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●<その4ですよ!

 背後から熱波を感じつつ五時間目六時間目を過ごし、放課後になった。
 さて。今週俺は掃除当番であり、教室の掃除をした後適当に部室の本棚の整理でもしてから帰宅するという計画を予定していたのだが、
「さぁさぁキリキリ行くわよ!」
 気がつけば涼宮に腕を掴まれていて、ずるずる引きずられ廊下をドナドナしていた。
 この細い体のどこにこんな力があるのか皆目検討もつかないハッスルマッスルな強引少女に文句を言ってやろうとは思うのだが、眼前でひょこひょこ揺れるポニーテールとちらりと覗くうなじを見ていると別に良いかーとほんわかしてしまう。
 やっぱり奇跡的に似合ってるな。良いな。うん。良いですよ。
 そんな感じでフレグランスしつつ、キョンくぅぅぅんっ、と戦場に赴く夫との別れを嘆く妻のようなみくるの姿が消えて、やけに揺れるな足がいてぇ、と感じた頃には階段を通過して脱靴場に到着していた。このまま涼宮は俺の家に直行するつもりなんだろうと察して、流石に我に返る。
「おい、おいおい涼宮」
「何よ」
 いちいち揺れるさらさらな髪の毛に屈するものかと腹に力を込めて、
「俺今週は掃除当番なんだが」
「だから?」
「いや、さぼっちゃダメだろ」
「何で?」
「……このまま俺の家に直行か?」
「そうよ」
 三文字以上の返事を返されなくて頭が痛くなってきた。
 ちょっと変わった性格のヤツだと認識していたが、それを改める必要があるらしい。こいつは学生の義務よりも自分が興味がある事を何より優先しちまう暴走機関車な性格なのだと。
 さっさと靴履き替えなさいよと尻を蹴飛ばされ、はいぃ、と返事をしてもう諦める。
 明日は二倍掃除しますから。明日は二倍部活に励みますから。
 だからせめて今日という日が無事に終わりますようにと祈りながら、上履きを脱ぎ運動靴に履き替えて――今日みくるは帰りどうすんだよと更に頭が痛くなって、鶴屋ならきっと古泉と長門も含めて送ってくれるはずだと再び祈る。
「はぁ……」
 たった数分でいくつも齢を重ねた気分だ。
 心労を溜め込む俺などお構いなしに涼宮は「楽しみだにゃー!」と餌を待つ猫のように無邪気に笑い、突撃命令を下された赤軍兵士のように「ウーララララ!」とずんずん進んでいく。
 その後姿を眺めていると何故か頬が緩んできてしまって、まぁ良いか、と思ってしまうのは何でだろうね。
 ゆるやかに心労が薄れていく感覚。俺って案外保父さんとか向いているのかもな、とくだらない事を考えつつ歩いているくせに小走りに近い速度の涼宮に追いつこうとして、こいつが駐輪場を通り過ぎた事に気がついた。
「おい、おいおいおい涼宮よ」
「おい多いわね。何よ」
「お前登下校は歩きなのか?」
 涼宮は歩みを止めて腕を組むと眉根を寄せて、
「あんたは自転車使ってんの?」
「そうだ」
 結構遠いのね、どうしようかしら、うむむむ。と唸りだした。
 こういう表情の涼宮の方が俺たちにとっては見慣れている顔だという事は悲しいことなのかもしれないと一抹の侘しさを感じながら、駐輪場に赴きチャリを施錠して押して戻ってくる。
「ちょっとあんた」
「涼宮」
 目が合って、声が重なった。
 人間二人。自転車一台。ならばそうするのが自然だよな。
 毎日そこを特等席にしているみくるには少し申し訳ないなと心の中で謝りながら、二言目は恐らく同じ事を考えているだろう涼宮よりも俺が先に口を開いて、
「良かったら乗れよ。飛ばすぜ」
「とーぜんっ!」 
 俺がチャリに跨るやいなや荷台に襲い掛かった衝撃にバランスを崩されないように足を踏ん張り、注意を促すまでもなく胴に回された腕にかなりの恥ずかしさを感じるのだった。
 あの涼宮ハルヒがっ!? という驚愕の表情を浮かべる周囲の生徒たちのざわめき声を合図に変えて、
「もっと飛ばせーっ!」
「下り坂だから危ないだろうが!」
 俺はペダルを踏み込む足に気合を入れた。そうしないとデッドコースター一直線になってしまいそうなほど、涼宮の明るい声には変な力がみなぎっていたのだ。

 ………………
 …………
 ……

「おい、ついたぞ。……おーい、涼宮?」
「……ぉが? ん。あ、ああ。全く遅いったらありゃしないわね。もっと気合いれて漕ぎなさいよね!」
 うわっきゃー! はやーっ! はやすぎーっ!
 とかナントカ叫んでいたわりには元気な様子の涼宮に一安心し、二人乗り自転車相手に本気でエンジンをふかしていた原付のおばちゃんに今度こそリベンジしてやると闘志を燃やす。
 今まで黙っていたが……何を隠そう俺は生まれつきのスピード狂なのさ。限界まで振り切って何度かみくるが腰を抜かしたが、売られた勝負は買うのが男ってもんでその点元気な涼宮には気を遣わなくて楽だった。
 もちろん前半全部嘘だ。
 涼宮が息が苦しくなるくらいに抱きついてくるもんだから、むにゅむにゅするやらナンヤラで漕ぐことに命を燃やさないとどうにかなりそうだったのだ。
 こいつってば意外と胸あ――俺はいったい何を考えているんだろうか?
 頭を切り替えて背後を振り返る。
「大丈夫か?」
「も、もちろんよ」
 膝をかくかくさせながら荷台から降りた涼宮は生まれたての子馬のような足取りで玄関扉のところまで歩いていき、鍵かかってるわよとか何とか当たり前のことに怒りながらがちゃがっちゃやりだす。
「親が留守にしてるんだ。施錠してあるに決まってるだろうが」 
 やれやれと肩を竦める俺の視線にはどうもあわてんぼうな子供を見る成分が含まれていたようで、涼宮は口をアヒルのようにとんがらせてむすっとした顔をして、
「分かってるわよ!」
 ノブをがちゃがちゃ泣かすのを止めて、腕を組むとそっぽを向いてしまった。
 どうやら照れているらしくって心なしか頬が赤くなっているような気がする。
 こういう顔が出来るんならたくさんすれば良いのにどうしてしないんだろうね。
 まぁしょっちゅうこんな顔されたら見てる方は堪ったもんじゃないけどな。
 それよりもだな、そんなに焦らなくても大丈夫だぞ。逃げたりしてないって、多分。
「何変な顔してんのよ。さっさと開けなさいよ」
「へいへい」
 お前みたいにワケわかんねえ野郎をこれだけ楽しみにしてるヤツが居るんだ。
 だからマジで本当に逃げたりしていないでくれよと祈りつつ、鞄から鍵を取り出し開錠する。
「おっしゃあ!」
 やたら気合が入った叫びだった。
 扉が開くや否や涼宮はお邪魔しますの一言もなしに飛び込み、一寸も惜しいという焦り具合で靴を脱ぎ捨てると俺がおっさんになるくらいまでのローンが残ってるのをお構い無しにどたばた荒い足取りで「何処! 此処?」と居間やらトイレやらキッチンやらの扉を開けまくり始める。
「此処に違いないわ!」
 ボケてるのかと思ったのだが表情は真剣だった。
 だがな、そこは冷蔵庫だ。勝手にあけんな。勝手に牛乳飲むな。
「客なんだから飲み物のひとつくらい良いでしょ別に」  
「客ならもちっと落ち着け」
 確かに牛乳くらい別に構わないが、新品で一リットルあったのに一気飲みとは本当に豪快なヤツだな。
 というかこいつの辞書には慎みとかおしとやかという言葉は記載されていないのだろうか。
 ……だろうね。
 なにせ、
「さ、英気も養ったし本当に行くわよ。二階でしょあんたの部屋」
「そのとおりだが、ちょいと待て」
 年頃の女のくせに口のまわりが牛乳でまっしろけときたもんだ。
 ハルヒコさんのよろしく頼むって言葉はこういう意味だったのかねと今更理解した俺は、姉ちゃんやみくるによくしてやって手馴れた手つきでハンカチを取り出し、
「子供かよお前は」
 抜けた姉妹を持つと大変だねまったくと苦笑をこさえながら、涼宮の口のまわりを拭いてやった。
「……」
 きょとんという音がしそうな表情だった。涼宮は呼吸さえも止まってしまったんじゃないかという勢いで停止し、ぽっけーとしている。
 うーむ珍しい。珍しいというか初見だ。今日は涼宮の新たな面ばかり見てしまって脳みそが疲れるくらいだな。
 これは早急に糖分を摂取する必要がある。確か姉ちゃんがこっそりキープしている大福か何かがあったはずで、それは食器棚の一番下に隠されていたはずだ――というところまで思い出したところで涼宮が再起動を果たし、
「あ、な、何すんのよ!」
「いってぇ!」
 なぜか俺は即頭部に水平チョップをかまされた。
「何しやがるてめぇ!」
 軽く脳が揺れて視界がぼやける先では涼宮がポニーテールをそよそよ揺らし……もとい、肩をふるふる震わせ顔を紅潮させている。
 そりゃ同級生の男に赤ん坊に対する母親みたいな事をされれば恥ずかしいだろうけどな、何も暴力に訴えることはないだろうが。
 だがしかし俺のもっともな抗議の声を涼宮はばっさりと切り捨て、
「うっさい! 自分の胸に聞きなさいこのアホギャン!」
「お前絶対見たことあるだろ。つうかファンだろ。ワザとだろ。そうなんだな? そうんだよな? ……っておい、待てこのやろう!」
 人のことをモビルスーツ呼ばわりし、のっしのっしキッチンを退室してそのまま階段を平面を走るよりも早い速度で駆け上っていきやがった。
 ……ちくしょうめ。いつか必ず「あの壷はいいものだ!」って言わせてやるからな!
 自分でも非常に今の出来事の本質とはずれていると分かっている決意を新たにしつつ、俺は涼宮の後を追いかけた。
 昨日までまともに口すらきいていなかったの僅か数時間でえらい仲良くなっちまったもんだと少し楽しい気分になりながら。

