ぶっちゃける。というか、もう校内中に知れわたっていると思うけれど、
あたし涼宮ハルヒはキョンが大好きだ。そりゃもう好きだ。
友達の有希もみくるちゃんもキョンが好きだ。他にも好きな女子はたくさん居るだろう。
キョンがその気になれば大奥だって作れるくらいのモテっぷりだ。
だとういうのに、そのキョンときたら――――
「おはよ、キョン」
「ん……ああ、電波か」
「……その渾名、やめてって言ってるでしょ」
「キョン呼ばわりしてくる貴様らに言われたくないね」
アリンコを踏み潰すみたいな目のキョン。
心がきりきり痛む。キョンはあたしを電波と呼ぶ。自己紹介のあれが理由らしい。
今更ながら止めておけばよかったと思う……不思議なんかより楽しい事があったのだから。
でもキョンはあたしを嫌っている……というか、興味がない。それは誰に対してもだ。
お金があれば海外の大学に10歳で飛び級入学できた、というくらいにキョンは頭が良い。
スポーツもできる。かっこいい。だけれど、天才にはつきものなのか、変わり者だ。変人だなんていうやつもいる。
”良いか電波? 未来人なんてのは量子物理学でな……”とこんこんと論破されたときに私はほれた。
それ以来冷たくされるたびにほれまくりだ。あたしはドMかもしれない。別に良い。
「あさっぱら何の用だ電波。俺は今脳内でカッシーニの金星スイングバイの軌道計算中なんだ。邪魔すんな」
「……なに、カッシーニって?」
「NASAとESAが作った土星探査機だ。そんなもんも知らんのか」
街角で立小便をする酔っ払い親父を見るような目をするキョン。
あぁ、それよ。その目よ。ンギモヂ、じゃなくて、やっぱり少しは悲しいのだ。
……けど、これくらいじゃめげない。なんとか話を――とした矢先に、邪魔が入った。
「おーっすキョン、朝から熱いねお前らは」
「……なめたこと抜かすなチャック。ぶっ殺すぞ」
「わわわ――スイマセン」
「おい、ショタ。チャック連れてさっさとうせろ」
チャック、ショタ、ていうのは……えーと、誰だっけ。
いちいち覚えてないわ。キョン以外の男のことなんて。チャックとショタでいいわ。
「谷口、行こう? こりないね君も」
ショタは泣くチャックを連れて去っていった。
谷口の分際で! などと一部の女子がゴミなどを投げつけている。あいつは谷口だったのね。
さ、これで邪魔はなくなったわ。私は席につき、キョンに話かける。
「ねぇねぇキョン。昨日みくるちゃんと一緒に帰ったでしょ? なにかあったの?」
「人の話聞いてないな電波。俺は軌道計算中だ。ていうか何で知ってんだ」
キョンはエチゼンクラゲを罵倒する漁師みたいな顔をした。
「いいじゃない。別に、ねえねえ、みくるちゃんと何かあったの?」
「はぁ……。なんでもノビタの連れのスモークチーズが俺のこと好きなんだとよ」
ノビタがみくるちゃんで、スモークチーズは鶴屋さんだ。
ちなみに有希はマグロ。どれもこれもどういう意味なのかしら。
ちなみのちなみに、古泉君は――――いえない。あたしの口からは。
「へー。鶴屋さんがねー。……で、キョン。あんたどうするのよ」
キョンは犬の糞を踏んだみたいな顔をしている。答えなんて分かりきっているけれど、一応聞いてみた。
「どうもしねぇよ。考えるだけ脳のリソースが無駄だ」
「ふーん。予想通りでつまんないわね。あとそれ、キョンの口癖よね。脳のリソースがなんとか、って」
してやったりと笑う。
「そのリソースを割いてお前と会話してやってるんだぞ、このピンク電波」
やだねやだね、と呟いてキョンは前を向いてしまった。
……毎日こんな感じだ。けれど、少しずつ前進しているようにも思う。
わたしは音も無い溜め息を吐いた。
何だかんだ言って、キョンがまともに会話する女子はあたしとみくるちゃんと有希くらいだ。
その中でもあたしが占めるウェイトは大きい。それってやっぱり、特別なのかしら。
……わかんない。話はするけど、キョンはちっとも楽しそうじゃない。
