじゃねぇか、お前」
「あたし、キョンの事好きだもん」
「恥ずかしいこと言うじゃねぇか、お前」
「今夜こそ何かしなさいよ、この甲斐性なし」
「するともさ。俺、ハルヒの事好きだから」
「……ばか」
 きゅっと、手に力がこもる。
 どちらが籠めたのか。俺か、それともハルヒか。二人ともか。
 ともかく、冷たかったハルヒの手は温くなっていて、嬉しかった。
「……」
「……」
 それきり気恥ずかしくなって、暫くを無言で歩いた。だが、ちっとも嫌じゃない。
 五分か十分か。永遠を一秒と感じながら、それだけの時が流れる。間の距離が縮まった影絵は長く、その先には曲がり道があった。
 そこを右に曲がり、高校時代を思い出す長い坂の上に俺たちの住まいはある。
 もうこんなところまで来ちまった、まぁ駅から歩いて二十分くらいだからしょうがないか、とすくめそうになる肩をけれどすくめない。
「……色々大変だな、これから」
「そうね。でも、二人なら大丈夫よ」
「そうだな。……うん、そうだ」
 そうだ。大丈夫。俺たちは大丈夫。
 なにせ今始まったばかりで――もしかしたら、あの日から既に始まっていたかもしれないけれど。
「家事は分担するんだからね」
「へいへい」
「記念日は絶対忘れないこと」
「へいへいへい」
「……浮気のうの字でもしたらどうなるか、」
「いや、それはありえない」
 ともかく確かなのは、とても幸せで――だから、この先どんな事があってもこの手を離すまいと、そんな事を考えるのだった。
 ……なんてことはないさ。
 普通に、恋をして生きて行く、たったそれだけだろ。






 関係ないが、何時もより豪華な夕食の後。
「……子供は女の子が良いからね、あたし」
 えーと、詳しくは分からないけど俺の塩梅じゃどうにもならないと思うよ、うん。つか気が早いって。
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by kyon-haru | 2006-12-14 10:28


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