 ………………
 …………
 ……

「って、まで寝てんのかよ」
 本来なら俺を心地よい気分にさせてやまない自室は未だに奇妙ちんちくりんな状況だった。
 ダブル鼻ちょうちんに加え涎をたらすそいつは単純計算でもう二十時間くらい寝ていやがるんじゃなかろうか。
 そんなに寝たら逆に疲れちまうだろうに……それに床で寝たら体が硬くなっちまうぞ。いや、ベッドから転げ落としたのは俺だけどな、こちとらほぼ毎日ソファーや風呂やそこら辺で寝てしまう生物の相手をしているワケでだな、
「……本当にコレがそうなの?」
 と、誰に宛てているのか分からない弁解をしていたら、涼宮が「うさんくせー」という口調と顔で確認してきた。
 せめて風邪ひかんようにと布団をかけなおしてやりながら、答える。
「ああ。とりあえずお前が見えたってことで俺が見た幻覚っていう線は消えた」
「ふーん。なんかぶかぶかのシャツ着てるけど、これあんたの服?」
「そうだな。つうか俺も今気がついた」
 マジで今気がついた。昨日の夜も今朝もまともに直視してなかったからな。多分俺が意識にグッバイをかましている間に適当にタンスから拝借したんだろう。
 ……ということは、おでんから人間の姿に変化? した後のこいつは真っ裸ということか。
 それはなんてすばらし――なんだよ涼宮その目は。
「おでんがどうのこうのは法螺で、ただあんたのイロってだけなんじゃないの?」
「断じて、違うっ!」
「どーだか。想像してたのよりずっと可愛いじゃないこの娘。それはグッドだけど、……とにかく起こさないといけないわね」
 グッドにも起こさないといけないのにも同意だ。うむ。
「おーい、起きろ」
 幸せそうな寝顔を無理やり覚醒させるのは偲びないが、勘弁してくれよ? と心中で声をかけつつ控えめに肩を揺さぶってみるもののりょーこちゃんは「むにゃすかぽー」とふらふらするだけで瞼を動かす気配すらない。
 ほんわかー。あどけないもんだぜ、まったく。
 だがほんわかーしている場合ではなかったのである。そんなやりとりを何度か交わしていたら、背後からぶちっとかいう物騒な音がした。
 じれったいわねああもう! という叫びが聞こえたかと思うと涼宮は光の八割くらいの速度で俺を押しのけ、
「起きなさーい! 起きろー!」
 鼻ちょうちんをパンパンと連続で割り、襟元を掴むと首が捻じ切れるんじゃねえかと心配させるような勢いで頭をぐわんぐわんシェイクし始めた。
 こんな起こし方をされたらそれが愛する妻でも起きぬけヘッドバッドをかましてやりたくなるな、と嫁にするならやはり清楚なタイプが一番だという持論をより強固なものにしていると、流石にこれだけされたら否応にも目を覚ますってもんだで凛々しい間眉毛の下の瞳がぱちくりと開いて、
「おは、やっ、なにっ、ちょ、やめっ、ちくわっ、ぶっ、ぐるじ……」
 流石にこれだけされたら気持ちわるくなるってなもんで顔を青白くさせていた。
 南無三。
「やっと起きたわね」
 やり過ぎたと自覚しているのかしていないのか、していないのだろうね、おゲロさんをぶっ放す五秒前な様子に微塵も焦った素振りを見せずに涼宮は、
「ねぇあんた……りょーこだっけ? 本当におでんの精霊なの?」
 縦縞模様の守護神のごときストレートな質問をぶちかました。
 キャッチャーの方はというと爽やかに程遠い覚醒に目をくるくる回転させながらも、はっきりとした口調で、
「うん。そうよ。あたしはおでんの精霊。涼しい子供と書いて涼子。りょーこちゃんって呼んでね」
 そんなことこんぶが無かったら出汁が取れないじゃない、というくらいの当たり前さでそう答えた。
 やっぱりそうなんだなーと投げやりに納得する。けどだからってこれからどうするんだ――と俺は今後のことに思いを馳せ出すのだが、涼宮はこいつの期待通りの返答だったというのになぜか納得できないもんという表情で口をとんがらし、
「悪いけど言葉だけじゃ信用できないわ。何か証拠見せてくれない?」
 なるほど至極尤もな提案を述べた。
 俺は人語を操る怪奇おでんを目の当たりにしているからすぐ納得したが、涼宮は言葉だけじゃ納得できないよな。
 ピラミッド建設の方法よりも謎なことに、こいつは異様なまでにおでんの精霊に興味を持っているようだし。
 目の回転が治まった本人の希望通りに呼称するのでりょーこちゃんは、上半身を自力で起こすと焦点を涼宮に合わせ、
「お安い御用だわ。よく見ててね」
 いまいちぎくしゃくした動きのウィンクをひとつかますと、……おそらく人類の物ではないだろう言語を欠片も聞き取れないほどの高速度でぶつぶつぶつぶつ呟きだした。
「――、――、――」
 はっきり言おう。怖い。きもい。
 やっぱり警察に突き出そうかなと携帯電話に手を伸ばす俺の隣では涼宮が瞳を万華鏡のようにキラキラ輝かせていて、一体全体これのどこにそんな面白みがあるのだろうかと心の奥底から理解に苦しむ。
 一度機会があれば常識について小一時間こんこんと語ってやろうと画策していると謎の不気味呪文は、
「こんぶちくわぶきんちゃっくー!」
 別の意味で理解に苦しむ日本語それもおでんのネタで唐突に終わりを迎えたらしく、さてこんなんで何が起こるんだとりょーこちゃんを涼宮と二人して注視するやいなや――

 りょーこちゃんの体が湯気につつまれかと思うと、
 俺の動体視力では補足できない一瞬のうちにその体が消えうせ、
 それまでりょーこちゃんが居た場所におでんの大根が現れていた――

「アンビリバボ!」
 思わず英語が出ちまった。それくらい驚いた。
 涼宮は声を発することも出来ずに、ただ瞳の中にすべての局部銀河群を閉じこめたようなキラキラ視線をそれに注ぎ続けている。
 すげえ。いまいちすごくない気もするが、ともかくすげえ。ちょっと美味そう。そういうことにしておこう。
 時間にすると十秒かそこらだっただろうが、涼宮にしてみれば悠久にも感じられただろう。
 大根が湯気に包まれたかと思うと、再び一瞬のうちにそれは消えうせ、おでんが有った場所にりょーこちゃんが帰ってきた。

 ――素っ裸で。

「どう? これで信じてもらえたでしょ」
 えっへんと胸を張るもんだから、ぷるるんぴこん。
 なぁ、もう信じるとか信じないとかおでんとか精霊とかどうでもよくないか? 目の前にある二つの膨らみと突起こそがこの世のジャスティス、永遠のユートピアだと俺は全魂を激震させて思うのだ。今なら獅子の勇者王と殴り合っても勝てる気がムンムンするぞ。ダイバスターが相手でも小指一本でイナフだぜ。
 涼宮も俺と同じ気持ちなのか体全体をマグニチュード9くらいに振動させて、
「……これ、これよ、こういうのよ、待ってたの、探してたの、そんで、見つけたわーっ!」
 辛い道のりだったのよぉぉ、と感極まった表情でなぜか俺に飛びついてきた。なぜか俺も抱きとめた。
「ギャンじゃなくてキョーンッ!」
「涼宮ーっ!」
 うわぁぁぁ! と声を揃えてなぜか知らないけどテンション上がりまくりで、そのままヒッシと抱き合う。
 この時この「なぜか」についてもう少し深く思慮していればあんな事にはならなかったんだろうと思うが、もうそんな事言われても遅いのである。
 というかジャスティスがユートピアでまともに頭を働かせることなんて無理なんだよちくしょうめがで、それでもせめてりょーこちゃんに布団かけるなり胸を隠してしてもらうなりしていれば良かったなと後々反省お猿。
 勇ましいエンジンサウンドが俺の家の前で鳴り止み、扉が開く音とおじゃましますという声に続いて階段を駆け上がる音が響いてきて、
「あはっ、あー、こんな不思議過ぎる出来事生まれてはじめてだわ……あぁ、もう、何よおでんって! チョイスからして面白いじゃない! あははっ、んー、サイコーね! サイコーだからキスしちゃう!」
 おーみくるたちも来たのねーん、とミドリ牧場の王様のようにのわーと考えたそのときである。
 キスが何だって? と声に出す暇さえなかった。空に浮かび竜の巣に隠れる伝説の城を見つけた大佐よりも嬉しそうで楽しそうな笑顔が視界一杯に広がった時にはもう遅くて、
「きゃーっ! 人間の女の子って大胆!」
 刹那だけ再びぷるるんが見えた俺は理性が完全にぶっとんでしまって、
「キョンくん、先に行っちゃうなんてヒド――」
「涼宮さんってせっかちなんだねっ。さてキョンくん、そのおでんちゃんはドコ――」
「とても家庭的なお家ですね。暖かくてやさしさがあります。あなたの部屋も主に似て落ち着く雰囲気ガ――」
「お、おじゃましまス――」
 四人が部屋の惨状を見て鼓動さえも停止したのを気配で察しながらも、

「ん、む……」

 妄想の数百倍はやわっこくて湿っていてあったかい感触を唇で受け止めていた。
 今度は俺が数秒を永遠に感じる番らしく、ちゅ、という小さな水音とともに離れていった涼宮の桜色の顔ときれいな唇を目で追いながらぼんやりとした頭で、
「いらっしゃい、四人とモモタルスァッ!?」
 歓迎の挨拶した瞬間に顎に何かが光速で叩き込まれて意識がぶっ飛んだ。
 ……今度こそマジで死んだかな、俺。るるる、と崩れ落ちつつ瞼が閉じる直前の最後に見えた光景は分厚い百科事典を構えた長門の姿だった。

 ――お前、そんなキャラだっけか――

 がくり。
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by kyon-haru | 2006-05-29 17:09

●<その3ですよ!


 いじられまくって「ふみー」だとか「ひゃーい」だとかみくるが良い感じにボロッカスになったところで教室に到着した。
 頭から湯気を噴出させながらどたばたしている幼馴染の姿にクラスの面々から、初めて「パパ」「ママ」を口に出すことが出来た子供に向けるような生暖かい視線が注がれる。実にほのぼのしていると思わないか。これで男子が俺にガンたれなければ完璧なのに。
「というわけで課題写させてくれよな」
「えぐぅ」
 隣の席のボロッカスに止めを刺すように数学のプリントを借り受けて、しこしこ答えを写し始める。
 小さい子は俺もノーマルな意味で好きだが、どちらかと言えばみくるは小さな子にぼにゅ――いや何でもない。
 みくるは朝からクライマックスだぜみたいな顔をしてしくしく教科書やノートを机に仕舞い終えると、鶴屋たちとは別の友達らしい女子三人に今日も大変だねなんだねと慰められだした。
 一体どんないじられ内容だったのか気になることは何時ものことだが、鶴屋も古泉も「そんな事聞くなんて鬼畜のすることだよっ!」という意味不明なことを言うばかり。
 鬼畜なのはお前ら二人じゃねえのかと腹式呼吸を使ってみくるの代わりに叫んでやりたいが、まぁアレはソレで上手いこと親友してるんだろう三人とも。
「……六人寄れば喧しい、ってか」
 その証拠にみくるの前後の席な二人は何時の間にか話の輪に加わって、中心のみくるもうふふとか笑って楽しそうに雑談している。切り替えはええな。
「やんややんや!」
 かける六。
 女が三人集まっただけで姦しいというのに六人。
 この賑やかさと華やかさは真面目に課題をさせてなるものかという嫌がらせに近いんじゃないかとしょうもないことを考えつつ、それでも手は機械的に動いて三分とかからずに総勢十問のにっくき野郎どもの答えを写し終えた。
 さて、式くらいは自分で考えて書こうという俺の殊勝な心がけを神様が褒めてくれたのか、
「お、お、……おは、……おはよう、ございます……」
「ちゅーす、長門。お勧めのあれ、面白かったぜ」
「そう。……よかった」
 恥ずかしがりやと辞書を引いたら「長門有希のこと」と書いてあるんじゃないかという儚げな文芸部部長が真っ赤な顔ではにかむという光景を見せてくれた。
 小川のせせらぎのような動きで席についた長門は、
「……課題のプリント」
「あぁ。ちょいと昨日面倒ごとがあってな。やってる暇が無かったんだ」
 俺の手元に目をつけると、三ミリほど眉根を顰めて顎をひき上目遣いでこちらを見た。
「――」
 じっ、という擬音が聞こえてきそうなくらいに真剣な瞳である。
 ……課題を忘れてしかも人のを写している俺を怒って睨んでいるんだろうか、これは。
 可愛い表情で男の気を引こう、なんて桃色思考が完璧完全に無いやつだろうからきっとそうなんだろう。しかも相手が俺だし。まぁ、それくらい微笑ましい眺めで迫力皆無であるのであーる。
「……ずるは、だめ」
「うぐぅ」
 だというのに何故こんなに良心が痛むのだろうか。
 やめて! そんな清い目で見ないで!
 穢れた自分のばっちさを呪いながら、俺は逆らえるわけねえだろと頭を下げた。
「すまん。これっきりにするから」
 堪忍してつかーさいお代官さま!
 と手を合わせて拝むとと、長門は「はっ」と我に返り「わわわ」と突然あたふたしだして、
「えと、わ、わたしのほうこそ、ごめんなさい」
「いやいや。全部俺が悪いんだ。へへぇ、この通り」
 言い過ぎてしまったとかはしたない真似をとか、そういう意味の言葉をつっかえながらちょぼちょぼと懸命に呟いている。
「ぷ」
 その様子がかわいらしいやらおかしいやら、思わず噴出した。
 手を合わせたまま顔だけを引くつかせている俺を見て長門はさらにまっかっかになってしまって、しゅーんとちっこい体をさらに縮こませる。
「ごめんごめん。部長」
「部長はだめ……」
 そう呼ばれるとくすぐったくて死んでしまいそうになるらしい。難儀な性格である。
 俺はすまんかった長門と謝りなおして、こいつと出会った頃のことを回想した。

