涼宮ハルヒはしあわせ 第七話


 まるで耳の内側に心臓があるかというぐらいに、ジンジンと呼吸のたびに頭が痺れた。
 地上に溜まった人間の邪まなあらゆるものを洗い落とすように振り続ける雨の足は以前弱まらず、雷鳴は断続的に鳴り響き、突風は窓ガラスを打ち続けている。
 普段なら騒音と感じただろうそれをとても遠くに感じながら、俺たちは一秒間を永遠に引き伸ばしたような時間を抱きしめあっていた。

「――」
「……」

 会話はない。
 互いに無言で、しかしそれは話す必要もなく互いの想いを汲み取ったからで、意識せずとも体はそうしないと今すぐに死んでしまうかのような必死さで体温を共有して、まさにそうしなければ低体温で参ってしまう状況で。

「――」
「……」

 頭が痺れている。
 触れ合った時点で氷のように冷たかったハルヒの体は今は俺よりも熱くなっていて、アダージョのリズムで吐き出される吐息も同じように熱く、火傷しそうだと思わせた。

 頭が痺れるにつれて、不快とか不思議とかいう感情が消えていくのを感じている。

「……」
 暑さで頭がボケちまったのだろうか? それとも、熱さで何かが溶かされてしまったのだろうか? 
 分からない。理解できない。あんなにも嫌悪していた人間と抱き合っているというのに、今は嫌悪どころか心配するという慈愛の感情しか湧いてこなくなっている。
 その事について疑問を感じなくなっている。
 不思議だ。何が不思議かって、そういう感情が湧き上がる事の方がこそ自然であるような気がするという感覚がだ。それはつい何時間か前まではあり得なかった事だ。
 こんな怪我をさせてしまって、親御さんになんと言えば良いんだなんてことさえ俺は考えはじめている。正直合わせる顔がない。親御さんはこうなってしまった原因が俺にある事を知らないだろうが、それでも――申し訳ないと、本当に俺はそう思っている。
 そうやって頭を捻りながら自分の世界に埋没していると、ハルヒは大きな大きな熱い熱い吐息と共に、
「キョン」
「ん? ……どうした」
「あったかいね」
「……そうだな。熱いくらいだ」
 ぼんやりとした声で、儚げに体を震わせる。
「ごめんね。熱いよね」
「うん。でも、嫌じゃない」
「本当……?」
 頭の後ろを撫でてやり、俺はつとめて優しい声を出そうと努力した。その努力は実を結び、俺の声ではないんじゃないかと錯覚を覚えるほどの優しさが、その中にはあった。
「本当だ。だから、悲しい顔するなよ」
「うん。ごめんね」
「……誤らなくて良いんだぞ。こういうときはそうだな、ありがとう、だ」
「うん、うん。ありがとう。ありがとう、キョン」
 何時も何時も、とハルヒは続けた。そこにどんな意味が込められていたのか分からない自分に苛立ちを覚えながらそっと視線をずらす。
「顔色良くなったな」
「そう……? でも、まだこうしてたいわ」
「あぁ。もう少しこうしていよう」
 きゅっと小さな手が必死にしがみついてくる。紫がかった唇は既に血色を取り戻しており、顔色も幾分か良くなったようだ。
 ……それでも、怪我をして酷く弱っている事には違いない。
 何か芯から暖まるような栄養のあるものを食べさせてやりたいと自然に考えながら、……今はけれどこれくらいしか出来ないと結論を出して、世界でただ一人にだけ聞かせるために、言葉の連なりを紡いでいった。
「ねーんねん、」
 ずっと昔。もう色あせてモノクロになってしまった記憶に残る、子守唄。
 ぐずる俺を寝かしつけようと母親が優しくささやいた歌声を記憶の海から掬い上げて、指の隙間からさらさらとこぼれ落ちさせる。
「ん……」
 小さく意味のないつぶやきを漏らしたハルヒは、体から力を抜いた。
 聞こえているよ、というリアクションなんだろうか。
 そうなのかと確かめないで、俺は揺り籠のように微かにその体を揺すってやりながら、耳元に下手糞な歌を奏で続ける。

