初夏、麦わら、お日様の下で

 昨晩俺が寝ている間に日本大陸が大移動し、今ははるか南、赤道直下に位置しているんじゃないかと感じさせるような天気だった。
 肌が真っ黒な狩猟民族ぽい人を見かけても不思議に思わないくらいに暑い。むしろ熱い。もしも野良犬なんかを追っかけていたらジャンボと声をかけてやろう。
 六月初頭に突如到来した真夏にぐんでりと九割がた死んでいたシャミセンの哀れな姿を思い出しつつ、俺は額に沸き続ける汗をぬぐった。
「天変地異だな……」
 呟きのとおりに、何か母なる地球に重大な危機が迫っているとしか思えない季節の急転換である。
 当然昨日まで五月であって夏服の用意なんぞしているわけもなく、急遽箪笥の奥からひっぱりだした半そでポロシャツは汗みずくで不快感を増すばかりで、本当に何が悲しくて俺はこんな日に外出なんてしているのだろう。
 こういう日は水風呂にでも浸かってさっぱりとし、冷たいジュースでも飲みながら家でひっそり過ごすのが賢いやり方だ。そうに決まってる。
 欲を言えばクーラーの世話にもなりたいところだが、夏服と同じくフィルターの掃除などをしているわけもないのでスクランブルには耐えないだろう。
 いやしかしちょっとやそっとの埃ぐらいこの暑さに比べたら屁でもねえな、と考え直す俺の隣では、
「そう、まさに天変地異よこれは。昨日まで春の名残があったのに急にこのうだるような暑さ! 地球の地軸がずれたとか、太陽に異常があったとか、そんな太陽系規模の大事件が起きたに違いないわ!」
 太陽の方が熱射病にかかりそうなほどのさんさんと輝く笑顔で無駄パワーを撒き散らすハルヒが元気に飛び跳ねている。
 あぁ、せめて今日が平日だったら良かったのにという不満は誰にぶちまければ良いのだろうか。とりあえず気象庁あたりに無言電話でもしてやろうか。
 よしずみ君のことを買ったばかりのゲームソフトを借りパクされた並に憎たらしく思いながら、  
「そういう調査はNASAとかFBIとかJAXAとかに任せたらどうだ。正直歩くだけで魂を削ってる気分だぞ」
 抗議する声にも覇気がない。
 そんな俺に光の国の巨人のように太陽光を活動エネルギーに変換する機能でも持っているんじゃないかという勢いでハルヒは、
「なにじじ臭いこと言ってんのよ。子供は風の子なのよ。太陽フレアだって風みたいなもんなんだから、気合で乗り切りなさい」
「んなもん浴びたら死ぬわ」 
「じゃあ、あれよ。心頭滅却すれば火もまたすずし。暑い暑い言ってるから駄目なのよ、ためしに寒い寒いって叫んでみなさい。きっと涼しくなるから」
「寒い寒い。クーラー浴びながらカキ氷食いてぇくらいに寒いなぁ、ちくしょう」
「アホ。根性なし!」
 汗で衣類がすけてブラちらしてるのもお構いなしにそんなことを近距離で言う。
 なんで黒なんだよくそったれ。余計暑くなんだろうが。俺の体温の2℃くらいはお前のせいで上昇しているぞ、間違いなく。
「……どっかで休憩しようぜ」
「ほんとだらしないわねぇ。三十分前にも銀行でずすんだばっかりでしょ」
 今更言うまでもないと思うが、本日は土曜日で毎週恒例となっている市内不思議探索の日であった。
 暑いから中止ね。などと言い出すはずがないハルヒに尻を蹴飛ばされ、SOS団こと俺たちはこうして日射野郎Mチームとなって市内を歩き回り光合成に励んでいる。
 とは言うものの実際歩き回っているのは俺とハルヒペアのみで、向こうの三人は今頃喫茶店か図書館あたりですずんでいるに違いない。
 むしろそうしていて欲しい。長門と古泉なら平気だろうが、朝比奈さんをこんな灼熱地獄に放りこんだら五秒で溶けてしまう。それはもう泡になる人魚姫のように。
「でもま、確かに海にでも行きたい天気ではあるわね」
「……だな。この際プールでも銭湯でも何でも良い」
「んー。じゃあ今から海行きましょっか」
「それは簡便してくれ……」
 見た目だけなら人魚姫の従者でもおかしくないというに何故ハルヒはこうも元気なんだろうね。
 日傘なんぞ持ってるわけもなく、帽子も被っていないし、それどころか女のくせに日焼け止めすら塗っている様子すらない。
 日焼けぐらいでがたがた抜かすタマではないことは重々承知しているが、……あーほら、言わんこっちゃない。
「あら、……と、っとと」
 光の国の巨人でもなんでもなく、根っこはこいつだってそこらの女子高生と同じなんだなと今更実感する。
 めまいを起こしたらしく、ハルヒは足元をおぼつかせふらふらと体を揺らせた。そのまま転びそうになる所をとっさに支えてやる。
 お互い汗まみれで正直肌が触れ合っても不快指数が上がるだけだが、んなこと気にしてもしょうがない。