 それは入学したての頃の話でな、運動部なんて汗臭い! 吹奏楽とかきつい文系もノーサンキュ! という常識的な考えのもと帰宅部まっしぐらだった俺は、
「みくるは書道部はいったんだよっ」
「それがどうかしたのか」
「貴方が帰宅部ですとお二人の下校時間がバラバラになってしまいますね」
「だからそれがどうかしたのか」
「あたし歩いて帰るから大丈夫だよ……」
「え、あ、う、いや……」
 という流れで鶴屋たちにフルボッコに遭い、泣きながらなるべくぬるい文科系の部活を探して見つけたのが部員一名という文芸部であり、その一名が新入生なのに部長な長門なのだった。
「……これ」
 子リスに餌をあげるが如きおっかなびっくりな仕草で差し出された入部用紙を受け取って、最近きちんと呼んで貰えない本名をマッハで書き込んでそろそろ一月になり、現在に至る。
 以上回想終わり。

 と、いうワケで俺は文芸部員なのだ。
 まぁ文芸部といっても二人で会話もなくもくもく読書するだけだが、それはそれでかなり安らぐ時間で、時節話しかけようとしては気の毒なくらい赤くなって金魚のように口を開閉させるだけの長門の様子に、愛玩動物がペットとして大人気な事の本質を悟りかけそうになることがしばしばなどと言ったら誰かに殴られそうである。
 その誰かはしゅーんとして座っていた長門ににぱっと笑いかけると、
「あ、おっはよーゆきりんっ。ほらほら、キョンくんに苛められてないでこっちおいでおいでっ!」
「おはよ、鶴屋さん、あさひ、さ、わ、あややっ」
 強引に腕をとって会話のわっかに引きずり込んだ。
 体のバランスを崩しつつめがねをずらしつつな長門はそれだけで既に頭から蒸気が出てきそうな様子ではあるが、申し訳なきかな。
 たとえ部長のピンチであろうと女七人の群れに飛び込むほど生き急いでない俺はみくるの机にプリントをこそっと返却し、視線を窓の外に向けた。ていうか苛めてない。断じて。
「……」
 窓の向こう。肘をついて顎を手のひらに載せつつ、校門の方を見やる。
 そしてそれを見つけて思わず「わふぅ」と息をついた。
「相変わらず不機嫌そうな面してんなー、あいつ」
 俺のちょっと熱の篭った視線の先では黒髪の長髪を今日はポニーテールにしているどえらい美人がむすっとした顔でのしのし歩いていた。
 曜日ごとに髪の毛をゴムで纏める数が増えるのに何の意味があんだろうなとぼんやり考えつつ、
「毎日あの髪型だったらいいのにな……」
 誰にも聞こえないようにそっと呟いてみた。
 
 ………………
 …………
 ……

 ホームルーム開始までギリになってそのポニーテールマスターが教室に入ってきた。
 どうしてそんな勢いをつける必要があるのかってくらいにドアが悲鳴をあげて、近くに居た女生徒がその音とあわられた人物にびびっている。
 あんな美人が「わい不機嫌じゃけん!」な表情で近寄りがたい雰囲気を発散していたら仕方がないというものだ。俺だって多分同じリアクションをとってしまう。
 だが、そんなことがあっても吃驚リアクションを取らないだろう微笑少女とセレブ少女は、
「おはようございます、涼宮さん」
「おっはよー、涼宮さん」
 爽やかにおしとやかに元気にはつらつにそう挨拶をして、
「――」
 見事に完全にまるっと無視されていた。
「……おやおや」
「今日もダメっかぁー」
 二人はとほほという感じで肩を落とし、寂しそうな視線を涼宮に向ける。
 ぶっちゃけて言うが涼宮にはクラスどころか学校に友達が居ないっぽいのだ。
 それも自ら望んで孤独というか孤高を選んでいる節がある。こうして誰かが挨拶をしても声をかけても、どうしても必要な事項以外はまともに話すらしない。ほとんどスルーだ。
 だがしかし、そんなヤツになお構い孤立させてなるものかお友達になるんだ、と古泉と鶴屋は声をかけ続けていて、だがしかしようがし、その見事な心意気むなしく今日も撃沈したのである。
 ……やれやれ。
 無言で俺の後ろの席についた涼宮に聞こえないように、心の中でため息を吐く。
 何が楽しくてここまでぶっ飛んで捻くれているんだろうか、こいつ。長門は人見知りの恥ずかしがりやだが、涼宮はどこをどう見てもそういうタイプには見えない。
 あんなに超常識人で見事で立派なお兄さんが居るというに、この妹のアナーキーさは同じ血が流れているとは思えないぜまったく。
 春休みに彼女な姉のところに遊びに来て、
「キョン君。妹が君と同じ高校に行くらしいから、その節は何卒よろしく頼むよ」
 と頭を下げて頼まれて「うっす! 任しといてください!」と返事したが、……ハルヒコさん、こんなん相手に俺にどうしろっていうんですか。
 いや、そりゃ俺だって姉弟そろって何かと世話になっている人との男同士の約束守らずして何がサムライか! っていう気合はあったさ。
 あったけどさ、
「――なんで兄貴がこんなんに構うのかさっぱりわかんないわ」
 四センチしか体長がないオオクワガタを見るような目でそんなことを言われたら、俺は百姓でいいや秀吉も元はそうだったんだし、という気持ちになるってもんだろう。
 そういうワケで「兄さんにはお世話になっているんだ。気軽にキョンって呼んでくれ」という今思えばウンコもいいところな一言を最後に、俺は涼宮と口をきいていないのである。ヘタレ言うな。
「みんなーホームルームはじめるぞー」
 チャイムが鳴り、ジャージ姿の岡部教諭が教室に入ってくる。
 古泉の号令を聞きながら立ち上がりつつ、
 つうか、何であんなカッコよくて性格よくて何でも出来る人がうちの姉と付き合っているんだろうか。同じ高校に通って同じ部活だったとは聞いているけど、馴れ初めを聞いたことはないんだよなー。
 ……という具合に、今日も俺は声をかけることもせずイコール約束を守れずに別のことのミーハーな思考に逃げたのだが、まさか今日がぞうりを懐で温めるあの日になるとは、このとき気がつけるはずがないだろう。

 だってなぁ、まさかなぁ。
 何てたってその切欠はあのおでん娘の話ときたもんなんだから。

 ………………
 …………
 ……

 教科書を忘れたどじっ娘と机をくっつけて教室が妙な雰囲気になったりしつつ午前の授業が終わり、昼休みになった。何故みくるの右隣の女子は「キョン君に見せてもらいなさいよ」などと言うのだろうね。あともうすっかりキョンという渾名が定着してるのね。いや、別に文句はないけどな。
 さて学校生活の楽しみといえば修学旅行だとかのイベント事が筆頭だが、日々の小さな潤いと言えば昼食それも美味い弁当に他ならないだろう。
 作ってくれたお方の天使のような微笑を脳裏にしっぽりと思い浮かべつつ、洋風だというそれの蓋を開けると、
「毎度のことだけど、すんげーな」
 見るからに美味そうでノット冷凍食品な色とりどりのオカズに、鮮やかな色彩のサフランライスが目に飛び込んできた。
 最低週五回は作らないといけないそれも二人分な弁当にこんなマイナーなインド料理を作るみちるさんの料理の凄腕には感嘆するしかない。どこかのはさみーな姉にも見習って欲しいもんである。ところでインドって西洋なのだろうか。
「いただきます」
「いただきます」
 プラス三人の女の声で、いただきます。
 ……いや、毎日みくるから弁当を貰ってる時点で既にアレだけどさ、長門も古泉も鶴屋も一緒にってのは流石にどうなんだよ。
 俺だって自分でも少しすれているところがあると自覚しているけどな、それでも根っこは健康で初心な男子高校生なワケで、女四人と机をくっつけて昼飯ってのは非常にこっぱずかしいのである。
 だが悲しいかな嬉しいかな楽しいかな、そういう旨のことをオブラートに包んで提言しても、
「毎日あーんな青臭い登下校しといていまさら何を言っているのかなっ? それともみくると二人で食べたいからあたしたちは邪魔ってことにょろー?」
「そのお気持ちは理解できますが、だからといって貴方がお一人で食事を摂っている姿を想像しますとどうも胸のあたりがきゅっとなると言いますか、……ああすみません、意味がよく分かりませんよね。率直に申し上げれば、私は貴方と昼食をご一緒したいと思っている。ただそれだけなんです」
「み、みんなで食べると、美味しいと思います……」
「あたしもみんなで食べた方が美味しいし楽しいと思うなぁ。……それに、キョンくんだけ仲間はずれになんてできないよう」
 四者四様にどうしてちょっと真面目にそう言われたら、「イ、エースッ!」と承諾するしかないだろう。
 だからな、お前ら。
 その真摯な気持ちを俺以外の男子にも向けてやってだな、机を並べろとまでは言わないが、せめて説明だとか弁解だとか君たちの考えていることは誤解だとか、嫉妬する男ってキモーイとかくらいは言ってやってくれ。そうしないとそのうち視線だけで人が殺せる達人が現れた時に俺はいの一番に瞬殺されてしまう。
 そんな人智を超えた領域まであと数歩のところまでといった様相の達人候補生は国木田と机を並べながら、ごはんをやたらめったら塩味にしてくぅぅと恨めしそうな目でこちらを見ている。
 今度こそ雄として勝利した笑みをこいつにだけは見せてやろうと頬を歪ませたが、何故か視線上にいたみくるが恥ずかしそうな顔でうつむいた。
「……」
 無言でサフランライスをかっこむかっこむかっこむ。頭の中で何故かウルトラマン80の主題歌がリフレインしあた。きーみはだれかをーナントカカントカ。
 何か今日はこんなのばっかりだなと喉に米を詰まらせ窒息しながら思う。
 長門が差し出してくれたペットボトルを遠慮なく受け取って、カテキンパワーでどうにか死なずに死んだ。しかしお礼を述べたら何故か長門まで茹蛸みたいになってしまって、いい加減カオスである。
「ゆきりん、恐ろしい子っ……」
「慌てて食べると消化に悪いですよ?」
 水筒のコップを右手に持った二人がそんなことを言う。
 後者には納得だが、鶴屋は何が言いたいんだか。んなことよりだ。混沌よりは秩序の方が好ましいだろ常識的に考えてと、何か話題を探してみる。
「あー……」
 脳裏に浮かぶは鼻ちょうちん。
 それでようやく自室に放置してきた摩訶不思議少女のことを思い出して、それはそれで頭痛の種なのだが如何にも馬鹿らしい話で雰囲気を変えるにはちょうどいいだろう。
「どうしたのキョンくん? おいしくなかった?」
「相変わらずお嫁さんがこれくらい出来たら幸せだなってくらい美味い」
 ひゃういっ、とこの世の終わりみたいな顔をするみくるの事はもうこの際無視することにして、こほんと咳払いを一個置いてから、
「昨日の話なんだけどさ。みくる家に置いて、そのままコンビニ行ったんだけど……」
 俺から何か話題を振るのは珍しいので、四人は箸を止めて耳を傾けてくれる。そんな真面目に聞いてもらうような話でもないんだがなぁ、と申し訳なく思いつつ、昨日のぶっ飛んだ出来事をとつとつと語りだした。
 
