<   2006年 06月 ( 13 )   > この月の画像一覧

ぼくはわたしになる。

 二年生に進学したての、朝の登校時の事だった。
 何時ものようにえっさらほっさらと学校に向っていると、同じ北高の女生徒が自転車を停め、その傍らに座り込み、なにやら難しい顔をしているという場面に出くわした。
 何してるんだろう? 興味本位だった。自転車を漕ぐスピードが遅くする。
 そうしてよく見遣れば、その生徒の自転車のチェーンが切れている事に気がついた
 なるほど、とすぐに理解する。つまりまだ学校には距離があり、周りに自転車屋も何も無いところでチェーンが切れてしまい、さらに自転車を此処に置いて歩いて行けば遅刻確実で彼女は困っていると。
「ちょっと見せてみて」
 と、近くに自転車を停め、声をかける。チェーンが外れたならまだしも、切れたとなるとどうしようもないのだけれど、だからといって困っている女の子を見捨てるような鬼畜な性格もしていない。
 女生徒はいきなり男に声をかけられて不審者か何かと警戒したようだが、俺が同じ制服を着ているのを見てほっと息を吐き出した。暗い面持ちで、自転車を指差す。
「走ってたら急にチェーンが……」
 言って、そっと横に移動する。俺は今まで彼女が居た場所に屈みこみ、見事にギアから外れ、円状から紐状へとに退化したチェーンを見遣った。
「うーん」
 ……油が切れているし、かなり錆び付いている。長い間使っているのに、整備はあまりしていようだった。経年劣化。寿命かな、こりゃ。今日でなくても、近いうちに切れていただろう。

「あの……駄目ですよね」
 うんうん唸っているところに、横から女生徒が沈んだ声がかかる。
「言い難いけど、そうだね。それに……今日でなくても、近いうちに切れてたと思う」
「……そう、ですか。困ったな」
 女生徒は殆ど泣きそうな顔で俯いた。華奢な肩が震えるのにあわせて、肩口で切りそろえた黒髪が揺れる。新入生なのか、真新しくアイロンがパリッと効いた制服に、新品同様の靴を履いていた。うむ。入学そうそうこんな目に遭えば、そりゃ泣きたくなる。春の気持ちの良い陽射しさえも恨めしく感じてしまうだろう。
 さらに今気がついたことだけれど、この後輩の女生徒は――はっきり言って可愛らしい顔立ちをしていた。年中V8エンジンをフルスロットルで吹かしているような誰かとは正反対の、清楚でおしとやかそうな雰囲気。今現在俯いて目尻に涙を溜めているその表情は、はっきり言ってブッチャーも裸足で逃げ出すような反則技だ。
 となると俺が何をするか何て事は考えるまでもない。
「とりあえず、君の自転車は此処に置いておこう。修理できないし、チェーンが切れてる自転車を盗むなんて変な泥棒も居ないだろうし」
 二人して立ち上がる。女生徒は俺の言葉に「はい」と小さく返事して、自転車の前カゴから鞄を取り、念のためとキーをロックした。

「すいません。ご迷惑をおかけして」
「いや、こちらこそ何も出来なくてごめん」
 頭を下げあう。あぁ、礼儀もきちんとしているなぁ。なんて感動してる場合ではない。のんびりしていると本気で遅刻してしまう。
 しかも女生徒は「歩いてどれくらいかかるなぁ……」と小さく呟きつつ、どんどん顔にかける斜線を濃くしているのだから。
「それじゃ、行こうか」
 自転車に跨って、俺は後ろの荷台をぽんと叩く。
「え?」
 俯いていた顔を上げて、女生徒は昨日食べた麻の実の味を思い出そうとしている桜文鳥みたいに首をかしげ、俺の顔を見た。目尻に溜まっていた涙の雫が、光に輝き、はじけて消える。もし辞書の妖精の項目について説明文を書けと言われたら、俺は朝比奈さんとこの娘の二人の事を書くだろう。
 俺はやぶからぼうだったね、と前置きをして、
「二人乗り。したことない?」
 出来る限りの笑顔で、そう言った。

 ボーイズⅡメンの『エンドオブザ・ロード』を頭の中でリフレインさせながら、ハイキングコースかという坂を一気に――とはいかないまでも、いつも以上に気合を入れて突き進む。
 一人でもキツイというのに、今日は二人なのだ。だが枝に可憐な蝶がとまったからといってへこたれる大木があるだろうか。あるわけない。しかも大木は自ら花を咲かせて、蝶を自分の枝へと招待したのだ。俺には大木より盆栽がお似合いだとか言うな。
 ぜぁはぁ悲鳴をあげる肺に活を入れて、自転車を漕ぐ漕ぐ漕ぐ。
 疲れた素振りを見せたらだめだ。気を遣わせないように。
「そんな。良いです。歩いて行きます」「これ以上ご迷惑をおかけできません」「……二人乗り、したことないんです」と、遠慮する彼女を「平気平気。先輩の好意を無碍にしないでよ」とかハルヒあたりが聞いてたら爆笑しそうな台詞で何とか説得したのだから。
「もう少し。何とか間に合いそう、だね」
 声が切れてしまったのは息が切れたからではない。いや、正直息はみじん切りだったのだが、とにかく落ちないようにしっかり捕まってて、という説明に対して女生徒がとった行動が”俺の胴に両腕を回してがっしりと抱きつく”だったからであって、そちらの方に意識を向けると――やっぱり息が切れたでいい。語るべからず。心の引き戸にそっとしまっておこう。引き戸には『青春』とまるっちい文字で書かれている。


 谷口とか国木田とか古泉とか……何よりハルヒに見られませんように、という願いは遅刻ぎりぎりにすべり込む、という時間帯が解決してくれていた。と思いたい。
 見知らぬ生徒達からの奇異というか好意というか、主に男子生徒からの殺意の視線を多少集めたが、そんなものは些細な問題だ。何か文句あるヤツはかかってこい。長門に頼んで叩き潰してやろう。
 駐輪場までやってきた。ふぅ、と息を吐く。足の中では乳酸が歌えや飲めやの大騒ぎをしているが、ぐっと堪えた。心地よい疲労というかなんと言うか、とにかくそういうもんだ。
「……着いた、よ?」
 と、一向に女生徒が手を離さないし自転車から降りてない事に気がついた。
 声をかける。と、女生徒は慌てて手を離して自転車から降りると、
「す、すいません。その、ずっと目瞑ってて、着いたことに気がつかなかったです」
 顔を赤くしながら小さな口を忙しなく動かした。手をバタバタさせるその姿は非常に可愛らしいのだが、初めに感じた清楚でおしとやかな雰囲気、には相反するものだった。いや、ナノミクロンの文句もないけれどね。
 こほん、と咳払いを一つ。
「きみの自転車は帰りに拾おう。放課後に門のところで待ってるから」
「い、いえ、良いです。本当にそこまで先輩にご迷惑をおかけできないです」
「良いって。のりかかった船だから。最後まで先輩面させてよ。面子を保つ、と思ってさ」
 またハルヒあたりというかハルヒが聞いてたら録音したあげく何度も繰り返し再生されて、そのたびに大爆笑されそうな台詞だ。よくもまぁこんなにスラスラ出てくるものだと自分でも驚きだが。