 ――お前は……良い子だ。だから、ねんねしな。

 そう。今、お前は眠るといい。
 眠って眠って目を覚ました時には、普通のお前に戻っていたら……それはどんなに尊いことだろう。
「すぅ……ふぅ」
 俺の願いが届いたのか、ハルヒはしばらくして穏やかな寝息を立て始めた。
 完全に力が抜け切った体を支えてやり、起こさないようにそっと毛布の上に戻してやる。
「……」
 寝顔を見つめて、また頭が痺れた。痺れすぎて、もう麻痺してしまったのかもしれない。
 震える指先を痛々しい痣にもっていって、再びそれに手を触れた。――途端に震えはおさまって、色んなことが「しゃん」とする。
 それでも心のどこかには相も変わらずぶちのめしたいような邪悪な気持ちがあって、そいつは気を抜けば一息に俺の全部を支配してしまいそうだ。
 くそったれが。なぁ、そう焦るなよ。俺を如何にかしたいのならすれば良い。だけどな、
「……もう、手出しはさせないぜ」
 名残惜しさを感じながら、しっかりと立ち上がる。
 どこらともなく出現していた亡羊な気配に向かって、背中越しに語りかけた。
 それが切欠だったのだろうか。あやふやなそれは急激に現実感を帯びていき、俺が振り向くと同時にそこに誕生した。
 視界に入るや否や、直感で確信する。