 ………………
 …………
 ……

「――というワケでだな、そのおでん野郎は俺の部屋でぐーすか寝てるはずだ」
 流石にもう起きてるだろうし、野郎ではなく女なのだが。
 食事時なのにウンコさんのことまで詳しく語ってしまって鶴屋にはたかれつつも、結構長い時間をかけて語り終えた。
 四人は明らかに可愛そうな人を見るような目で俺を見つめ、次いで自愛に溢れた笑みを浮かべた。
「キョンくん、……そんなに疲れてるなら言ってくれればよかったのに。あたし、今日は歩いて帰るから、しばらくゆっくりして、ね?」
「うんうん。なんならうちの車に一緒に乗っていいよ? あ、もちろんみくるも一緒にねっ」
「知り合いに病院を経営してる方がいらっしゃいましてね。中々大きな病院で、心療にも強いと聞いています。よろしかったらご紹介しましょうか?」
「……部活お休みにする」
 どうやら俺の頭がオカシイと思っているな、こいつら。
 いや、普通のリアクションだと思う。俺だってこんな妙ちくりんな話をみくるが突然し始めたら、プレゼントの一つでも買ってやって頭をよしよししてやりたくなるだろう。父性本能爆発である。
 だが本当に悲しいかな。母性本能を爆発させている四人の優しい気持ちは嬉しいのだが、俺の頭は多分オカシくなっていないし、夢でもないし、冗談でもないのだ。
「いや、嘘だと思うんなら俺の家来てみるといいぞ。マジで居るから」
 ちょいと真面目にそう言うと四人はどうしていいか分からない、という顔をした。
 ここまで言うのなら本当なのかなぁ、という台詞を顔に出してそれでもやっぱり俄かには信じられません、という表情。古泉まで普段の微笑みをしまいこみ、悩んでます私という様子だ。
「ついでに言うとだな、そいつをどうして良いか迷ってるんだ。迷うというか、どうしていいか分からないのが正しいかな。警察に突き出すのは流石にやり過ぎだと思うし……」
 お前らにもそこらのこと一緒に考えて欲しいんだが。と付け加える。
 その一言が決定打だったのだろうか。
 四人はそれぞれの顔を見合い、俺の顔を見やり、再びそれぞれの顔を見合い――って、どうしてそこで闘志に満ち溢れた表情なのか分からないが、とにかく最後に再び俺の顔を見ると、
「う、うん。最近キョンくんのお家遊びに行ってなかったし、お邪魔させてもらうね」
「あたしも改めて考えると興味沸いてきたっさ。そんな存在が居るんならぜひ人目会いたいねっ」
「ご家族の方にご迷惑でなければ、わたしも行かせてもらいたいですね。ええ、鶴屋さんの言うとおりです。そのようなお方がもし実在するのならば、是非お会いしてみたい」
「わ、わたしも行って、いい?」
 その申し出にまとめて「おk」と答えてから、古泉の懸案に答える。
「今親が単身赴任やらで家にいねえから気使わなくても大丈夫だぞ。姉ちゃん居るけど、みくると似たりよったりなぽややん具合だし」
 登校の途中でも「ちょうちょだー」とにこにこ走っていってしまいそうな我が姉である。……まぁ、流石にそこまでしないだろうが、友達のお姉さんだからといって畏まる必要は皆無だ。
 俺の家の事情を知っているはずのみくるは何故か「あちゃぁ……」としょんぼりし、他の三人は頭の上に電球がともりそうな勢いで「そーなんだー」という意味の言葉をそれぞれの笑顔で。
「……」
 こいつら保護者が居ないからってめちゃくちゃやらかそうとか考えてないだろうな。
 そこまで気合を入れるようなことじゃないだろう、と思うのは俺だけがあのおでん娘に実際に出会っているからだろうか。
 ……そうだろうな。こいつらもアレを見たらそんなやる気あっても骨折れ損だと気がつくだろう。
 とは言うものの、俺自体があいつの事をよく知らないな。まともなファーストコンタクトに人がついてきてくれるというのは心強いと今気がついて、俺って結構ヘタレなんだなと軽くブルー。
 そこでちょいとばかしとはいえ沈んだ気分になったのが良くなかったんだろうな。
 何時の間にか背後にあった気配からかけられた問いに、深く考えずにさらっと答えてしまったのは。

「ねぇ、あんた。今の話本当に本当なの?」
「嘘だと思うんなら家くりゃいいってんだろが」

 返事をしてから「アッー!」と思う。
 しかし我に返っても時既に遅し。この世の無常をひしひしと感じる俺の心境を代弁するように、四人が「うわぁ……」という表情プラス「信じられない……」という表情で俺の背後のそいつを見つめている。
「ええ、そうしてやろうじゃない。もし法螺だったらぶっこぉしちゃうんだからね」
 振り返ってみると自分の席に戻っていた涼宮が物騒な台詞とは裏腹に腰に手を当てて眩しいくらいの見事な笑みを浮かべていた。
「えーと、あんたギャンだっけ?」
「キョンだよ。ジオンのモビルスーツじゃねえよ」
「おっけ、キョン。そういうワケだからあたしもあんたの家行くから」 
 あの無視シカトスルーの唯我独尊女が笑っている。笑って俺と会話らしい会話をしている。
 それだけでも一年五組にとっちゃ大事件でこちとら驚きまくりなのだが、それ以上に、涼宮のおでんちゃんに対するその期待のでかさに驚天動地である。
 天の川銀河を閉じ込めたような瞳できらきらと俺を見つめるその頭では、
「……何じろじろ見てんの?」
「いや、何でもない」
 ストライクゾーンど真ん中なポニーテールがそよそよ揺れていて、俺は柄にも無く恥ずかしさに顔を伏せてしまったのである。
 四方から舌打ちのようなモノが聞こえたような聞こえなかったような曖昧な気がしたが気のせいにして、俺は羞恥を紛らわすように弁当を食うお楽しみに戻った。
「……うめえな」
 言葉とは裏腹に、味なんてちっとも感じなかった。
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by kyon-haru | 2006-05-26 22:11

涼宮ハルヒはしあわせ 第七話


 まるで耳の内側に心臓があるかというぐらいに、ジンジンと呼吸のたびに頭が痺れた。
 地上に溜まった人間の邪まなあらゆるものを洗い落とすように振り続ける雨の足は以前弱まらず、雷鳴は断続的に鳴り響き、突風は窓ガラスを打ち続けている。
 普段なら騒音と感じただろうそれをとても遠くに感じながら、俺たちは一秒間を永遠に引き伸ばしたような時間を抱きしめあっていた。

「――」
「……」

 会話はない。
 互いに無言で、しかしそれは話す必要もなく互いの想いを汲み取ったからで、意識せずとも体はそうしないと今すぐに死んでしまうかのような必死さで体温を共有して、まさにそうしなければ低体温で参ってしまう状況で。

「――」
「……」

 頭が痺れている。
 触れ合った時点で氷のように冷たかったハルヒの体は今は俺よりも熱くなっていて、アダージョのリズムで吐き出される吐息も同じように熱く、火傷しそうだと思わせた。

 頭が痺れるにつれて、不快とか不思議とかいう感情が消えていくのを感じている。

「……」
 暑さで頭がボケちまったのだろうか? それとも、熱さで何かが溶かされてしまったのだろうか? 
 分からない。理解できない。あんなにも嫌悪していた人間と抱き合っているというのに、今は嫌悪どころか心配するという慈愛の感情しか湧いてこなくなっている。
 その事について疑問を感じなくなっている。
 不思議だ。何が不思議かって、そういう感情が湧き上がる事の方がこそ自然であるような気がするという感覚がだ。それはつい何時間か前まではあり得なかった事だ。
 こんな怪我をさせてしまって、親御さんになんと言えば良いんだなんてことさえ俺は考えはじめている。正直合わせる顔がない。親御さんはこうなってしまった原因が俺にある事を知らないだろうが、それでも――申し訳ないと、本当に俺はそう思っている。
 そうやって頭を捻りながら自分の世界に埋没していると、ハルヒは大きな大きな熱い熱い吐息と共に、
「キョン」
「ん? ……どうした」
「あったかいね」
「……そうだな。熱いくらいだ」
 ぼんやりとした声で、儚げに体を震わせる。
「ごめんね。熱いよね」
「うん。でも、嫌じゃない」
「本当……?」
 頭の後ろを撫でてやり、俺はつとめて優しい声を出そうと努力した。その努力は実を結び、俺の声ではないんじゃないかと錯覚を覚えるほどの優しさが、その中にはあった。
「本当だ。だから、悲しい顔するなよ」
「うん。ごめんね」
「……誤らなくて良いんだぞ。こういうときはそうだな、ありがとう、だ」
「うん、うん。ありがとう。ありがとう、キョン」
 何時も何時も、とハルヒは続けた。そこにどんな意味が込められていたのか分からない自分に苛立ちを覚えながらそっと視線をずらす。
「顔色良くなったな」
「そう……? でも、まだこうしてたいわ」
「あぁ。もう少しこうしていよう」
 きゅっと小さな手が必死にしがみついてくる。紫がかった唇は既に血色を取り戻しており、顔色も幾分か良くなったようだ。
 ……それでも、怪我をして酷く弱っている事には違いない。
 何か芯から暖まるような栄養のあるものを食べさせてやりたいと自然に考えながら、……今はけれどこれくらいしか出来ないと結論を出して、世界でただ一人にだけ聞かせるために、言葉の連なりを紡いでいった。
「ねーんねん、」
 ずっと昔。もう色あせてモノクロになってしまった記憶に残る、子守唄。
 ぐずる俺を寝かしつけようと母親が優しくささやいた歌声を記憶の海から掬い上げて、指の隙間からさらさらとこぼれ落ちさせる。
「ん……」
 小さく意味のないつぶやきを漏らしたハルヒは、体から力を抜いた。
 聞こえているよ、というリアクションなんだろうか。
 そうなのかと確かめないで、俺は揺り籠のように微かにその体を揺すってやりながら、耳元に下手糞な歌を奏で続ける。