「それじゃ、放課後に」
 それからもう直ぐ予鈴が鳴っちゃうからとか何とか言って女生徒を説得して、俺たちは下駄箱で分かれた。何度も何度も「ありがとうございます」と頭を下げるあの娘は本当に良い娘だ。
「あの、先輩のお名前は」
 別れ際、訊ねられる。そういえばお互い自己紹介も何もしてなかったな。遅刻しそうだってことで必死だったから。 
「キョンで良いよ。みんな、そう呼んでるから」
 好ましい人には渾名で呼んでもらいたいじゃないか。と、そういう事にしておこう。しておかないといけない。
「本当にありがとうございました。ええと、キョン先輩?」
「あぁ、うん。良いって良いって」
「はい。ありがとうございます。あ、私の名前は――」
 はにかみながら笑う彼女に暫し見惚れてから、俺は教室に向った。


 ――そうして彼の後姿が消えるまで見送った。
 私の名前はいつきです。
 そう聞いて、彼は俺の知り合いにも同じ名前のやつが居るな。けったいな男だけど、と笑った。
 そのけったいな男が今年度から居なくなったと知ったら、彼はどう思うだろう。
 悲しんでくれるだろうか? 悔やんでくれるだろうか?
 一言あってもよかっただろ、と怒ってくれるだろうか?
 ――そうだったらいいな。ううん。きっと全部想像した通りの行動をとるだろう、そういう彼だからこそ。

「さようなら、僕」

 こんにちは、私。
 他の新入生よりも一歳だけ年長な私は、ちいさくちいさく呟いた。
 さて。どうやれば上手に二回目の入部ができるかな……。
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by kyon-haru | 2006-06-26 00:55

あしうらゆかい

「いっでええええ!」
「やっぱあんた肝臓悪いわねー」
 ということでしばらくお酒無しね、とにこにこ顔で俺の足裏のツボを指圧する我妻。
 俺のほうも妻の足裏のツボマッサをしているのだが、どこを刺激してもむにむにするだけで一向に堪えない。
 愛妻が健康体なのは非常に喜ばしいことだが、この痛みしばらく忘れられない!
 ていうか肝臓が悪いんじゃなくてただ単にお前が怪力なだけなんじゃないか。
「へー、ほー、そういうこというんだ」
「ああああ、いいい、だだだだだ、いだぁ!」
 足の裏に穴開くって!
 ごめんごめんタップタップと床をばんばんして、ようやく開放される。
「ぜー、ふはー」
「だらしないわねー。泣くんじゃないわよ」
「……ぐすん」
 これが辱められた気分なのだろうか。
 息も絶え絶えに恨みがましい視線を向けても、妻は俺を見つめて向日葵のような笑顔だ。
 その勝ち誇った笑みに、男としての原初のプライドをえらく刺激された俺は、
「こちょこちょこちょ」
「きゃ、や、ばか、きゃは、あはははは!」
 マッサでは敵わないということでくすぐり攻撃にうってでるわけだが、
「こちょこちょこ、ちょ――」
「ちょ、もう、あは、バカ、やめ……ん? どったの?」
 短いスカートで足をばたばた暴れるもんだから、下着が、
「黒か」
「あほー!」
 こそばしていた方とは逆の足裏が視界いっぱいに広がるのをスローで眺めつつ、
 お酒禁止はいったい何時まで続くのかなー、とワリと真剣に悩むのだった。
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by kyon-haru | 2006-06-24 13:28