授業中もずっとキョンは退屈そうにしてる。そりゃあそうよね。
高校の授業だなんて稚拙すぎるんだ、キョンには。それは人間関係も同じ。
あたしたちみたいなオコサマから抜け出てない女には興味が無いのだろう。
だからといってキョンが大人かといえば、そうでもない部分をいくつも知ってる。
そんなところが可愛いだなんて思ってしまって、この様だ。物好きよね、あたし。
さて、よ。放課後になって、そんな物好き連中は文芸部の部室に集まった。
ノリで作ってしまい、その後もどうしてか続いているSOS団の会合である。
古泉君はバイトがあるとかなんとかで帰った。別にどうでも良いわ。
「さてみくるちゃん。昨日のこと、キリキリはいてもらいましょうか?」
「ふぇ、な、なんでしゅかぁ?」
妙な言葉づかいでとぼけようとするみくるちゃん。
目が泳いでる。……やっぱり、睨んだとおりだわ。
「鶴屋さんネタにして、キョンと二人っきりで帰ったでしょ」
「ギクぅ!」
「口に出さないでよ、しょうもない」
「はわわわわ……」
今度はしゅみましぇーん、とめそめそ。
……キョンがノビタって呼ぶ理由が分かる気がするわね。
「最低よ。友達ダシにするなんて。しかも抜け駆け――有希! 会訓その4独唱!」
「イエス、マム! SOS団会訓その4! 恋愛は正々堂々と! 裏切り者には死を。死を。死を!」
何時もはおとなしい有希だけれど、キョンの事になると熱くなる。
内臓ぶちまけるぞ! 軍人みたいな独唱の後、叫びながらみくるちゃんに牙をむくその姿は、少しキモイ。
「胸が少しデケーからって調子こいてんじゃねーよ、あばずれがっ!」
「せからしか! この骸骨女!」
そして有希が相手のときだけ性格が変わるみくるちゃんも、結構キモイ。
「二人とも、黙りなさい! 今はみくるちゃん私刑判決の最中よ!」
「ハルちょん! なに郵便貯金を略してゆうちょある事言ってんの! 会訓のとおり死刑よ!」
有希はあたしの事をハルちょんと呼ぶ。そしてみくるちゃんは「しゅじゅみやたん」と呼ぶ。なんで。なんで誰もまともに呼んでくれないの。
「とれるもんならとってみろや! 枯れ枝野郎!」
「調子のるなみくるちゃん! 裏切りには変わりないでしょ!」
「ふぇーん。しゅじゅみやたんの人でなしー! 電波女ぁ!」
「――有希」
パチン、と指を鳴らす。
「イエス、マム!」
有希は「離せ下郎!」と暴れるみくるちゃんを掃除度具箱に押し込んだ。
「やっておしまい」
「ヤー!」
あけろぉ! だせぇ! 死にたくないよぉ! キョンくぅん、うっふぅん!
と、内側からガンガン扉を叩くみくるちゃんを、掃除道具箱越しに有希はバットで殴りだす。
「巨乳にいっぱつ! デカパイにいっぱつ!」
おるるるああああああああ! がんがんがんがんがんがん!
と渾身の力で殴るその姿は、やはりキモイ。
どうして読書美少女だんて呼ばれてるのかしら。分からない。
「ぐおおっ! 干物っ、てめっ、やめろぉ! ぐおっ!」
「やかましい売春婦! 汚い体であの人に近づきやがって!」
「ぎゃぼぉ! うおっ、うるさっ、くそぉ! きたないとね! うぐっそぉ!」
めげずに中から反論するみくるちゃんも、やっぱりキモイ。
どうして美乳エンジェルだなんて呼ばれてるのかしら。まったくわからない。
……この高校の男子はアホしか居ないのかしら。
いや、まだ良い。あたしなんてキョンがつけたあだ名が伝播して一部では電波でとおってる。
むきー! あたしのことを足蹴にして良いのはキョンだけなのにぃ!
「なんかむかついてきたわ! 有希、ちょっと変わって!」
「サー、イエス、サー!」
「しゅ、しゅじゅみやたん……っ! そんなっ、女の友情はっ!?」
「裏切りものには死を、よ。みくるちゃん。あと今なんかむしゃくしゃしてんの。殴らせろノビタ」
「で、電波! きっさまぁ! って、ぎゃぼぉ!」
がごんがごんがごんがごん! と殴る。
だから電波電波言うなつってんのよ!