 ――お前は……良い子だ。だから、ねんねしな。

 そう。今、お前は眠るといい。
 眠って眠って目を覚ました時には、普通のお前に戻っていたら……それはどんなに尊いことだろう。
「すぅ……ふぅ」
 俺の願いが届いたのか、ハルヒはしばらくして穏やかな寝息を立て始めた。
 完全に力が抜け切った体を支えてやり、起こさないようにそっと毛布の上に戻してやる。
「……」
 寝顔を見つめて、また頭が痺れた。痺れすぎて、もう麻痺してしまったのかもしれない。
 震える指先を痛々しい痣にもっていって、再びそれに手を触れた。――途端に震えはおさまって、色んなことが「しゃん」とする。
 それでも心のどこかには相も変わらずぶちのめしたいような邪悪な気持ちがあって、そいつは気を抜けば一息に俺の全部を支配してしまいそうだ。
 くそったれが。なぁ、そう焦るなよ。俺を如何にかしたいのならすれば良い。だけどな、
「……もう、手出しはさせないぜ」
 名残惜しさを感じながら、しっかりと立ち上がる。
 どこらともなく出現していた亡羊な気配に向かって、背中越しに語りかけた。
 それが切欠だったのだろうか。あやふやなそれは急激に現実感を帯びていき、俺が振り向くと同時にそこに誕生した。
 視界に入るや否や、直感で確信する。

「お前がやったんだろ」
「そうだ」

 顔が無かった。
 顔があるべき部分が底なしの闇に包まれたそいつは、生理的嫌悪感を催す声で簡潔にそう答える。
 驚きを感じたが、それを表に出しはしない。
 生憎だがこちとらこういうおかしな事には不本意だが慣れているんだ。――声からして男なそいつは、北高の制服を身に纏っていた。
「お前が部室を滅茶苦茶にして、ハルヒをこんなにしやがったんだな」
「そうだ」
 背丈は俺と同じくらいだ。同じ学年の上履きを履いている。
 暗闇顔の男は再び簡潔な応対を口にして、しかし微動だにしない。否定もしない。
 だが、肯定だけで俺には十分で、
「俺の頭がおかしくなっちまったのもお前の仕業だな」
 ――正直な話怖いと思っている。原初の本能が危険だと告げて、理性が俺一人で如何にか出来るのかと疑問を覚えている。
 けれどな。こんな時まで長門を筆頭にした他のやつ等に頼るほど男が腐っているワケじゃない。恐怖しているというのに足も竦まず腰も引かない理由は、そういう事にしておきたい。
 そいつは三度同じ台詞を吐くと思っていた俺を煙に巻くように一瞬の空白を携えてから、
「それは違う」
「何だと……?」
 断固とした声音で否定した。その声に感情が篭っていることに気がつかなかった。
 何故なら、もう世界が赤で覆われたような怒りがあって、その一言でそれ以外のことは全部瑣末な事にしか感じられなくなっていたからだ。
 瞬間湯沸かし器のように元から熱く痺れていた頭は瞬時に沸騰する。
「じゃあテメェは、ただ部屋で暴れまわって、ハルヒにひでぇ事しただけってことかっ!」
 顔には確かに闇しかないのにそいつは俺に悲しげな視線を投げかけ、
「酷い事をしたのはお前だろう。お前は悪くない。けれど、お前が悪い。だから、お前が決着をつける」
「どういう意味だっ!」
 いきり立つ俺を意に介さず、淡々と理解不能な言葉をほざきやがる。
「そのとおりの意味だ。お前は悪くないが、お前が悪いんだ。
 ――だからお前が決着をつけるんだ。”お前はこんな事したくない。さっさと終わらせようぜ”」
「うぅうおおぉぉあぁぁぁぁっ!」
 肩を竦めるその仕草に感情が理性を打ち破るのを制止せずに、俺の口は意味の無い音を発していた。
 人間だって動物である。動物は雄叫びをあげる。
 声帯が千切れる勢いで空気が爆発して、拳を振り上げた体勢で、俺は我武者羅に突っ込んでいた。
「――っ!」
 技術も何にも無い、ただ全身の力と体重を乗っけたパンチとも呼べない打撃がそいつの顔面部分を捉えた。
 確かな手ごたえは同時にまともに喧嘩なんぞしたことない俺の拳の皮を捲れさせ、血を噴出させ、骨を軋ませる。
「ぐぅ、うぅぅ!」
 歯を食いしばって痛みに絶えながら、返す刀と勢いの力で右腕を振り回し、裏券を逆の頬に叩き込む。
「ずっ!」
 再度確かな手ごたえ。しかし肘の関節さえもそれで馬鹿になって、右腕はたった二発でもうぼろっぼろになってしまった。
 そいつは痛みを敢えて強固な意志で我慢しているようなくぐもった呻きを漏らしながら、二歩三歩と後退し、先ほどよりもずっと感情の篭った言葉ではなく叫びを吐き捨てる。
「いてぇ、ちくしょう。……くそ、いてぇ。あぁ……もう、ちくしょう。ざけんなよ……っざけんなよっ! 何で! 何で俺が! 何であいつが! ちくしょう! いてぇよ! 痛いに決まってる! どんな気持ちだったと思うっ! どんな気持ちで俺があいつを殴ったと思うっ!」
 そいつは左腕で右腕をぎりぎりと握り締めた。
 殴られてこいつも沸騰したらしい。口が少ないと判断していたのにこの変わり様だ。クールを気取っているくせに、内面じゃ熱いとかそういうタイプの憎たらしいやつ。
「ちくしょうちくしょうちくしょおぉ!
 何でなんだよ、おい……何で何でこんな事をしなくちゃならないっ!」
 ――右腕の肌が見える部分、拳には怪我の跡があって、それはハルヒを殴ったときに負ったものだと決め付けた俺は、
「意味わからねぇこと言ってんじゃねぇ! どんな気持ちだと? 知るわけねえだろ! 痛いのはお前じゃない、ハルヒだろうがっ!」
 脳内物質の分泌で右腕の痛みが薄れていくのを感じながら、左腕を振り上げた。
 お前にも同じ痛みをくれてやると勇み猛り飛び込む。
 だがしかし、利き腕ではないのが理由か。無駄な動きが多いことをけれどどうしようもないと意に介さず、ただ単に力任せに殴りかかろうとしたところで、
「な……!?」 
 内側からえぐりこむように伸びてきたそいつの右拳が視界に広がり、 
「あがっ!」
 それが鼻っ面にぶち当たった瞬間視界が一瞬点滅し、何かが砕けた嫌な音を聞き、痛みよりも猛烈な灼熱がその部分を支配した。
 ちくしょうっ! 鼻が、折れた……!
 飛び散る赤い飛沫は鼻血だろうと、揺れる脳が認識したところで半歩遅れて痛みがやってくる。
「いっ、でぇっ! いてぇっ! ぶ、ぺっ、いづっ! ちくしょう、てめぇ、いてぇ」
 右腕で鼻があったあたりを押さえるが、血液は力が入らない手のひらから溢れるようにこぼれ落ちて、顔を伝い口に入り、服にかかり、地面に落ちる。
 口を開くたびに傷に響いて神経に直接針をブッ刺したような痛みが襲うが、それでも苦痛の声を吐かずにはいられない。
「あぁ、くそ、いっでぇ……!」
 こんなに痛いのかよ。信じられない。痛い。むちゃくちゃ痛い。あぁ、痛い。痛かっただろうな、あいつ。もっと痛かっただろうな。
 ――だから、これくらいの痛みどうってことない。そうだろ。そうだとも。だからな!
 口内に絡まる血を吐き出しながら、拳に俺の痛みに相応な反動を受けたらしいそいつを睨み付け、
「ぶっ殺してやる……っ!」
 生涯初めての殺意を真剣に形に成して、離れた床に寝ている二人のことは今だけ忘却の彼方に押しやって、三度腕を振り上げた。
「良いからさっさと終わらせようぜ……」
 同じく左腕を振り上げたそいつは今度は向こうから突っ込んでくる。
「くそったれがぁ!」
「ちくしょうめかぁ!」
 不満と怒りと嘆きを乗せて、俺たちは雄叫びと共に拳をぶん回す。
 鈍い衝突音。 
「ぎぃっ!」
 どちらの呻きかわからない。どちらでもあって、どちらでも無かったかもしれない。だからそんな事はどうでも良いのだ。
「……まだ、」
「まだぁ……っ!」
 同時にそれぞれの右頬を捉えた拳は悲鳴を上げたが、もう感じる痛みはほとんど無くなっている。
 霞む視界はその副作用だろうか。かまわない。こいつの顔だけ見えれば十分だ。
 力を振り絞って右腕で双方相手の胸倉を掴み合い、左腕を引き、振り上げ、叩き込む。
「ぐっ!」
「づっ!」
「うぐ、くっ!」
 鈍い衝突音に、汚い苦痛の呻き。それの連続。
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返す。
 殴り、殴られ、殴り、殴られる。
 先に倒れた方が負けだと拳で語り合い、絶対に負けないと拳で啖呵を切り、肉が肉を打ち、骨が骨を穿ち、血が飛び散る音をバックグラウンドミュージックに、拳を振るう機械に己の体を作り変える。
 そして。

「――――」
「…………」

 何度それを繰り返したか分からない。どれだけ時間が経ったかも分からない。
 もう、互いに痛みを声に出すことさえ出来ない。
 けれどそれは――本当にどうでも良いことだ。
 瞼がはれ上がって視界は左半分で、口だけで過呼吸のように酸素を取り込み、血を流しすぎて体力も無く、気力だけで振るった拳は、けれど――空を切った。
 当たるもんだと思っていた一撃が避けられた瞬間、
「あ――」
 ちくしょう、と。
 心の中で絶叫をあげる。そのままの勢いでそいつに向かって体がよろめき、それを歓迎するように頭突きが繰り出される。
「ぐぅぇっ」
 潰された蛙のような情けない声が飛び出た。
 今度こそ視界は馬鹿になって、まともに映像を捉える機能を忘れてしまった。膝が折れたと思った瞬間にはもう体は崩れ落ちていて、

 それが俺が負けたという何よりの証明だった。

「――ぁ」
 うっ、くそ、なんだよ、ちくしょう、馬鹿野郎馬鹿野郎、なんで、くそ、立てよ、俺、ちくしょう、動けってんだよ……!
 心の中でどれだけ体を罵倒しても、決意を振りかざしても、それでも立ち上がれない。
 悔しさを発露することさえ出来ずにもがく俺の頭の近くに近づく足音、気配。
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 俺を見下ろし、荒い息を付きながらそいつはちくしょうと毒づく。
 それは俺の台詞だ糞野郎と言い返すことも出来ずに、ただ地面にキスを続ける。
 立ち上がれってんのに……! どうして立ち上がれないんだよっ……!
 どんなに体に力を込めても足腰が動かない。格闘技の試合でノック・アウトされた選手が足の力が抜けて崩れ落ちるシーンが多々あるが、今の俺の現状はそれを酷くしたようなものらしい。
 つまり、ただの高校生な俺がどれだけどう足掻いたって、再びこいつをぶん殴ってやる事は出来ないのだ。
 ……ちくしょう、めが……!
 それでもそれでも――そろそろ俺はどうなっても良いが、あいつにこれ以上手を出させる事だけは、本気で心のそこから自分が死ぬことよりも許せなくて、