げこすぺ2

 ちりりーん。ベルを鳴らして前を歩いていたおばあさんに脇にそれてもらう。
 杖に頼らないしっかりとした足取りのおばあさんは「あら?」という感じで振り返り、
「いつもにっこりほほえんでーやってみますのみくるですーふふっ」
 けったいな歌とそれを発する生物とそれを後ろにのっけて走る俺を見て「あららおほほ」と上品ににっこりと微笑んだ。
「……っ」
 うぐぐぐと歯を食いしばる。なんという生暖かい視線。今のおばあさんだけではない。道行く人々すれ違う人々全てにおおむねそういった視線を向けられる。
 恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。耳の毛細血管さえも血行が良くなってるのが分かる。
 あぁ、後ろで能天気な歌を超ご機嫌に歌い続けるみくるの頭を誰かはたいてやってくれないか。 この際ハリセンくらいまでなら許す。だがグーでやりやがったら俺が三十倍返ししてやる。いや無茶苦茶言ってることは自覚してるが、こんなに喜んでるんだったらそのままにしておいてやりたいという気持ちと幾らなんでも小学校低学年じゃねえんだからその歌はねえだろという気持ちが反発しあっていてだな、でもやはり恥ずかしいから「止めろよ」と注意してやるぞと信号待ちで後ろを振り返ってみれば思わず虫歯になりそうなみくるの本気の笑顔が輝いていて――
「ありがとっ、キョンくん」
「あぁ……良いってそんくらい」
 そう言うしかねえだろ。
 分かった。分かりました。分かります。諦めた。こいつの気が落ち着くまで好きにさせておいてやろう。機嫌が良いことは悪いことじゃないし、俺が羞恥を我慢すればすむ話だ。
 はふぅ。やれやれちくしょう。家まで後どれくらいかなと脳裏に簡略した地図を描きつつ肩を竦めたらその上からにょきっとみくるの手が伸びてきて、かえるさんが俺の目の前にやってきた。
 げこげーこ。よう暫くだな、の意味。かえるさんはみくるの手で口を動かされ、作りもんのべろをみょーんと垂れ下げて、
「げこげーこ」
「いや、生憎かえる語は履修してなくてな」 
「げこ?」
「いやいや、首をかしげらてもだな……」  
「げろげーろ」
「青空球児かお前は」
 ぽこんとかえるにデコピンをくれてやる。
「ぐわっ」という鳴き声にうすら寒いものを感じつつ最近新喜劇を見ていないことを思い出しつつ、このアホな腹話術でみくるは一体何を俺に伝えたいんだと頭を痛くしていると、
「お姉ちゃんがね、お遣い賃にってお昼代くれてたの。キョンくん何か食べたいものある?」
 とすんと俺の肩にあごが乗り、耳元でしたったらずな甘い声が今思い出したのと囀った。
 後ろから半ば抱きつかれる格好である。えらく密着するもんだから背中にみくるの胸が潰れるくらいに押し付けられていて、ここまでされると天然じゃなくて確信犯じゃないのか、誘惑してもっとかえるを買わす気なんじゃねえかと邪推するのはひとえに俺が英語でニワトリだからなのだが、別段ケンタッキーが食べたいという気分ではあらずどうせなら桃かメロンあぁ相変わらずやわっこくてむちむち――じゃなくて、そもそも何食うにしても資金次第であり、
「幾らもらったんだ?」
「んーと」
 かえるが引っ込み、がさごそと財布を捜す気配。顎を肩に乗っけたままで捜しにくくないんだろうか。いや嬉しいんだけどね。
 しかし嬉しいとか思った所為ですぐに顎が離れていく。財布の中を覗きこんだらしいみくるは「あちゃぅ」と不景気な呟きを上げ、今度は俺の腋、腕の下からひょこっと顔を出した。これは嬉しいんだろうか? 上目遣いをするのにも首が痛そうな無理な姿勢に見えるが、視線が重なるとみくるはしょげた声で、
「二人で千円……」
 ごめんね、とほほ……と、申し訳無さそうに。
 ふむ。二人で千円となるとファミレスなんぞは無理だな。選択肢はハンバーガーなファーストフード店一択だろう。それに対し俺としては何の文句も不満も無いのだが、みくるは「お姉ちゃんせめてもう一枚そうせきさん……」などとふてえ事を抜かしてやがる。もう一枚くらい俺が出してやっても良いが、その前に成敗が必要だな。
 俺はみくるがくぐっている方の腕に力をこめ、ヘッドロックを決めてやった。
「うぎゅっ」
「贅沢言うんじゃありませんよこの子はもう! 千円で十分でしょ!」
 くのっくのっ、とぎりぎり締め付ける。
 無論手加減はしているが、みくるは「ふみー」「やめてー」「いたいぃ」「うにゃー」と大騒ぎだ。成敗大成功。だがしかし、
「ったく」
 あんまりやるとチャリンコが転倒する勢いだったのですぐに腕を緩めてやった。ぬるいプロレス技であっさりボロカスになったつむじに向かって声をかける。
「天気も良いしハンバーガーでも買って公園行こうぜ。決まり。ほれ、行くぞ」
 みくるは「わがりまじだぁ……」とめそめそ首を引っこ抜き、二人乗りスタイルによちよちとゆっくり戻る。かえると財布をしまいこむの待って腕が胴に回され、いざ出発せんと前方を注視すれば信号はアホやってる間に赤から青になっており、その青も点滅したやいなや瞬く間に赤になってしまった。
「……」
 横断歩道の対岸でさきほどのおばあさんが「あららおほほうふふ」と笑っている。
 何時の間にか追い抜かれていた――そのことよりも、今の間抜けコントを一部始終見られていた事に気がついて今日一番の羞恥に顔を俯ける俺の背後からは、
「いつもにっこりほほえんでーやってみますのみくるですーふふっ」
 切り替えはええなおいと突っ込むべきか、いい加減にしろよてめえと突っ込むべきか迷う歌が響き、隣で信号待ちをしているおじいさんの連れた犬にまで「わうーん」と笑われてしまった。
 バウワウ。もう好きなだけ歌えよの意味。やれやれもう。