「お前がやったんだろ」
「そうだ」

 顔が無かった。
 顔があるべき部分が底なしの闇に包まれたそいつは、生理的嫌悪感を催す声で簡潔にそう答える。
 驚きを感じたが、それを表に出しはしない。
 生憎だがこちとらこういうおかしな事には不本意だが慣れているんだ。――声からして男なそいつは、北高の制服を身に纏っていた。
「お前が部室を滅茶苦茶にして、ハルヒをこんなにしやがったんだな」
「そうだ」
 背丈は俺と同じくらいだ。同じ学年の上履きを履いている。
 暗闇顔の男は再び簡潔な応対を口にして、しかし微動だにしない。否定もしない。
 だが、肯定だけで俺には十分で、
「俺の頭がおかしくなっちまったのもお前の仕業だな」
 ――正直な話怖いと思っている。原初の本能が危険だと告げて、理性が俺一人で如何にか出来るのかと疑問を覚えている。
 けれどな。こんな時まで長門を筆頭にした他のやつ等に頼るほど男が腐っているワケじゃない。恐怖しているというのに足も竦まず腰も引かない理由は、そういう事にしておきたい。
 そいつは三度同じ台詞を吐くと思っていた俺を煙に巻くように一瞬の空白を携えてから、
「それは違う」
「何だと……?」
 断固とした声音で否定した。その声に感情が篭っていることに気がつかなかった。
 何故なら、もう世界が赤で覆われたような怒りがあって、その一言でそれ以外のことは全部瑣末な事にしか感じられなくなっていたからだ。
 瞬間湯沸かし器のように元から熱く痺れていた頭は瞬時に沸騰する。
「じゃあテメェは、ただ部屋で暴れまわって、ハルヒにひでぇ事しただけってことかっ!」
 顔には確かに闇しかないのにそいつは俺に悲しげな視線を投げかけ、
「酷い事をしたのはお前だろう。お前は悪くない。けれど、お前が悪い。だから、お前が決着をつける」
「どういう意味だっ!」
 いきり立つ俺を意に介さず、淡々と理解不能な言葉をほざきやがる。
「そのとおりの意味だ。お前は悪くないが、お前が悪いんだ。
 ――だからお前が決着をつけるんだ。”お前はこんな事したくない。さっさと終わらせようぜ”」
「うぅうおおぉぉあぁぁぁぁっ!」
 肩を竦めるその仕草に感情が理性を打ち破るのを制止せずに、俺の口は意味の無い音を発していた。
 人間だって動物である。動物は雄叫びをあげる。
 声帯が千切れる勢いで空気が爆発して、拳を振り上げた体勢で、俺は我武者羅に突っ込んでいた。
「――っ!」
 技術も何にも無い、ただ全身の力と体重を乗っけたパンチとも呼べない打撃がそいつの顔面部分を捉えた。
 確かな手ごたえは同時にまともに喧嘩なんぞしたことない俺の拳の皮を捲れさせ、血を噴出させ、骨を軋ませる。
「ぐぅ、うぅぅ!」
 歯を食いしばって痛みに絶えながら、返す刀と勢いの力で右腕を振り回し、裏券を逆の頬に叩き込む。
「ずっ!」
 再度確かな手ごたえ。しかし肘の関節さえもそれで馬鹿になって、右腕はたった二発でもうぼろっぼろになってしまった。
 そいつは痛みを敢えて強固な意志で我慢しているようなくぐもった呻きを漏らしながら、二歩三歩と後退し、先ほどよりもずっと感情の篭った言葉ではなく叫びを吐き捨てる。
「いてぇ、ちくしょう。……くそ、いてぇ。あぁ……もう、ちくしょう。ざけんなよ……っざけんなよっ! 何で! 何で俺が! 何であいつが! ちくしょう! いてぇよ! 痛いに決まってる! どんな気持ちだったと思うっ! どんな気持ちで俺があいつを殴ったと思うっ!」
 そいつは左腕で右腕をぎりぎりと握り締めた。
 殴られてこいつも沸騰したらしい。口が少ないと判断していたのにこの変わり様だ。クールを気取っているくせに、内面じゃ熱いとかそういうタイプの憎たらしいやつ。
「ちくしょうちくしょうちくしょおぉ!
 何でなんだよ、おい……何で何でこんな事をしなくちゃならないっ!」
 ――右腕の肌が見える部分、拳には怪我の跡があって、それはハルヒを殴ったときに負ったものだと決め付けた俺は、
「意味わからねぇこと言ってんじゃねぇ! どんな気持ちだと? 知るわけねえだろ! 痛いのはお前じゃない、ハルヒだろうがっ!」
 脳内物質の分泌で右腕の痛みが薄れていくのを感じながら、左腕を振り上げた。
 お前にも同じ痛みをくれてやると勇み猛り飛び込む。
 だがしかし、利き腕ではないのが理由か。無駄な動きが多いことをけれどどうしようもないと意に介さず、ただ単に力任せに殴りかかろうとしたところで、
「な……!?」 
 内側からえぐりこむように伸びてきたそいつの右拳が視界に広がり、 
「あがっ!」
 それが鼻っ面にぶち当たった瞬間視界が一瞬点滅し、何かが砕けた嫌な音を聞き、痛みよりも猛烈な灼熱がその部分を支配した。
 ちくしょうっ! 鼻が、折れた……!
 飛び散る赤い飛沫は鼻血だろうと、揺れる脳が認識したところで半歩遅れて痛みがやってくる。
「いっ、でぇっ! いてぇっ! ぶ、ぺっ、いづっ! ちくしょう、てめぇ、いてぇ」
 右腕で鼻があったあたりを押さえるが、血液は力が入らない手のひらから溢れるようにこぼれ落ちて、顔を伝い口に入り、服にかかり、地面に落ちる。
 口を開くたびに傷に響いて神経に直接針をブッ刺したような痛みが襲うが、それでも苦痛の声を吐かずにはいられない。
「あぁ、くそ、いっでぇ……!」
 こんなに痛いのかよ。信じられない。痛い。むちゃくちゃ痛い。あぁ、痛い。痛かっただろうな、あいつ。もっと痛かっただろうな。
 ――だから、これくらいの痛みどうってことない。そうだろ。そうだとも。だからな!
 口内に絡まる血を吐き出しながら、拳に俺の痛みに相応な反動を受けたらしいそいつを睨み付け、
「ぶっ殺してやる……っ!」
 生涯初めての殺意を真剣に形に成して、離れた床に寝ている二人のことは今だけ忘却の彼方に押しやって、三度腕を振り上げた。
「良いからさっさと終わらせようぜ……」
 同じく左腕を振り上げたそいつは今度は向こうから突っ込んでくる。
「くそったれがぁ!」
「ちくしょうめかぁ!」
 不満と怒りと嘆きを乗せて、俺たちは雄叫びと共に拳をぶん回す。
 鈍い衝突音。 
「ぎぃっ!」
 どちらの呻きかわからない。どちらでもあって、どちらでも無かったかもしれない。だからそんな事はどうでも良いのだ。
「……まだ、」
「まだぁ……っ!」
 同時にそれぞれの右頬を捉えた拳は悲鳴を上げたが、もう感じる痛みはほとんど無くなっている。
 霞む視界はその副作用だろうか。かまわない。こいつの顔だけ見えれば十分だ。
 力を振り絞って右腕で双方相手の胸倉を掴み合い、左腕を引き、振り上げ、叩き込む。
「ぐっ!」
「づっ!」
「うぐ、くっ!」
 鈍い衝突音に、汚い苦痛の呻き。それの連続。
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返す。
 殴り、殴られ、殴り、殴られる。
 先に倒れた方が負けだと拳で語り合い、絶対に負けないと拳で啖呵を切り、肉が肉を打ち、骨が骨を穿ち、血が飛び散る音をバックグラウンドミュージックに、拳を振るう機械に己の体を作り変える。
 そして。