「お、おかしいわね。朝ごはんはちゃんとどんぶりで三杯食べたのに……」
「あほんだら。軽い日射病だ」
 軽くで済んでいるあたりが普通の女子高生とのスペックの違いだろうね。
 ハルヒはまさしく日射病患者な症状で顔を際限なく赤く染め、
「無念だけど少し休憩するわ。何か飲み物かってきなさいよ、キョン」
「俺だって休憩したいし何か飲みたいわ。……それよりだな、ちょっとついてこい」
 何よー、とさっきまでの元気さを消失させたハルヒを引っ張って、俺は今しがたちょうどいいタイミングで発見したとある店舗に入っていく。
 一般的な衣服屋よりも多めに設置された鏡。棚に並ぶ帽子帽子帽子。その通り、帽子の専門店である。
「少しここで待ってろ。あと先に言っておくけどな、俺のセンスに期待するな」
「は? 何いって、ってちょっとキョン。何なのよ、もう!」
 客に優しく冷風の暴風を吐き出しているクーラーの真下にハルヒを放置し、俺はずんずんと店の奥へ進んだ。
 汗でしめった財布の中身は気候とは裏腹に木枯らし吹きすさぶ真冬のごとく寒く、前言したように俺にセンスがあるはずもなく、
「ほれ」
 税込みで漱石一枚という良心的な価格とどこか古きよき日本を感じさせるそれを即断即決即買いし、ハルヒの頭にぼこんとかぶせてやった。
 顔面で冷風を受け止めていたハルヒは眦と下唇をぴくぴくさせるという器用な技を披露しながらそれを上目遣いで見やり、手をやって、
「むぎわらぼうし?」
「おう。海賊王お墨付きの中々な一品だぞ」
 今日はとりあえずこれで我慢して、次からはちゃんと帽子被ってこいよ、と注意を促す俺に、
「あ……、ありがと」
 どうやら熱で頭が良い感じにいかれちまったらしく、ぼそぼそと呟くように素直に礼を言った。
 ま、熱に頭をやられたのは俺も同じだったがね。そうでなければこんなほいほいとこいつにプレゼントなんぞするわけがない。
 さらに店員のお姉さんも同じ症状のようで、うぶねぇ、かわいいわー、などと意味不明なことをおっしゃっている。おかしいな。あの人はずっと店内に居たはずだろうに。
 どうやら今年の日射病は感染タイプらしいな、と生物学的な思考をめぐらせつつ、
「お次は冷たいもん飲みにいくか」
「そうね……そうしましょうか。ほらほら、そうと決まればさっさと行くわよ、キョン!」
 特効薬は何故か麦藁帽子を被ることだと証明してくれているハルヒに手を引かれ、熱砂戦線へと赴くのだった。
 そういう事なら自分の分も買えばよかったと後悔するが、ゴーイングハルヒ号の舵はどうやら近くの喫茶店に向けられているようで一安心である。
 ところでこいつが船長なら俺は仲間第一号ということで剣豪ポジションでいいのかね。
 ひんやり天国と化した喫茶店に入店した俺はそんなくだらないことを考えていたら、
「なぁハルヒよ。店の中じゃ帽子は脱いだらどうだ」
「いーじゃないの別に。これはもうあたしの物なんだから、どうしようとあたしの勝手でしょ」
 天井知らずな上機嫌顔でストローまで吸い込むんじゃないかというくらい勢いよくオレンジジュースをすするハルヒの姿にどうしてか頬がにやけてしまったらしい。
「……何変な顔してんのよ。あんたも日射病?」
「いんや。気に入ってくれたみたいで嬉しいなと思っただけさ」
「わ、悪い? あんたにしちゃまともな買い物したわね、と思って、でも今日だけなんだからねこれ被るの!」
「へいへい」
 どうやらまだまだお互いに熱のしこりが抜けないようだ。こりゃかなりの重度である。
 とりあえず頬の緩みが収まるまではここで治療もとい時間つぶしだな、と窓の外に目をやった俺は、
「やれやれだぜ」
 いやいやお前にはコイツがお似合いだぜとでも言うように浮かび上がる鼻の長い人の蜃気楼と、
 窓の反射越しにハルヒがねだってねだって買ってもらった玩具で遊ぶ子供のような顔で、えへへ、なんて笑っていやがるのを目撃し、いろんな意味で肩をすくめた。


 その年の夏、もしくは日差しが強い日。――それよりも、ずっと向こう。
 ハルヒが決まって同じ帽子を被ってくるもんだから、毎度俺たちは日射病である。
 履歴書の持病のところに書くべきかどうか迷う日々が来るなんて、その時の俺は知ったこっちゃなかっただろうな。
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by kyon-haru | 2006-06-01 19:02


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