 ………………
 …………
 ……

 適当にハンバーガーセットを持ち帰りで仕入れ、川沿いの公園にやって来た。春は桜の名所で休日となれば大勢の人で賑わうが、葉桜になって久しいので今はそこそこに閑静な空気を漂わせている。つまり落ち着くには持ってこいだ。
 たまに食うとジャンクフードも中々美味いんだよな、ともくもくやっていると、
「ねぇキョンくん、ハトさんにポテトあげてもいいかな?」
「お前の分なんだからお前の好きなようにしろよ」
 みくるはそう言い何が楽しいのか「うふふ」と笑いながらポテトを細かく千切り、あぁもう手が油だらけじゃねえか、後で水道で洗わんといかんなやれやれ……という俺の心配の視線をお構いなしにハトの群れにてとてと駆け寄っていく。
「ほう」
 なんとも微笑ましい光景じゃないか。
 麗らかな日差しの下、風の噂じゃそろそろ俺をしばきまわす計画が練られているという程の可愛い女の子が群れるハトに餌を――
「はい、ハトさん。ポテ……って、わー! ふみゃー!」
「くるる!」
「くるっぽ!」
「くるっくー!」
 ――あげるはずだったのに何時の間に強盗される段取りになっていたんだろうか。
 みくるは「良いからその箱ごと寄越せよ!」と言わんばかりに荒れ猛った野生の鳥類どもにフルボッコに遭い、目をぐるぐる回し慌てふためいている。
 わーわーきゃーきゃーくるっくくるるくるっぽ!
「……」
 ヒッチコックの映画のような光景に思わずげんなりとした溜息を吐く。
 鳥頭な連中でも「コイツには束でかかれば楽勝だぞ」という事くらいは理解できるらしい。
 助けようか助けまいかハトだって腹減ってたんだなぁ、などと悩んでいる間に嵐のように白や灰や茶のハンターどもはばっさばっさと去っていき、後にはまさにサイクロンに直撃された海外の田舎の寒村のようなみくるが呆然唖然と女の子座りでへにゃんと腰を下ろしていた。
「う……あ……うぅ」
 ふるふると震える瞳と肩が哀れである。
 ……さすがみくる。俺には到底無理なことを平然とやってのける。そんなんだから目が離せない上に隣に居てやら無いと心配でならない。
「大丈夫かよ」
 これはトラウマになるやもしれんと同情しつつ髪の毛に絡まった羽を引っこ抜いてやり、すっかり空になったポテトの箱を受け取って、恐怖のあまりかぴくぴく痙攣する手をとって立ち上がらせてやった。
「弱肉強食の良い勉強になったな」
「うぅぅ……。吃驚したし怖かった……」
 半べその乱れた服を適当に正してやる。どこも破れたりしているところは無いな。お気に入りらしいからせめてもの救いだが、梳いてセットしてた髪の毛のぼさぼさはどうするかね。櫛何ぞ持ってる俺じゃないし、みくるは持っているだろうか。
 持ってんのか?
「かばんの中にあひゃうっ」
 みくるはお母さんに服を着せてもらう子供のような状態が恥ずかしかったのか赤い顔で慌てて走り出し……こけた。見事なこけっぷりだった。
 べちゃんという擬音とともにみくるは顔面から地面に激突――を免れたのは胸に衝撃を緩衝してくれる物体が二つ装着されていたからだろうね。そんな用途に使うために付いててたまるかだが。
 芝生が生えてるから別に打ち身をしたってこともないだろう。しかし駆け寄って身を起こしてやるともう本泣き一歩手前なみくるの顔はぐしゅぐしゅのふみふみで、
「ひざすりむいちゃった……うぅ」
 かほそい声で呟き、膝にふうふうと息を吐きかけながらも、眦から一滴涙を零れさせた。
 ――小学生の時分だったかな。自転車に乗れないなんて恥ずかしいとみくるにしてはドがつく根性で来る日も来る日も猛特訓をしたことがあった。特訓自体は今でもやっているが、その頃はすさまじさが違ったのだ。で、何がすさまじいって怪我の度合いだ。受身とか体のバランスやら成長も未熟なもんだから、もうそれは思いっきり怪我をするのである。
 んで、わんわんえんえん泣き喚く。それを俺が慰める。おぶって家まで帰る。後に自転車をとりに戻ってくる。みちるさんにお礼を言われる。あくる日みくるにもお礼を言われる……を繰り返した。でも乗れなかった。今でも乗れない。努力の神様のくそったれ。
 そんな回想をコンマ二秒で終えた俺はこれを持ってきて良かったと思いつつも出来るなら役に立たずに一日が終わることを望んでいたのも確かだが、ま、こうなっちまったらなっちまったでぐじぐじ考える時間も惜しいのが現実であり、
「手と一緒に水道で洗おうな。そしたらばんそうこうはってやるから……ちょっと擦れたくらいで泣くなよ、ほら、立てるか?」
「んーんー」
 指で涙をぬぐってやるとみくるは小さく首を横に振った。嘘付けとここで突っ込むのはなんとなく野暮で空気読めない気がして、俺はさも気だるそうに「しょうがねえな」と息をつく。
「毎度のことだけどしっかりつかまっとけよ」
 みくるの膝の下に手を差し込み、よっこらせいと持ち上げる。
 出るとこ出てるくせいに何でこんなに軽いんだろうね。軽くて何にも困ることはないが、石川啄木の詩にもあるように軽すぎるのもまた考え物だ。
 国語的な思考をめぐらせつつ、俺の腕の中で借りてきた猫のように大人しく服の裾をつかんでみくるはさっきまでの上機嫌が嘘のように意気消沈していて、その原因となったハト畜生どもに対する怒りを今更俺の中に芽生えさせる。今晩の飯はお袋に頼んで焼き鳥にしてもらおう。
 そういや九を二つ重ねたお笑いコンビのボケのほうがやたら番組でハト料理を食っていたな。あれも俺と同じように何か恨み辛みを覚える真似をされたからなのかね、とアホな想像を浮かべながら、
「お前ちょっと痩せたか?」
 痛みが紛れればと声をかける。
 褒めたつもりだがみくるはゆるりと首を横にふった。
「んーんー」
 違うらしい。
「じゃあちょっと太ったか?」
「んーんーんーんー!」
 どうやら激しく違うらしい。足までばたつかせて否定せんでもいいだろうにと思うのは俺が男で己の体重に無頓着だからだろうね。
「すまんすまん」と小さく謝る頃には水道にたどり着いていて、みくるを降ろす。サンダルみたいな靴を履いてるが濡れても大丈夫なのだろうか? 最近暑いつっても足元を冷やせば体調を悪くしそうだし、履物が水まみれじゃ気持ち悪いよな。……よし、脱がすか。
「ひゃんっ」
「ちょ、おい、変な声だすな」
「だって……急に足首つかむんだもん」
 こそばいよう、と言われても我慢しろとしか言えん。というワケでちょっと我慢してろ。
「……んっ」
 素直に変な声上げてもらっていた方が良かったね。うん。そんな艶かしい息はかれると変な意味でこっちが困りそうだぞちくしょう。
 とかなんとか馬鹿してる間にもうサンダルでいいやを取っ払う。ワンピースが濡れないように少し捲り上げさせ、眼前に引き締まってはいないがいかにも柔らかそうな太ももが――、
 ジャージャージャー!
「つめたぁーいぃ、しみるよぅ」
「我慢しろ。我慢しろっ!」
 傷口に土やら草やら入って残ってしまっては大変だ! それはもう大変だ!
 毛根の奥までつるぴかにしてやんぜとしこたま丁寧に洗浄し、濡れた膝から下をハンカチで拭いてやる。
「ひゃうぅ」「うぅ」「んっ」良いよ良いよ好きなだけ声出したまえ。ガキの頃はなんとも思わなかったことに何で一々反応せにゃならんのだ……あーいや理由は分かってるさ。分かってるが、今はともかく治療だ。
 二枚持っていたばんそうこうを両方つかって傷口を覆う。痕が残りませんようにと口には出さず心の中でお願いして、サンダルを履かせてやった。
「よし、オッケイ」
 一仕事終えた爽快感でみくるを見上げる。されるがままに変な声発生器になっていたみくるは俺と視線が合うともじもじと体を揺らし、ごめんねと小さく言ったがしかしすぐに反対の意味の言葉を照れながら、
「……ありがと、キョンくん」
 良いってことよ……それよりな、お前。
「なぁに?」
「手も洗っておけって……俺の服に、」
 べっちょりついてんじゃねえか……。
 さっき抱き上げた時に服を掴んでいたからその時に付着したんだろう。不可抗力だから怒るわけにもいかん。つかまっとけと言ったのは俺だし。
「どうしたの?」
 きょとんとした何の邪気も無い表情に……はぁ、言えるわけねえし言ってももうしょうがない事だ。パーカーの色は黒だから汚れてても大して目立たないしな。
 つうワケでなんでもねえよとぶっきらぼうに返事をする。
「そう? ……そろそろ帰る? もう歩けるよ、あたし」
 そうだな、そろそろ帰る――のを勿体無いと感じるのは先述した一々反応するあの理由と同じ理由なんだろうな。せっかくの休日をハトに襲われたで終わらせたらこいつがなんとも惨めだし、みちるさんが録画したい特番だってまさか今日の昼から放映するってわけじゃないだろうし、
「いや、もうちょい道草食おうぜ。家帰っても暇だしな」
 姉ちゃんにだっていざとなれば彼氏居るんだ。俺とみくるが少し遊んで遅くなったって困らないだろう。
 みくるは怪我した足で色々と移動したりする事を懸念したのか少しばかり思案顔を浮かべたが、今はベンチで俺たちを見守っているかえるさんに一瞥をくれるとそれで何か感じるものがあったのか、
「うんっ」
 梅雨の晴れ間に輝く紫陽花のようにえへへと微笑み、やたら気合のはいった首肯をした。
 よし。そういうことならさっさと行こうぜ。よく言うだろ。善は急げとか何とかってな。