「……ひ、に、……くな」

 鳥の羽化よりもなお遅い挙動で、最後の力をそいつの足首をつかむことに費やした。
 そのまま振り払われて顔面に蹴りでも入れられるのだろう、という予想はけれど外れて。
「もう一度、言え」
 よく意味が分からない言葉が降って来る。
 何なんだよくそったれ一想いにやれよでももしあいつに手を出したらと心中で毒づく体を無理やりひっくり返されて仰向けにされて、再びそいつは言う。
「今の言葉を、もう一度、言え」
「……」
「もう一度言えって言ってんだろうがっ!」
「……!」
 無視を決め込む俺に痺れを切らしたのか、そいつは二度目をほぼ絶叫に変えた。
 うるせぇな……分かったよ。言ってやるよ。そこまで聞きたいなら何度でも言ってやるよ。
「……ひに、……を、……なっ」
 まともに見えない目ではっきりと真っ暗闇を見据えてやる。
「……ルヒに、手を、……すなっ!」
 いつの間にか折れていた歯を血反吐ごと吐き出してから、不思議な力に突き動かされて、俺は叫んだ。
「ハルヒに、手を、出すなっ!」
 ほとんど死に体だからだろうか。眠くなったら眠るという自然さと、腹が減ったら食べるという当たり前さと、――そうしたいからそうするんだという意志で、もう何の邪魔も嫌なモノも忌々しいモノも禍々しいモノも、そういった全部のよくないモノを抜きにして、それがきっとずっと俺の本心だったというように、言葉はとまらなかった。
「ハルヒに、指一本でも、触れて、みやがれっ! はぁ、はぁ、絶対に、どれだけかかっても、お前を、はぁ、お前をぶっ殺してやるっ!」
「どうしてそう思うんだっ!」
「はぁ、んなもん、決まってるだろ! ちくしょう、ハルヒが、大切だからだよっ!」
「じゃあ何であんなことしたんだっ!」
 血と涙と鼻水とよだれと汗を撒き散らして、みっともないなんて微塵にも思わずに、――怪我をしたあいつを見た瞬間から燻っていた想いが爆発して、他のモヤモヤも全部誘爆して、言葉の拳をそいつに叩きつける。

「知るかよっ! わからねえよ! う、ぐ……理由が自分でも、わからねぇんだ。けど、けどな、誓って言うけどな、あんなこと、絶対に、俺はしたくなかった! 今の俺は、あんなことしたことを、くそ、死ぬほど、はぁ、後悔してんだっ!」

 それはもしかしたら退部したあの日からずっと言いたかった事。
 もとより酸欠だった体は今になってさらに過剰に酸素を消費されたことに絶叫を上げながらも、まだ俺の気持ちについて来てくれた。
「……もう一度、聞くぜ」
 ふっと――そいつは今まで漲らせていた力を全部抜いたような気配を感じさせ、ゆっくりとした口調で、
「お前は涼宮ハルヒの事を大切に思っているな?」
 俺以外の誰かにも聞かせるようにそう問いかけた。
 いい加減叫びすぎて意識が飛びそうだが、体にごめんなと謝罪して、眩しいくらいの何かに手を引かれて俺は、意識にケリを入れて左目を見開いて、

「あぁ……あぁ、そうだともさ! 何か文句あるのかよっ! 大切に、大切に決まってるだろっ! 泣かしたくなんかねぇよ! 朝比奈さんと仲良くして欲しいよ! 長門だって古泉だって、同じだ……、俺は、ハルヒだけじゃない……うっ、う……みんな、大切に、思ってる!」

 限界を飛び越えてそれだけ宣言してやって、もう駄目だと目を閉じた。
 目を閉じれたのはこいつから感じる恐怖とか悪意とか……悲しみとか、そういう感情が全部消えているのを感じたからで。どうしてか、そいつはもうハルヒに手を出すことはないだろうって理解した。
 いや、そいつはもうこれでようやっとやるべき事を終えたという清清しさえ湛えつつ、

「――そうなんだとよ」

 誰に言うでもなくやはり理解不能なことを呟いて。
 やれやれだなんて誰かさんみたいな台詞をお終いに、現れた時と同じ唐突さで消えていった。
「……けっ」
 ちくしょう。ハルヒの受けた痛み分くらいは返せただろうかと、真剣にその事を心配しつつ俺の意識は深く深く底のそのまた底へ沈んでいく。
 
 ――    !

 誰かが俺を呼ぶ声がしているが――すまんな。
 もういい加減ちょいとばかし休ませてくれ。
 すげぇ……マジ、どうしようもないくらいに疲れたんだ。負けちまったけど、それでも、もう一ミリだって体を動かせない。
 ……だけど次に目が覚めたときは、きっと何時もの俺で。何時もの毎日に戻るようがんばって、それでもって何時ものあいつ等が戻ってきて。
 あぁ、それはどんなに尊い事なんだろうな。本当の本当に、大切だぜ――みんな、みんな。

 俺は全身全霊を込めて、今なら、こう言えるぞ。
 ――大切なんだ! お前らが! ってな!  
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by kyon-haru | 2006-05-22 16:23

●<その1ですよ!


 足音で二次大戦のモールス信号を刻みながら下校している道中にそれはあった。
 ピンクチラシ満載の電柱の影を被るぼろっちいダンボール。
「白昼夢か……?」
 それを覗き込む。腿をつねりながら思わずそう呟いてしまった。痛い。
 夢だったら良かったのになーとか思いつつ、幾度か瞬きをしてから再度覗き込む。
 ダンボールの中には、 
「おでん?」
 ――底の深い更に盛られたほかほか湯気をあげるおでん。
 からしまで丁寧に添えられていてちょっと美味そうだなじゃなくて、
 おでんの傍には花柄が四隅にプリントされた乙女ちっくなメモ用紙があり、そこには、
「捨ておでんです。名前はりょうこ。かわいがってあげてください」
 そんな――俺のような常識ある通常男子人類には理解不能なメッセージ。
「……えーと」
 頭痛を耐えながら、こめかみをもみほぐす。
 大きく深呼吸を一回。すーはー。……うし、落ち着いた。
 そんな落ち着いた俺がこのおでんとメッセージに対する処置を考えた結果は、
「無視だ、無視」
 当たり前である。
 こんな怪しそうな物に構っていられるワケがない。
 そもそも捨ておでんって何だよ。なんでおでんに名前がついてるんだよ。食べ物を可愛がるってなんだよ。
 その昔自販機の取り出し口に自分が買った覚えがないジュースの缶があり、それを見つけ「あれ? ラッキー! もーらい!」とかいう感じで能天気にそれを飲んだ人が毒殺されたという事件がある。
 俺はこのおでんにそれと同じ匂いを感じ取った。
 だから無視だ。そう決意して足早に立ち去ろう――とするのだが、
「……毒、か」
 それはそれで浮浪者の人とか野良猫野良犬カラスの類が飢餓に耐えかねてぱくっといった場合、どえらく危険ということに聡明な俺はすぐに気がついてしまうわけで。
「こんなやさしい俺が恨めしいぜちくしょう」
 やれやれしょうがねー、とダンボールからおでんとメモを拾い上げる。
 そして、だ。さてさてこれはごみ捨て場に放置するワケもいかないから、川原で火にでもかけこの世から抹消してしまうのが一番確実な方法かね、とか考えながら歩きだしたそのときだった。
「毒なんかはいってないもん!」
「――はえ?」
 空耳かと思い、最近つかれてんのかと頭を振って再び深呼吸してみるが、
「毒なんかはいってないもん! おいしいからそれはもうおいしいから! ていうか燃やさないで!」
「……」
 何故だろう。
 周囲にはこんな声を出しそうな女性はおろか、人っ子一人居ない。
 インターネットも人並みにたしなむが、脳内彼女を持っているワケでもない。
 じゃあ何故、女の声が聞こえるんだろう。
「ね、ねねね? 食べてみて、お願い。ていうかね、食べなさいよ。刺すわよ」
 ――腕の中のおでんから。
 とてもゆったりとした動作で、俺は首を傾けた。はっきりしっかりとそれを見つめる。
「ねーねーねー! 無視しないで! 食べて食べて、わたしを食べてってたらあ!」
「……あぁ、うん」
「え!? うん、ってことは食べてくれるってことなのね! さぁさぁ、ほかほかなうちに召し上がれ!」
 ――認めよう。認めようじゃないか。
 発声器官なんぞあってたまるかな代物から音声が発せられていることを。
 認めはした。認めたが、だがしかし理解はイヤだ。
 理解できないからといってそれを悪だ恐怖だと決め付けず、ただ探究し、真実を見極めるのが男子だと昔の偉いおっさんが言っていたような気がするが、眼前のコレを理解してしまったら俺はとても大切なものを失っちまうのは確実である。
 だから、だからだから俺は――!
「きめえよ! きめえよすごく!」
「え? あ、わ、なに、ちゃ、いやー!」
 しゃべるおでんなんぞ気持ち悪いから捨ててしまおう!
 そういう結論をミリ数秒で弾き出し、皿をフリスビーのように放り投げる体勢に入る……ッ!
「消え去れ! この世から!」
「ひど! ひどい! ひどくないそれ! じゃなくて止めて! お願いだから止めてー!」
 そして俺は勢いをつけるため、加速のための助走に入り――、
「あ」
「あらら?」
 犬のウンコさんそれも下痢を踏みそうになり、トップスピード半歩手前の状態から強引に足の着地地点をずらした所為で、
「アッー!」
 ぐらり、と視界が急激に捩れた時にはもう手遅れだった。
 地面に衝突しそうになる体を庇うためにには両腕で受身を取る必要がある。
 体育の柔道がこんなところで役に立つとはな! 勿論おでんなんぞその途中で手から離し、数瞬後には襲い掛かるだろう強烈な衝撃に想像を馳せながら受身の姿勢を取った。
「い! っつう……」
 取ったのだが、黒帯でもなんでもない俺が完璧な受身なんぞ出来るわけもない。
 それでも手のひらやらの擦過傷と引き換えに何とか頭部は守りきり、ほっと一息ついた――その日その時歴史が動いた。動いてしまったのだちくしょう。
「きゃーきゃー! おーちるー! 助けてー!」
 弁明させてもらうなら、その瞬間の俺の頭の中ではしゃべるおでんの存在など吹き飛んでいたのだ。
 そんなことより犬の下痢ウンコさんを踏まないで済んだ事と、頭部を負傷しなかったことに安堵していて――だからだろうね、いや、だからなんです。
 女の悲鳴だ! と悲しい男の性がマイクロ数秒で反射的に体を動かしてしまい、その悲鳴の源へ顔を向けて。
「今たすけおごぶぉ!?」
 そんな顔の口内に、何かとてもあっついほかほかじゅるじゅるなモンがクリーンヒットした。
 そしてワケも分からずそれを噛んでしまって、とたん口の中に溢れる旨みに「この大根すげえ美味いです山岡さん……ッ!」とか何とか、アホすぎる思考が感想を漏らしたときには、
 もうすでに俺の平穏なる高校生活は終わりを迎えていたらしいと、後悔のブリザードである。

「あ、あ、いやぁ。ぐちゅぐちゅいってるのぉ、だめだめ、そんな激しくしないでぇ!
 はう、う、だめ、だめぇ おいしいって言葉にだまされちゃだめよ、わたし……だって、あ、こんな獣みたいな食べ方……でもく、悔しいけど嬉しいのぉ!」