「――――」
「…………」

 何度それを繰り返したか分からない。どれだけ時間が経ったかも分からない。
 もう、互いに痛みを声に出すことさえ出来ない。
 けれどそれは――本当にどうでも良いことだ。
 瞼がはれ上がって視界は左半分で、口だけで過呼吸のように酸素を取り込み、血を流しすぎて体力も無く、気力だけで振るった拳は、けれど――空を切った。
 当たるもんだと思っていた一撃が避けられた瞬間、
「あ――」
 ちくしょう、と。
 心の中で絶叫をあげる。そのままの勢いでそいつに向かって体がよろめき、それを歓迎するように頭突きが繰り出される。
「ぐぅぇっ」
 潰された蛙のような情けない声が飛び出た。
 今度こそ視界は馬鹿になって、まともに映像を捉える機能を忘れてしまった。膝が折れたと思った瞬間にはもう体は崩れ落ちていて、

 それが俺が負けたという何よりの証明だった。

「――ぁ」
 うっ、くそ、なんだよ、ちくしょう、馬鹿野郎馬鹿野郎、なんで、くそ、立てよ、俺、ちくしょう、動けってんだよ……!
 心の中でどれだけ体を罵倒しても、決意を振りかざしても、それでも立ち上がれない。
 悔しさを発露することさえ出来ずにもがく俺の頭の近くに近づく足音、気配。
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 俺を見下ろし、荒い息を付きながらそいつはちくしょうと毒づく。
 それは俺の台詞だ糞野郎と言い返すことも出来ずに、ただ地面にキスを続ける。
 立ち上がれってんのに……! どうして立ち上がれないんだよっ……!
 どんなに体に力を込めても足腰が動かない。格闘技の試合でノック・アウトされた選手が足の力が抜けて崩れ落ちるシーンが多々あるが、今の俺の現状はそれを酷くしたようなものらしい。
 つまり、ただの高校生な俺がどれだけどう足掻いたって、再びこいつをぶん殴ってやる事は出来ないのだ。
 ……ちくしょう、めが……!
 それでもそれでも――そろそろ俺はどうなっても良いが、あいつにこれ以上手を出させる事だけは、本気で心のそこから自分が死ぬことよりも許せなくて、