 ………………
 …………
 ……

 おかしいな。うむ、非常におかしい。
 俺たちはみちるさんのお遣いですたこらさっさとDVD-Rを買って帰るはずだった。
 それなのに何で公園で飯食った後雑貨屋を冷やかしたりCDショップで新譜を視聴したりデパートで茶葉を買ったり毛糸を買ってやったり本屋で立ち読みに耽ったり玩具屋でかえるの結婚相手を仕入れたりしたのだろうか。
 そんなことをしなければ――

「うふふ。お昼食べた後デートしてきたのね。良いわね、それはもう楽しかったでしょうね。二人がらぶらぶいちゃいちゃしてる間にあたしが録画したかった初夏の吉本スーパー新喜劇終わっちゃったけどね。うふふ。あはは……あらぁ? どうして二人ともそんな死にかけの子犬みたいにぷるぷる震えてるの? そんな仕草されたらあたし……思わずトドメさしちゃいそう。うふ」

 ――サーセーン!
 と夕暮れの中みちるさんに二人して土下座しなくても済んだのにな。
 ……はは。……はぁ。あ、あの、みちるさん、その木刀何に使うんですか。あと怒った顔も素敵ですね。ええ、それはもう。だからですね、ええと、出来るなら殴るのは男の俺だけでみくるは流石に簡便してやって欲しい所存でして、
「キョンくんっ、いいの、あたしも悪いんだから」
「アホ言うな。黙って俺にカッコつけさせろ」
「ラブラブすんじゃねぇボケどもが!」
 ひぃぃ! サーセーン!

 どっとはらい。
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by kyon-haru | 2006-06-23 01:51

げこすぺ1

 休日の話だ。特別予定用事があるわけでもなく姉ちゃんと伊賀甲賀忍者ごっこをして遊んでいると携帯が鳴った。甲賀役の姉ちゃん忍者に捕らえられた伊賀の俺忍者は拷問されている最中だったのでこりゃありがたいと来たもんだ。忍法お色気の術ー! という「う、うん……」としか言えないような事をやりだした姉ちゃんをスルーして、相手も確かめもせずにワンコールで出る。
「もしもし、誰だ?」
 当たり前すぎる話だが携帯はかかってきた相手が出る前に分かる仕組みになっており、俺の台詞が予想外だったのか電話をかけてきた相手は若干声に驚きを含ませて、
「あ、あと、えと、朝比奈と申します」
 何故かやけに改まった挨拶を繰り出した。
 かちこん、いう音が頭の奥で。俺のコントスイッチオンである。
「あぁ、朝比奈さんですか。何時もお世話になっております」
「い、いえこちらこそお世話になってばかりで……あのう、キョンくんの携帯ですよね?」
「はい。私がキョンです。朝比奈さん、この度はどういったご用件でしょうか?」
「わ、わわ、あのね、お姉ちゃんが録画できるDVD買って来いって……だから、その、一緒に行って欲しくて、わわ、行って頂きたいしょじょぐえっ」
 無理に丁寧語を遣おうとして舌を噛んだらしい。
 ふみぅーという情けないうめきを右耳で受け止めつつ、俺の方もコントは終わりと何時もの口調に戻り、
「駅向こうの家電店だな。別に用事もないし良いぜ」
「あひはほほ……」
 んじゃ五分後に家の前でな、と言い残し電話終了である。
 お色気の術の真相を知ることが出来ないのはちと残念だが、みちるさんのお使いならば断るワケにもいかないしな。キャミソールの肩紐を外しだしていた姉ちゃんに軽いチョップを食らわし、みくると出かけてくると告げて自室へ。
「……んー」
 服は着替えなくても良いか。柄シャツの上にパーカーで下はジーンズ。持って行くもんは携帯と財布くらいだな。あー、ハンカチくらいは持っておいても良いかな。便所に行く機会くらいあるだろう。
 さて出発……しようとして、思いとどまる。
「みくるがこけるかもしれないからバンソウコウも持っていくか」
 出来るならこいつが役立つ事態にならないのが望ましいが、人一倍のんびりアンドどんくちゃいみくるだ。持っておいて損は無いだろう。
 さて今度こそ出発だ。 
「つーわけで出かけてくる」
「いってらっしゃーい!」
 早く帰ってきてねあなた、と新妻ごっこでぶんぶん手を振る姉ちゃんを心配しつつ玄関を開けると既にみくるがすたんばっていた。ワンピースの上にカーディガンを羽織って肩からちっこい鞄をかけている。本人曰くお気に入りの格好。
「よう」
「おはようキョンくん。ありがとね」
 軽く挨拶を交わしながら台一倍頑張っているチャリンコを引っ張りだす。タイヤのエアテンションやチェーンの具合を一々チェックしてしまうのは別に俺が細かい性格をしているからではなくて、一応は後ろに人を乗せて走る責任感からだ。
 うし。どっちも問題なし。ライトは知らないが流石に使う前に帰ってくるだろう。
「おっしゃ、乗れ」
「お願いします」
 ぺこん、と頭を下げたみくるがちょこん、と荷台に乗る。律儀なヤツめと笑うと、だってごにょごにょ……と小さな声でこりゃ今日も安全運転しねえとな、と決意させるようなことを言う。みくるが何を言ったかは内密にさせてもらおう。幼馴染の特権だ。
 タクシーやバスの運ちゃん果ては航空機のパイロットさんはさぞかし毎度大変なんだろうな、と
特殊な免許を持つ人々に尊敬の念を送りながら、
「補導されないように祈りながら出発だ」
「う、うん!」
 市民の平和を守る人々に出会いませんようにと不埒な願いを込めて、ペダルを漕ぎ出した。相変わらず胴にぎゅっとまわされる腕に慣れることの出来ない恥ずかしさを感じながら。