 場違いすぎる女の嬌声が脳に直接響いて、
 あぁ、あながちAV女優さんも芝居ばっかりじゃないんだなー
 だなんて死んだほうがいいですかね俺? なことを思ったその時には、生唾をごっくんする要領でその妙ちくりんなしゃべるおでんを飲み込んでしまっていた。
「うわああああああー! 死んだー! 俺! 死んだー!」
 そして我に返る。叫びながら指をつっこんでげぇげぇするのだが、悲しいことに脳みそには「このおでんは美味です」とインプットされていて、一向に胃液が逆流してくる気配が無い。
 吐き出せない。吐き出せないイコール俺死んだ。つまり、俺は恋とか仕事とか色んな人生の楽しいこと素敵なことを知らないまま、こんなふざけた事で死んだ。
「うぐっ」
 自然に涙が零れた。お母さんごめんなさい、とか、辞世の句を残すべきか、とか早すぎる己の死をまともみ見つめることなんぞ出来るはずもなくて。
「来世じゃおでんなんか絶対食わないぞ……えぐっ」
 三途の川を渡るための六文銭は現代でいう何円なんだろうか、六円だったら言いのにな――。
 だなんて、輪廻転生後の人生の決意とまずこの先直面する問題を懸案しつつ、俺は意識を手放した。

 ………………
 …………
 ……
 
「――天国にしちゃ、見慣れた光景だな」
 意識が戻る。覚醒してまず最初に捉えたのは、ひどく見覚えのある天井だった。
 ていうか。
「俺の部屋じゃないか」
 そして、俺はどうしてか自分のベッドに制服のまま横たわっていた。
 まだ思考が靄がかかったようにぼんやりとしている事を自覚しつつ考えてみる。
「天国が俺の部屋なのか、単に俺は死んでなくてどうやってか家に帰ったのか」
 後者だったら良いな。むしろ後者であれよ、常識的に。
 意識を手放す直前の出来事を思い返し、もしそうでなかったら日本中のおでんというおでんを一つずつ焼却処分してやる――割と真面目にその為の計画を練ろうとしたところで、
「毒なんか入ってない、って言ってたっけか」
 つまるところなんだ。本当に毒が入ってない唯のおでんだったのか。
 いやいや待て。語弊があった。
「毒が入ってないけど、人語を操る奇妙奇天烈なおでんだったのか」
 いやいやいやいやいや待て。そもそもそれに拘る必要はない。
「夢だったのか」
 うむ。これが一番しっくりくる結論だ。
 そもそも腿をつねって痛かったからという理由だけで現実だと決め付けたのが浅はかだったのだ。
 記憶は無いが、きっと俺はえらく学校で疲れる出来事があって、帰宅したら服を着替える力もなくベッドに倒れこみ悪夢を見たのだ。
 うむうむ。そうに違いない。そうであれ。そうだろ。なぁ、そうだろ?
「ううん。夢じゃないよ」
 ひざ立ちで俺のベッドに上半身を乗せた……清潔そうな前髪と立派な眉毛をしたちょっと美人な見知らぬ女の子は、月見草のように儚く笑って俺の希望をへし折って、
「お前の名前は……もしかして、」
「うん。涼しい子どもと書いて涼子。りょうこちゃんです」
 貴方がおいしく激しく食べてくれたおでんの精霊です、と。
 もう一度意識を手放すには十二分な台詞をのたもうたので、遠慮なく俺は現実におさらばを決めた。
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by kyon-haru | 2006-05-19 21:56

インディアンはうそつく!


 何か事件が起きるのが決まって放課後なのは、終わりのSHRまで俺が真面目に学生している証拠だと思ってもらいたい。さて、というわけで今日も今日とて放課後の話である。
 実家の冷蔵庫の扉を開ける気軽さと朝起きたら歯を磨く当たり前さで部室に顔を出したところ、室内には長門が定位置で毎度のごとく分厚いハードカバーのページを捲る姿がひとつあるだけだった。
 そういやハルヒは朝比奈さんと一緒に新しい衣装を買いに行くとか言ってたっけか。
 古泉は……古泉は……なんだっけ。まぁいいか。
「よう」
 5円ハンサムスマイルをコンマ5秒で思考から吹き飛ばしつつ、軽く手をあげて挨拶をする。
「……」
 長門は紙面に落としていた視線を顔ごとこちらに向けると、5ミリほど首を傾げた。
「ハルヒと朝比奈さんは買い物で今日は来ないってさ。古泉は来るかもしれないし来ないかもしれない」
「そう」
 それだけ言うと、長門は視線を紙面に……戻さずに、栞を挟み静に本を閉じた。
 え? 早くねえか?
 慣例に従えばこれは部活が終了すると同時に帰宅するという合図である。時計を見ればまだ放課後に突入してまだ十分ほどでそれには幾らなんでも早すぎると思えが、だがしかし長門はゆるりとした動作で立ち上がり本を棚に戻してしまう。
 ……なんだろう、何か急な用事でも思い出したのだろうか。それとも、あー、俺と二人きりが嫌なのだろうか。
 もしも後者だったらハラキリも吝かではないと密かに覚悟を決めていると、
「オセロとチェス、どちらがいい?」
 本とは別の、玩具のたぐいが収められている棚の前に立った長門がそんな事をたずねてきた。
 介錯は誰に頼もうかというアホな心配から現実に戻ってきた俺は心中でほっと息をつく。
 どうやら考えた二つのどちらの理由で帰宅するのでもなく、それどころか長門は俺と一緒に遊ぼうとしてくれているらしい。
 驚きやら嬉しさやらを覚えつつ、長門の定位置の正面に腰掛ける。
「どっちも勝てる気が一ミリもしないな」
 オセロもチェスも最善手というのがあり、お互い交互にそれを選択し続けると必ず引き分けになるという。
 そういうわけでチェスの世界チャンピオンとAIの勝負は引き分けになったのだが、勿論俺のチェスの腕前は高校生そのものだし、長門の方はそのAIが足元にも及ばない頭脳をもっているわけで。
「もっと……そうだな、運で勝負が決まるやつにしよう。インディアンポーカーって知ってるか?」
「知っている」
 棚からトランプを取り出した長門は、席に着くと見事な手つきでそれをきりだした。
 機会があればマジックの一つでも覚えさせてやろう、などという小さな野望を抱えつつ、勿論数字が書かれた方が見えないようにトランプを一枚受け取る。
 やろうと思えば自分の手元にキングが来るようにするくらい長門には朝飯前だろうが、そんなことは絶対にしていないと確信しながら、
「よし。それじゃあいくぞ。いちにの、さん」
 二人同時に相手にだけ数字が見えるようにトランプを額にひっつけた。
「……」
「……」
 うん。
 トランプを額にくっつけて微動だにしない長門という光景はそれなりにオツなのだが、
「……」
「……」
 よりによってエースとは。しかもハートのエースでどこか可愛らしくもある。
 すまんな。幾らなんでも引き分けはあるまいて。この勝負俺が貰った。
 ふふん、と鼻にかかった笑いをひっさげつつ、
「長門、降参したほうがいいぞ? 悪いがお前が勝つ可能性はまったく無いな」
「あなたこそ降参したほうがいい」 
「ほう。そんな手札でたいした自信だな。後悔してもしらないかからな」
「しないから平気」
「本当の本当に降参しなくていいのか?」
「……いざ尋常に」
「……いいぜ。そこまで言うなら勝負だ」
 駆け引きの間、無論長門の表情は変わることはなかった。
 俺の言葉がはったりか真実なのかくらいは簡単に見極められるだろうに、ふふふ、長門、愚かなやつめ! 
「さぁ、いちにの、さん」
 そうして互いの手札が自分の目に触れることになり、
 長門の目にはハートのエースが、俺の目には、
「あぶねぇにもほどがあるぞ……」
 ハートの2が。
 確かに2に負ける確立は6%とかそこらであり、長門に自信があったのも頷ける。だけどもな、
「俺の勝ちだな」
「不覚……」
 内心で息をつく。しかしなんて低レベルな争いなんだ。
「それじゃ負けた長門にはしっぺを、」
 できる俺ではないので、……しないからそんな目で見るなよ長門。
「……じゃなくて、茶でも淹れてもらおうかな」
「了解した」
 言うと立ち上がり、ちょこちょことした足取りでポットのところまで歩いていく。
 その後姿を見ながら、長門のメイド服姿を想像して――ちょいとばかし向こう側の世界に飛び立っている間に、目の前に控えめなしぐさで茶のみが置かれていた。
 ほかほか湯気をあげるそれを一口、ずずずっと――
「あちぃ!」
 そしてしぶい! タバコをふかす舘ひろしのごとくしぶい!
 咳き込みながら空気を口内に循環させ、なんとかしびれた舌を癒そうと試みるが、それぐらいでどうにかなる熱さじゃないぞこれは。
「けほっ、こほっ」
 口元を手で覆いつつ眦に少しばかり涙を貯めつつ、対面に戻った長門を見やる。
 温度の調節を失敗してしまったとか何とか言ってるが、その表情と瞳に浮かぶのは俺にしか分からない「悔しい」だ。
 悔しいのか、長門。それにしてもこれは酷いんじゃないでしょうか。
 舌の痺れを我慢して口を開く。
「……長門」
「なに?」
「もうひと勝負するか」
 かくんと頷いて肯定するその負けず嫌いに、
「俺が勝ったら、これふーふーしてもらうからな」
 断固そうさせてやるという決意で再びトランプを手に取って、いざ尋常に。
 ――そして俺の目の前には、スペードのエースを額にはっつけたおちゃめな宇宙人。
「……」
 何をどう言えば良いか迷う俺に長門はざわ……な勝負師の瞳で、
「わたしが勝ったら、」
「ん?」
「次の休み、一緒に図書館に」
「いいぜ。お安い御用だ」
「降参したほうがいい。その手札ではわたしには勝てない」
「えらい自信だな。そんなに俺の手札は低い数字なのか?」
「それはもう」
 ここまで言い切るぐらいだから、もしかしたら俺の手札もエースなのかもしれない。 
 引き分けの場合賭けの内容はどうなるのだろう。無効になるのだろうか。
 ……それはとても残念無念、勿体無いような気がして、
「分かったよ。降参だ」
 肩を竦めて手札を下ろした俺の目の前には、あろうことかクラブのキング。そして、
「………………」
 三点リーダを大行進させながら、己のエースを見つめるはったりキング。
 その瞳が茫洋と動いて俺を見つめた。なぜ? と問いかけられているような感覚。なぜってそりゃあ、なあ?
「なにはともかくお前の勝ちだからな。今度の休みっつうと土曜日か。午前十時に家に迎えに行くからな」
 負けたほうが良い褒美をもらえると分かっているのに、わざわざ勝とうとする俺じゃないってことさ。明日にでも古泉に旨いカレー屋の情報を聞き出すことにしよう。
 了解したと何時にもまして小声でぼそっと呟いた長門は、やおら俺の茶のみを手に取ると、ふーふーと小さい唇で懸命に息を吹きかけだした。
「勝ったんだからそんな事しなくていいんだぞ」 
「そうではない。単にこうしたいだけ」
「そっか……ありがとな」
「良い。お安い御用」
「違うさ。いや。違わないけど、とにかく色んなことにたいして、ありがとな」
 適温で淹れなくて正解だったとかなんとかいう小声が聞こえたような聞こえないような、そんな気がした。
「土曜日、楽しみだな」
「……とても」
 いまさらだが、ちっとも事件じゃなかったな、こりゃ。
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by kyon-haru | 2006-05-10 18:29

フリエンドス番外

「よっ、はっ」

 古典的な掛け声をあげながらレースゲームに集中する古泉。
 ボードゲームの腕もあれだが、テレビゲームの腕もあれだった。
 今のところ俺の全戦全勝である。一人用で練習させたが結果は変わらない。