「……ひ、に、……くな」

 鳥の羽化よりもなお遅い挙動で、最後の力をそいつの足首をつかむことに費やした。
 そのまま振り払われて顔面に蹴りでも入れられるのだろう、という予想はけれど外れて。
「もう一度、言え」
 よく意味が分からない言葉が降って来る。
 何なんだよくそったれ一想いにやれよでももしあいつに手を出したらと心中で毒づく体を無理やりひっくり返されて仰向けにされて、再びそいつは言う。
「今の言葉を、もう一度、言え」
「……」
「もう一度言えって言ってんだろうがっ!」
「……!」
 無視を決め込む俺に痺れを切らしたのか、そいつは二度目をほぼ絶叫に変えた。
 うるせぇな……分かったよ。言ってやるよ。そこまで聞きたいなら何度でも言ってやるよ。
「……ひに、……を、……なっ」
 まともに見えない目ではっきりと真っ暗闇を見据えてやる。
「……ルヒに、手を、……すなっ!」
 いつの間にか折れていた歯を血反吐ごと吐き出してから、不思議な力に突き動かされて、俺は叫んだ。
「ハルヒに、手を、出すなっ!」
 ほとんど死に体だからだろうか。眠くなったら眠るという自然さと、腹が減ったら食べるという当たり前さと、――そうしたいからそうするんだという意志で、もう何の邪魔も嫌なモノも忌々しいモノも禍々しいモノも、そういった全部のよくないモノを抜きにして、それがきっとずっと俺の本心だったというように、言葉はとまらなかった。
「ハルヒに、指一本でも、触れて、みやがれっ! はぁ、はぁ、絶対に、どれだけかかっても、お前を、はぁ、お前をぶっ殺してやるっ!」
「どうしてそう思うんだっ!」
「はぁ、んなもん、決まってるだろ! ちくしょう、ハルヒが、大切だからだよっ!」
「じゃあ何であんなことしたんだっ!」
 血と涙と鼻水とよだれと汗を撒き散らして、みっともないなんて微塵にも思わずに、――怪我をしたあいつを見た瞬間から燻っていた想いが爆発して、他のモヤモヤも全部誘爆して、言葉の拳をそいつに叩きつける。

「知るかよっ! わからねえよ! う、ぐ……理由が自分でも、わからねぇんだ。けど、けどな、誓って言うけどな、あんなこと、絶対に、俺はしたくなかった! 今の俺は、あんなことしたことを、くそ、死ぬほど、はぁ、後悔してんだっ!」

 それはもしかしたら退部したあの日からずっと言いたかった事。
 もとより酸欠だった体は今になってさらに過剰に酸素を消費されたことに絶叫を上げながらも、まだ俺の気持ちについて来てくれた。
「……もう一度、聞くぜ」
 ふっと――そいつは今まで漲らせていた力を全部抜いたような気配を感じさせ、ゆっくりとした口調で、
「お前は涼宮ハルヒの事を大切に思っているな?」
 俺以外の誰かにも聞かせるようにそう問いかけた。
 いい加減叫びすぎて意識が飛びそうだが、体にごめんなと謝罪して、眩しいくらいの何かに手を引かれて俺は、意識にケリを入れて左目を見開いて、

「あぁ……あぁ、そうだともさ! 何か文句あるのかよっ! 大切に、大切に決まってるだろっ! 泣かしたくなんかねぇよ! 朝比奈さんと仲良くして欲しいよ! 長門だって古泉だって、同じだ……、俺は、ハルヒだけじゃない……うっ、う……みんな、大切に、思ってる!」

 限界を飛び越えてそれだけ宣言してやって、もう駄目だと目を閉じた。
 目を閉じれたのはこいつから感じる恐怖とか悪意とか……悲しみとか、そういう感情が全部消えているのを感じたからで。どうしてか、そいつはもうハルヒに手を出すことはないだろうって理解した。
 いや、そいつはもうこれでようやっとやるべき事を終えたという清清しさえ湛えつつ、

「――そうなんだとよ」

 誰に言うでもなくやはり理解不能なことを呟いて。
 やれやれだなんて誰かさんみたいな台詞をお終いに、現れた時と同じ唐突さで消えていった。
「……けっ」
 ちくしょう。ハルヒの受けた痛み分くらいは返せただろうかと、真剣にその事を心配しつつ俺の意識は深く深く底のそのまた底へ沈んでいく。
 
 ――    !

 誰かが俺を呼ぶ声がしているが――すまんな。
 もういい加減ちょいとばかし休ませてくれ。
 すげぇ……マジ、どうしようもないくらいに疲れたんだ。負けちまったけど、それでも、もう一ミリだって体を動かせない。
 ……だけど次に目が覚めたときは、きっと何時もの俺で。何時もの毎日に戻るようがんばって、それでもって何時ものあいつ等が戻ってきて。
 あぁ、それはどんなに尊い事なんだろうな。本当の本当に、大切だぜ――みんな、みんな。

 俺は全身全霊を込めて、今なら、こう言えるぞ。
 ――大切なんだ! お前らが! ってな!  
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by kyon-haru | 2006-05-22 16:23


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