 ………………
 …………
 ……

「ねぇキョンくん、このプラスとマイナスって何が違うのかなぁ。あーるだぶりゅーとかあーるえーえむとか色々あるけど、どれ買えばいいんだろう……」
「みちるさんは具体的にDVDを何に使うって?」
「えと、特番を機械じゃなくてDVDのディスクに録画したいんだって」
 テレビに接続して使うHDDプラスDVDレコーダー用のやつか。
 ふうむ、それなら……と頷きつつ頭をひねりつつも種類くらい聞いとけやと呆れると、
「聞いたんだけどよく分からなくって……」
 みくるは眉毛をたれ下げてしょぼーんとする。
 しかも指をもじもじと絡めて自分の機械オンチを恥じるように俯いてしまって、そんな仕草をされると慌ててしまうのが男ってもんでだな、
「た、確かに色々種類あって分かりにくいよな! 俺だって最初はよく分からんかったぞ。……そうだな、テレビを録画するんだったらこいつで十分だな」
 ほらほら、とみくるの手にお徳用のDVD-Rを持たせてやる。二十枚組みで漱石一枚弱というコストパフォーマンスだ。品質に若干難ありなような気もするが、みちるさんだってその特番を後世に伝えるというアホな義務を背負ってるワケじゃないし。
「ほら、上面が白いだろ? ここに絵だって書けるぞ」
 自分でも何言ってるか良く分からない。誰かハンマーを持ってたらこめかみあたりに叩き込んでくれないか。絵って何だ絵って……。
 しかしそんな励まし慰めを真に受けたのか、みくるはあからさまに無理矢理に作っている笑顔を上目で見上げると、気を取り直したように「えへへ」と微笑み、
「……ありがと。キョンくんは物知りさんだね」
 何時も頼りになるなぁ、うふふ、だなんてこそばくて蕁麻疹が出るようなことを言い、俺にそっぽを向かせるのだった。
 何でお隣の家族連れのだんなさんとおくさんは俺たちを見て笑っているんだろうと疑問を持ちながら頭をかいて、そういう台詞は学者さんにでも言え、と答える。店内に設置された鏡に映る俺の頬は緩んでかつ、ちょっぴり赤くなっていやがった。ええい、DVD一つでまったくもう。

 ………………
 …………
 ……

 キャッシャーで精算を済ませる。チャリでえっちらほっちら数十分。DVD一つ買うだけで帰るのは勿体無いなと感じ、ついでだからと家具コーナーを冷やかすことにした。
 家電量販店なのにフロア一つが家具で埋め尽くされていることに首を傾げいてのは初来店時のみで、今では多角経営も商売方針の一つだとかこういうところがこのチェーンが関西オンリーにとどまっている原因なんだなと勝手に納得している。
 陳列されているのが商品だということを理解できない年齢の子供がソファやらベッドやらではしゃいでいるのを羨ましそうに見つめるみくるの姿に、姉ちゃんなら思いっきり子供と同じことしてただろうな、と溜息を吐いていると、
「いつもにっこりほほえんでーやってみますのみ○りですー」
「……」
 このチェーン店のマスコットキャラが歌う暢気な歌が店内に盛大に響いた。
 ……どうして居た堪れない気分になるのだろうか。
 分からん。分かりたくない。そんなことより家具だ。家具を見るんだ俺は。……そうだな、将来俺も自分が主の家を建てた暁にはリビングにはこのソファーを置いて、テーブルはそいつで、ちょいとばかし控えめに37インチの液晶テレビにB級アクション映画を流し、片手には酒が入ったグラスを、もう片手は隣に座る奥さんの肩にまわして心休まるひと時を――
「ぬおお!」
 手近にあったソファーに頭をがんがんぶつける。
 俺は今自分の奥さんに誰を想像した。誰を! ええい、我ながら阿呆な脳細胞め! 死滅しろ死滅しやがれ! くそ、どうやったら脳裏にこびり付いた映像が消えるんだ!
「きょ、キョンくん……商品にそんなことしたら駄目だよう」
「……」
 そんなアホな事をしていた所為だとしか思えない。まさかみくるにそんな注意をされてしまうとはな……へへ、今気がついたがこのソファーちょうど良いサイズじゃないか。まさに想像どおり。一人なら横にもなれるし、二人で並んで座るには少しスペースが余るぐらい。
 決めた。子供なら許される。まだ子供だ、俺も。子供だからこんなことしても良いんだ。
「ふかふかだぜ!」
 どっかと腰掛ける。家にある安もんとは段違いの柔らかさと弾力。高そうだな……と今更理性が働きだすがもう遅い。
「もぅ……」
 やれやれ、と誰かの真似をして恥ずかしそうにしているみくるにちょいちょいと手招きをする。隣に座って晩酌したまえと目で告げると、
「え、えぇ? お酒? 何言ってるの? そ、それに座ったら怒られちゃう」
 当たり前だが拒否しやがった。
 ほう、帰りは歩いていくというのかね。
「もーおー、ずるいよぅ」
 やけくそ気味に赤い顔で、それでも控えめに腰掛けるみくる。その肩におもむろに手をまわし、ひゃうっ、と驚いて体を震わせているのを敢えてスルーし、ここぞとばかりに呟いてみた。
「やっぱり家族全員で座れるくらいのでかさが良いな」
 うむ。一戸建てなんだからそっちのほうがしっくりくる。
 安いが家族四人とシャミセンが座れるソファーを買った親父の心境に少しだけ近づいて、目をぐるぐる回して「ひゃう、あう、わう」とラリホーマくらったみたいな様子のみくるの肩から手を離し、立ち上がる。
「んじゃそろそろ帰るか」
「ふみー」
 当然だがみくるから意味のある返事はなかった。うーむ。想像じゃうっとりとして俺にしなだれかかってきてたんだけどな。誰がとは断固として言わないが。

 ………………
 …………
 …… 

「しっかり歩けよ」
「うぅ……ううぅ……」
 数分ソファーでらりほーしていたみくるを引きずって歩く。
 悪い男だの結婚詐欺師になれるのだの酷い言葉を吐いているが、そんなふてえ野郎どこに居るというんだ。なんなら俺が変わりにばしっと言ってやってもいい。
「……」
 何故じと目なんぞしているのだろう。そんなに熱い視線を送られてもちょっと恥ずかしいだけで何にも出ないぞ。しかし……そうだな、俺の未来予想図に付き合って貰ったんだし、
「みくる」
「……何?」
 おう珍しい。みくるが不機嫌声を出している。
 それならなお更都合が良いな。ご機嫌を直す意味も含めてこいつをお前に買ってやろう。
 家具フロアになぜぬいぐるみまで置いてあるのかはもう考えても仕方が無いので忘却の彼方にふっとばし、デフォルメされたかえるさんをみくるの手に無造作に持たせてやる。
 みくるは「ふぇ? え?」とかえると俺に視線を交互させたが、全体から発せられる俺にはいまいち理解できない愛くるしさにノックアウトされたのか綿製両生類に傾注し、
「かわいい……」
 ナンパな野郎だったら「それは君のことだよ」とか言って、台詞のあんまりもの臭さに風の精霊が悶絶しそうな笑顔を浮かべた。何を言っているのか諸君らには理解できないだろうが、要するに俺が思わず顔面に血液を集中せざるを得ない表情をみくるは浮かべたのだ。ぎっぷりゃ!
 みくるはぎゅーっと潰す勢いでかえるを抱きしめ、数回頬を擦り付けると、
「ほんとに買ってくれるの?」
「お前がどうしても要らないかえるなんか気持ち悪いって言わない限りな」
「ど、どうしても要るっ。きもちいい! かえるさんきもちいいよ!」
 台詞だけ聞いたらとんでもない誤解を受けそうな事を多分天然で必死な様子で騒ぐ。
 普段のこいつなら「良いよ。悪いよ」「そんな、貰えないよう」とか言い出すんだが、俺の知りうる以上にかえるに愛を注いでいたらしい。
「ほんっとかえる好きだな。両生類だったら何でもいいのか?」
「うーん……へびとかはやっぱり気持ちわるいかな」
「ですよねー」
「かえるさんだけ特別なの。ふふ」
 ここまで愛されたならかえるも本望だろう。全かえるに変わり俺が礼を言っておこう。
 ゲコゲーコ。かえる語でサンクスの意味。
「んじゃ、それ買って今度こそ帰るぞ……あ、洒落じゃねえぞ?」
「ふふ、キョンくんもかわいいっ」
 だぁーっ! 
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by kyon-haru | 2006-06-23 01:50