そんな、超がつく馬鹿騒ぎをしていた所為なんだから。絶対。ええ、そうよ。
「――うるせぇぞ電波、マグロ。ノビタ、かくれんぼなら公園でやれよ」
「だから電波って……キョンっ!」
「……っ」
「きょ、キョンくぅん!? たすけてー! たすけてー!」
めったに部活に来てくれないキョンが珍しく来てくれたのに、こんな馬鹿な姿を見せてしまったのは。
「レクリエーションか? 近代日本で似たようないじめの拷問があった気もするけど……」
うげぇ、しょうもない事思い出そうとしたら脳がぁー。
心底嫌そうな顔をして、キョンはパイプ椅子に腰掛けた。
部活に入ってる方が教師受け良いし内申あるからなぁ、という理由でキョンは部活にたまに来てくれる。
……今にして思う。あの時超強引に部活に連れ込んだのは超ファインプレーだったのよ、と。さすがあたし。
物好きトリオはあわてて対面を取り繕った。
あたしはバットをあいてる窓に向かってほうり投げ「アッー! 空から太い男根が!?」何も聞こえない。
有希は音もなくキョンの隣に座ろう――としたので、ケツを蹴っ飛ばした。
「……間違えた」
射殺すような目であたしを見た後、しぶしぶ定位置に赴き、本を取り出す。
みくるちゃんはというと、
「キョンくぅーん! でぃーぶいです。たすけてー! いじめられてましゅー!」
「知らねーよ。つーかそんな変形したドアじゃあかないっての、ノビタ」
「ええええええええええ!?」
すげなくキョンに見捨てられて、というか本気でドアが開かないらしく。
「――朝比奈みくるよりHQ! 位置情報送る! 転送求む! 現在地!」
わけわかんないこと呟いていた。
あたしよりよっぽど電波じゃないのよ。
次は水攻めにしてやるんだから、と思いつつ、あたしはキョンの隣に座った。
有希が殺人念を送ってくるけれど、無視よ。団長特権なのよ、これは。
「電波。隣の痴漢どもが騒いでたぞ。近所迷惑も2ミリくらい考えろ」
「いいのよ、あんな薄暗い気持ち悪いやつ。如何し様もないわ」
「あいつらの作ったゲームは、まぁ高校生レベルにしちゃあ普及点だったぞ」
「そうかしら? そんなに面白くなかったけど」
「お前には分からんだろうさ」
ふっふん、えへへ、と笑う。キョンから話しかけてきてくれたのが嬉しい。
痴漢ていうのは言うまでもなくパソ研につけたキョンのあだ名のことよ。
なんでもひっくるめて痴漢なんだって。最低な渾名だわ。
「キョンくぅーん! みくる特性ブレンドお茶、みくるしぼりお待たせしましたぁ!」
と。せっかく良い感じにキョンと喋っていたのに、閉じ込められてた筈のみくるちゃんが急に登場した。
いったいどうやって抜け出したのかしら。ていうか何よその嘔吐する三秒前みたいな飲みものは。
「人肌ですからぁ、のみやすいですよぉ!」
はーいどうぞー! とこれもまた何時の間にかきこんでいたメイド服で給仕する。
そして湯飲みを置くどさくさで、あからさまに故意に胸をくっつけようとする――
のだけれど、
「おいノビタ。なんだこれ。ものすげー人間の体液臭がするぞ、こら」
「ききき、気のせいでしゅう」
「とぼけんなノビスケ。何てもん飲ませようとしやがる。ぶちころすぞ」
「あひぃぃ!?」
湯飲みの中身をキョンにひっかけられて、おえっぷ! と騒ぎ出した。
なんて惨めなのかしら。次は人間フンコロガシの刑に減刑してあげましょう。
キョンはみくるちゃんに歩道にぶちまけられたゲロを見るような目を送ったあと、有希の方を向いた。
「おいマグロ。おでんが今晩はカレー以外にしないと泣かすぞとか言ってたぞ」
「ファック、と伝えて」
「んなもん自分で言え下品マグロ。同じマンションだろーが」
「イエス、マイロード」
有希は頬を染めて恭しく一礼をした。
何の意味があるのだろうか。というかなんなのよ、それ。マイロードってなによ。
あ、ちなみにおでんというのはあたしのクラスの委員長朝倉のことね。分かってると思うけど。
キョンは有希に納豆についてる薄いラップみたいな物を見るような目を向けて、振り向いた。
「おい電波よ」
「なに、なになに、キョン」
「ナニナニ言うな下品電波。――――徳利はどうした。いねぇぞ」
「……さぁ?」
徳利――古泉君の渾名。
意味を聞いてしまって、古泉君を泣かせたことがある。
キョン曰く「手加減してやった。本当はフルフェイスだ」らしい。
あまり思い出したくない。さっきの変な悲鳴と同じにして記憶の海に沈めよう。バイバイ、古泉君。
「まぁ、あんなガチホモ野郎いねぇ方が良いんだけどよ」
「……転校生じゃなかったら部活に誘ってなかったわ」
今からでも退部処分にしようかしら。
ことあるごとにキョンに迫る古泉君は、その度にギタギタにされる。
されても喜ぶだけだから、キョンにとっては天敵だ。ていうか健全な男の敵だ。
しかし、キョンときたら「退部はかわいそうだろ」だなんて言う。
優しいのか、キョンもホ――いや、優しい。そんなキョンが大好き。好き。好きよ。
「さーて、それじゃあ今日も軽くひねってやるか。電波、好きなの選べ」
割と楽しめな、あたしや有希やみくるちゃんが好きな、ご機嫌な声でキョンが言う。
キョンはボードゲームが好きだ。がたがたと取り出したのは、チェスと将棋だった。
あたしとキョンはたびたびこうして対戦する。ううん、ほぼ毎回。
いつもキョンが圧勝するけれど、たまにわざと負けてくれたりする。
あんまり負けっぱなしじゃ電波が惨めだからな。お情けだ――
そのぎこちない微笑みが、好き。
それにそういうときにかぎって、試合前にジュースを賭けようとかキョンは言う。
そしてジュースを奢ってくれる。皆に。だからそれは一種のサインだ。
……今日は負けてくれる日かしら? そうだと良いな。
「なにがひねるよ。今日こそはあたしの圧勝なんだから。チェスよ!」
「ほえてろっての。――じゃ、ジュースでも賭けるか」
部室内の空気が、一気に暖かくなった気がした。