「なぁ、古泉よ」

 画面を見つめたまま、声をかけた。
 古泉にしては珍しく、切迫した返事がくる。こんなもんで切迫すな。

「は、はい。何でしょう?」
「カーブを曲がるときにな、体は傾けなくて良いと思うぞ」
「すいません、つい……」

 と恥しそうに俯く古泉の運転する亀の大王は八位。俺の運転する緑の恐竜は一位。
 何度やっても変わらぬ結果に妹とも対戦させてみたが、

「古泉よ」
「な、なんでしょう」
「ゲームの中だから良いけどな、現実世界じゃ逆走は絶対ダメだからな」

 わーい、やったー!
 という妹の歓声を尻目に、古泉は終わらぬ二周目を走行中である。
 ……これも一種の才能かね。やれやれ。
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by kyon-haru | 2006-05-07 02:42

春雨

 春雨というのだろうか。春に降る雨の事を。
 そんなくだらないことを考えていた所為だろう……少し腹が減ってきた。
 いや、かなり減った。ぐぅ、なんて漫画的効果音だと思っていたが、本当にそういう音がした。俺の腹から。
「――」
 ちらりと長門を見やる。どうやら紙上の御伽噺は佳境のようで、視線にもページを捲る手にも随分と熱がこもっている。
 そんな長門の変化を見抜けるのは俺くらいだろう――見抜けても、腹は膨れないが。
 どうやら、今しばらく部活終了まで時間があるようだ。
「――」
 内臓が満たされるのなら心を満たそうという算段で朝比奈さんを見やる。
 いや、見やれない。至上の天使は本日は体調不良でお休みされているのである。
 変わりに古泉がお茶組係を担当しているので、明日の朝のクソはかなり快調な予感だ。
 そんな古泉はクソの肥やしを笑顔でテキパキと用意し、俺に差し出した。要らん、と突っぱねる。
「……」
 プリンでももってねぇーかなぁ、とハルヒを見やる。
 ちょうどプリンを旨そうにかっくらっていた。思わず精神病にかかりそうな笑顔だった。
 プリンひとつでお安い幸せ。羨まし過ぎて、また腹が鳴った。
 なにか、前向きなことを考えよう。そう、晩飯は何だろうか――だが、そう想像をめぐらせる俺を嘲弄するかのように、時計の短針はケツを蹴っ飛ばしてやりたくなる勢いで「5」の辺りをうろちょろしている。
「……」
 春雨、食いたいな。
 窓の外。雨は止みそうになかった。
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by kyon-haru | 2006-05-07 02:30

策謀前フリ


 朝倉が放課後の教室で居眠りしている――なんて、とんでもなく珍しい光景に出くわしたからだと思う。何時もは絶対にしないようなことを俺はしてしまっていた。軽い悪戯なのに自分で言いすぎな気がするが、これは俺の緊張具合だととってもらいたい。

「……」
 朝倉のそばに座り込む。清潔そうな前髪がさらさらだ。無防備であどけない寝顔である。
 そんな朝倉に向かってそぉっと、そぉっと手を伸ばす。奮える指先に神経を集中する。

「もうちょい、」
 指の先には、なんとも凛々しい眉毛。まゆげ。うん、眉毛だ。
 立派である。女の子にしては濃く、形も良く、ふさふさ。非常に立派である。
 ちょっとだけ触ってみたくなるだろう、普通。いや普通じゃないか。
 でもともかく触ってみたい。ちょっとした好奇心と羨望? である。指触りも良いに違いないし。

「んっ」
 ――触れる。
 ぴくりと、朝倉の口から吐息が漏れた。
 まるで赤ちゃんの産毛だった。グッド。何がグッドなんだ。
 ……ていうかどうして吐息なんか漏れるんだろう? 眉毛にも微細だが感覚があるのは分かるが、眠っているんだぞ、朝倉は。敏感なのか。

「んふぅ」
 さわさわさわさわ。
 ゆっくりとなぞってみる。うーむ。良い感じだ。癖になりそうである。
 朝倉の方も鼻から変に甘い息なんて吐いて気持良さそうである。……どうして? くすぐったいのだろうか。だとしたらこれ以上続けたら申し訳ないな。起こしてしまうかもしれないし。

「すまんな。寝てるところ」
 小さく謝って、立ち上がった。結局俺は何をしたんだという巨大な疑問が残るが、良い体験だったのは間違いない。なんだそりゃ。
 そして、音を立てずにそっと教室から出ようとした時である。後ろから朝倉のぼんやりとした声が聞こえてきたのは。

「……もっと、触って」

 なんだ? もっと触って、とそう言ったのか?
 寝言にしちゃあずい分と色っぽい声だったからだろう。
 柄にも無くドキリなんてしてしまった俺は、振り向いていた。

「……朝倉」
 朝倉は机から身を起こし、虚ろな目で俺を見つめていた。というよりは、ぼんやりと俺を含む周囲の背景と一緒に視界に捉えていたという感じだ。焦点が定まらないというのはこういう事を言うんだろうな。
 明らかに起き抜けだった。恐らくさっきの台詞は寝言だったんだろう。寝言じゃないと困る。誰が困る?

「悪いな、起こしちまった」
 謝りつつ、あのまま寝ていた方が風邪でもひいて大変だったんじゃないかとも思う。
 結果的に起こして正解だったかもな。

「あれ、私、」
 ぱちぱちと瞬きをして、朝倉は頭を振った。
 まだまだ意識の半分は夢の世界なんだろう。きょろきょろとあたりを見回して、最後に時計を見て驚いた顔をした。

「えーとだな」
 傍に行き、忘れ物を取りにきたらお前が居眠りしてて、俺が教室から出ようとした時に起こしてしまった。と状況の説明をしてやる。
 恥しいところを見られたな、という風に朝倉は少し俯いた。前髪がふわりと揺れる。

「ちょっと疲れてたみたい」
「そうか」
「起こしてくれてありがとね」

 それほどでも。と適当に答えておく。
 起こすつもりはなくて結果的にそうなっただけで、しかも寝ている間に軽い悪戯をしてしまっていたからな。

「寝顔、見た?」
「さぁな」
「案外意地悪なのね」
「何のことやら」

 寝起きとは思えない晴れやかな笑顔で、朝倉はふぅと息をつくと鞄をつかんで立ち上がった。
 見たとも見てないとも言ってない俺の曖昧な返事をどうとったのかは知らないが、あまり気にしていない様子である。いや、助かった。

「学校で何か用事あるか?」
「ううん。どうして?」

 窓から差し込む夕陽の中に二人。伸びた影は長かった。人気のない校舎の教室に、熱心な部活の掛け声が届いてくる。おおかた陸上部だろう。熱意のわりにかんばしくない成績が伸びれば良いなと、人事に思う。

「途中まで送ってこうかと思ってな」

 良い体験させてもらったし、それくらいしないと罰が当たるってもんだ。
 朝倉は僅かの間だけ考えこんで、月見草のように微笑んだ。

「それじゃ、お願いしようかな」
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by kyon-haru | 2006-05-07 02:30

誰かの厄日

「キョン、ちょっと話あるから残ってて」
「厄日か」
 古泉君にまぁまぁと肩を叩かれて、キョンは俯いて溜め息を吐いている。
 失礼もここまで来ると何だかすがすがしくて、怒る気分にならない。
 何でかしら。あたしの心が月の静かの海より広いからね。器量の良い女はもてるのよ。
「じゃあな、長門、古泉」
「ええ。お先に、涼宮さんも」
「……また」
「ばいばい、二人とも」
 意味ありげな目線の有希の肩を、また古泉君が叩く。
 将来しけた会社の中間管理職になったら怖いタイプね、と思考転換。
 何で有希があんな目をしてたのか、なんとなく――知るか。
「で、何の話だ」
「あたし、傘忘れた」
 キョンはバナナのむき方を知らないサルを見るような目であたしを見た。
「本気で言ってるのか」
「嘘ついてどうするのよ」
 そっぽを向きつつ、だから、とあたしは言った。
 アンタの傘が雨を遮断する面積の半分、あたしによこしなさい。
 何でそんな変な言い方になってしまったんだろう。あたしにとって素直は酷い生理より強敵だから。 
「まぁ、構わんが……途中のコンビニで、ビニル傘でも、」
 疾風怒濤でその先を遮る。頬が赤くなっていないだろうか。
「財布も、忘れたわ」
 今度こそキョンは絶句していた。
 それでも――たっぷりと十秒間固まってはいたけれど――最終的には、
 やれやれやれやれ、だなんてちょっとやれ多すぎよ、一緒に帰ってくれた。
 ゆっくりと歩き、キョンは左肩を濡らし、あたしは濡れずに、たわいないおしゃべりをしながら、家まで。
「……たまには役に立つじゃない」
「やっぱり厄日だった――じゃあな」
 風邪ひくんじゃないわよ――! と言いたかったのに、ありがとうとあたしの口は呟いていた。
 傘をぐいっと天に掲げてキョンが返事をする。背中がいいってことよ、と言っていた。
 全然似合ってなかった。

 余談だけれど、今日は早朝から雨が降っていて、あたしのお昼は食堂だった。
 ……だからなんなのよ?
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by kyon-haru | 2006-05-07 02:29

わたしはぼくになる。


 昨日の戦いはあんまりにもあんまりだった。
 ……あの人が体調不良で部活を休んだというだけで、特大の閉鎖空間発生だ。
 彼女が彼に対して恋愛感情を抱いているのは良い。良いけれど、ここまでのめりこむとなると不味いのではないだろうか。
 低下の一途を辿っていた閉鎖空間発生率が、最近は急増している。
 疲れた体をベッドにぶちこんだのは、確か夜中の三時で――現在は七時前だ。
 三時間と少ししか眠れていない。けれど、それでも学校を休むわけにはいかない。
 彼女の監視も重要な任務の一つだからだ。それも自分のようにかなり近くに居る人間にとっては。

「――ふう」

 顔を洗い、歯を磨く。適度に髪を整えて、簡単な朝食を取る。
 そして――パジャマを脱ぎ捨てた。
 現れたのは、歳相応にふくらみと丸みを帯びた胸。くびれたウエスト。ひょろりとした痩躯。

「……」

 無言でさらしを巻いていく。最近、とてもきつくなってきた。
 そろそろ限界かもしれない――僕を演じるのにも。
 しかし、構いはしない。その時はまた、別の不思議な転校生が現れて、”僕”は二度目の転校をするだけだから。

「……」

 鏡の中には、自分で言うのもなんだけれど、 ほっそりとした顎のラインの、なかなか可愛い顔があった。
 薄い唇が魅力に欠けている気がして、どうしてか悲しい気分になる。
 そんなことは考えるな――無理やりに自分を誤魔化して、なれた手順で特殊なメイクを施した。

「……」

 そして、制服を着込む。男子用の、制服を着込む。
 ……股間のところに、少しだけ詰め物をいれる。ここまでしなくて良いと思う。
 セミロングの髪をゆってまとめ、鬘をかぶる。夏場はムシムシしてたまらない。
 咽に特注の咽ぼとけ型変声装置を装着する。アルトソプラノのオクターブがいくつか下がる。

「……」

 鞄を手に持った。
 最後に、25センチなんて、殆ど義足に近い冗談みたいなシークレットシューズを履く。

「……行って来ます」

 行ってらっしゃい、という声はない。  
  

「おはようございます。今日は――いえ、今日も良い天気ですね」


 そうして今日も、わたしはぼくになる。
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by kyon-haru | 2006-05-07 02:28