サンタが一晩でやってくれました

 サンタクロースに居て欲しいと思う自分と、居るわけないと分かっている自分がいる。
 でもそれでも、居ないと証明されたわけじゃないのだから――たとえそれが悪魔の証明でも――やっぱり居て欲しくて、
 白ひげのおじいとトナカイとそりと、プレゼントを心の何処かで期待しているあたしは案外子供っぽいのかもしれない。
 そんなことを思いつつ床についたのが師走の二十四日で、目覚めた今日は二十五日の朝だ。
 そして、自分のベッドに存在するはずがないあたし以外の体温に気づいて目を向けて、
「――な、あ」
「……ぐぅ、すぅ」
 何故か幸せそうな寝顔で安らかな寝息を立てているソイツを見つけて、たっぷりと十秒は凍結した。
 十秒後、気を取り直して、
「悪いゆめよ。そうに決まってるわ」
 だがしかし、鼻をつまんでやるとソイツは苦しそうに「ふあがー」って眉を顰めている。
 ……どうしよう。夢じゃないっぽい。
 いや、ちょっと待って、待ちなさい。そんなことより気になることがあるんだけど。
「何なのよこれ」
 ソイツのおでこには「サンタさんからハルヒちゃんへ」なんて意味不明なメッセージが書かれたメモがくっついている。
 これは一体全体どういうことなのかしら。要らないわよこんなもの、じゃなくて、誰がこんなことをしたんだろう。
「こいつが一人でやるわけもやるはずもないわよね……」
 もしもそうだとしたら今日はホワイトクリスマスどころかランスクリスマスになりそう。
 SOS団の誰かの仕業? 古泉君と有希が結託したら出来ないこともないだろうけれど、あの二人があたしにこういうことをするとは思えない。
 それとも……もしかしたらこれ人間の所業じゃないんじゃないかしら。うん、きっとそうよ。こんな不思議で奇天烈なことをしでかすなんて、金星人あたりにちがいないわ。 
 そうと決まればこいつを叩き起こして早速金星人を捕まえにじゃなくて、あたし大事なことを忘れてたってそれはさっさとこいつをあたしのベッドから追い出すことで何時まで同衾してるのよあたし、ああもう金星人の事を考えてワクワクしたいのにどうして心臓はこんなにドキドキしてるのかしら、
「……うゆ?」
 そんな風にあたふたしてて気がつかなかったけど、なんかあたしのおでこにも紙がくっついているみたい。
 うっとうしいわね、とそれを力強くひっぺがすとそこには、
「――ば、ちょ、バカ! 金星人のバカ! アホ! 間抜け! 何てこと書いてんのよちょっと!」
 サンタさんからキョンくんへ――
 そんな理解不能な文字列が記されていた。
 そして間の悪いことに、目の前にいるそいつが目を覚ます。寝ぼけ眼があたしを見つめて、
「……ん? んー? ハルヒ……? 何朝から何騒いでん、だ……?」
「知るかぁー!」
「いってぇ! 夢じゃねえ! 何で俺のベッドで寝てんだよお前! つうか暴れるな!」
 ここはあたしの部屋よぎゃーすかぐーすかと二人して暴れていた所為で、騒ぎを聞きつけてやってきたお母さんに正座させされて説教された。
 ……あんはっぴーめりーくりすます。

 ところで。
 どうしてお母さんたまに笑顔になってるって――あんた何時までそれおでこにくっつけてんのよ!
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by kyon-haru | 2006-06-17 02:36

擬音と台詞だけ

 がららー。
 のしのし。
 ぴた。

「関東風よりは、あっさりした関西風の方が好きだな俺は」
「わたしはおでんだったら何でも好きだけどな」
「この前長門んちで食ったやつお前が作ったんだろ? あれくらいがちょうど……おっす、ハルヒ」
「あ、おはよう涼宮さん。ごめんね、椅子借りてるわ」

 ……。

「はい、お返しします。ありがとね。……それじゃまた後でね、キョンくん」
「おー。またな」

 がたん。
 どしん。
 むっすー。

「なんだよ。朝っぱらから妙な顔しやがって」

 ぷいっ。

「……あぁ、月曜から雨じゃそりゃ気も滅入るよな。俺もうんざりしてたところだ」

 ぶー。
 ぶんぶん。

「雨なんかどうでもいいって? じゃあなんでそんな不機嫌なんだよ」

 くいくい。
 じとー。

「さっきの話? 昨日長門んち行った時におでん馳走になってな、それの感想だよ」

 ぴこーん!

「は? 今日の部活はおでんパーティ? なんじゃそら」

 うがー!

「っ、わかったよ。みんなにも伝えとく。買出ししねえとな……俺と古泉で、」

 ……ちょんちょん。

「ん? お前も行くのか? 違う? 俺と二人? 別にいいけど、お前も荷物もてよな」

 にかっ!

「急にご機嫌だなお前。朝から忙しいやつめ」

 ふーん、だ。バカ。
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by kyon-haru | 2006-06-16 01:15

夜明けのレール・クマー

「上様! 上様!」
「何を慌てておるのじゃキョンえもん」
「はっ! 上様があれ買えやこれ食いたいそれ飲みたいと我侭放題なものですから、それがしの財布、もう空でござる!」
「う、うむ。余もちょっと遠出してテンション上がってのう。はしゃぎすぎたようじゃ。それがどうした」
「つきましては……帰りの電車賃もねえんだよばかやろう! どうすんだ! 腹切りやがれ!」
「うぐ……そんなにおこらな、わ、わーったわよ。電車賃くらい貸したげるわよ」
 即興時代劇コントを終え、ハルヒはがさこそ自分のがま口を取り出して中身を確認するが、
「――てへっ」
 なぜかきゃぴ! ってな感じでぶりっこな笑みを浮かべた。
 嫌な予感が爆発してハルヒのがま口をふんだくる。逆さにして手のひらの上で振ってみると、ちゃりーん。
 えーと、五円玉が一枚。一円が……四枚。だけ。だけ……って、おい。
「きゅ、九円ってどういうことだよテンメエエエー!」
「ごめーん! ごめんてば! 顔怖い顔怖い!」
 電話もかけられないとかどんだけ!
 ここで補足するが、お互いの携帯も電池切れで充電しないと使えないのだ。正直ハルヒが銭持ってないことも予測して、古泉か長門あたりに迎えに来てもらおうという算段もあったのだがそれもご破算である。であーるじゃねえよ。
 辺りは夕暮れ。伸びる影は黒く長くて、生活圏の外にある町は異邦人を嫌うかのように寂しい雰囲気を発散しまくっている。
 俺たちのホームタウンまでの距離、多分直線で五十キロだかそこらあたり。
 ――どうしよう。
 ――どうするつったって。
「……歩くしかねえのか」
 時速四キロで歩いたとして十時間は軽く越える。夜明けまでに帰れるだろうか。
 明日が月曜日だということはこの際マゼラン星雲あたりに吹っ飛ばしておくことにしても、
「線路沿いに行けばなんとかなるわよ! あ、そうだ! 終電終わったら線路の上歩きましょうよ! そうすれば確実だわ!」
 歩き出して数分。参勤交代で地方から江戸へ赴く外様大名の心情に共感していると、何故かハルヒは上機嫌。
 ったく、誰の所為でこんな事態になったと思ってんだ。いや、俺だってこいつがあんまり楽しそうなもんだからついついホイホイ言うこと聞いてやったけどさ。
「あーるこーあーるこーあたーしはげーんきー!」
 つか今でも楽しそうだからだな、文句つけたって現状が好転するわけでもないし、大人しく歩くとするか。
 ――んで。
 ――気が付いたら夜も更け、月明かりの下線路を歩くスタンバイミーな二人組み。
「今の駅でようやっと半分か……」
 一応は電灯がついているものの、駅員の姿もなく寂しい駅を通り過ぎる。線路からホームを見上げると中々シュールな光景だが、そんなもん知りたくもなかった。
 腹減ったし喉も渇いた。足の中じゃ乳酸が大暴れだが、女のハルヒが疲れたの一言も言わないもんだから俺もへこたれれない。
 終始たわいもない話題を吐き出し続ける横顔をちらっと眺めて、ほんと何でこんなときまで楽しそうなんだかと肩をすくめる。
 呆れられたのを雰囲気で悟ったのかハルヒは口をとんがらせて俺を睨み、
「なによう。悪かったって言ってるでしょ」
「それはもう良いって。次から気をつけろよ」
 わかってるわよ、とバツが悪そうに叫ぶと、レールの上にバランスをとって、とん、と乗っかった。
「何やってんだ?」
「ふっふーん。今から下は海! サメがうようよの海! 早くレールの上に乗らないとがぶっといかれるわよ!」
「子供かよお前は」
 苦笑しながらもレールに乗っかる俺もガキのこと同じような遊びをしたもんだ。
 ジョーズのテーマを口ずさみながらハルヒは見事なバランスでひょいひょい進んでいく。
 先行していくその後姿に――ふと、本気でこいつは悪いと思っていて、無理矢理気味に明るく振舞ってるんじゃないかという考えが頭をよぎった。
 まさかな……。そこまで他人を気遣えるヤツだったら、そもそも九円しか持ってないなんてことないだろう。
 しかし、もしかしたら疲れたの一つも言わないのはそういう理屈ならしっくりくることも確かで、だからって今の俺に何が出来るんだと悩んでいると、
「あっ」
 つるりん、とハルヒは足を滑らせた。詳しい種類は知らないがヒールがついた靴を履いていた所為だろう。着地を失敗して尻から地面に激突している。
「いまだ! サメがハルヒに夢中なうちに俺は逃げる!」
「えっ、ちょ! 薄情者! 助けなさいよー! って、ほんとに待ちなさ、あっ、つ……!」
 わはは! と笑いながら駆け出して、すぐに止まる。最後の苦痛の声から想像するに、大方足首かどっかを痛めたんだろう。
 俺の推察を裏付けるように、振り返ってみると足首をさするハルヒの悔しそうな顔。
 おいおい。こんなことで俺に出来ることを作るなんて神様も意地が悪いし悪趣味なこった。これはもう無神論者になるしかないな。
 天に唾を吐きたい気持ちを抑えながらハルヒの元へ赴き、しゃがみこむ。
「ったく。そんな歩きづらそうな靴はいてるからだぞ」
 そんなに高いヒールじゃないが、今までの道すがらで疲労を溜め込んでいたのだろう。ただでさえ持ち主が豪快なヤツだ。寿命が来るのも通常より早かったに違いない。
 ハルヒは俺に怒ったもんやら靴に怒ったもんやらという難儀な表情を浮かべ、けれど結局は足首が痛むのかしかめっ面を選択し、
「だって……あんた最近背伸びまくりなのに、あたしったらちっとも伸びないんだもん」
 ちょっと論点がずれたような事を言い出した。
 そのずれを俺なりに修正アンド解釈するに、……つまり俺が隣に居ると凸凹になってしまうのが癪だから靴で少しでもタッパを水増ししようと、そういうことか?
「そうよ。悪い? だ、団長が平の団員見上げないと喋れないなんて許されないし、それにこの靴……この前みくるちゃんが似たようなの履いてて凄く可愛かったから」
 団長云々はこいつらしいが、可愛い云々はなんと普通の女の子らしいことか。
 もやしじゃなくてもしや、その靴買ったおかげで金欠だったとかいうオチじゃないだろうな。
「……」
 だんまりで肯定されてしまった。何てこったい、と天を仰ぐ。預かり知らぬところとはいえ、この状況を作り出した原因の一端が俺にあったとは……。
 はふう、と息を吐きつつ地上に視線を戻す。今は因果ではなく応報の方に対処せねばと気合をいれて、
「脱がすぞ」
 言い終わらぬうちに怪我した方の足から靴をとっぱらい、
「とりあえず固定すんぞ」
 言いつつハンカチをびりびり破り、包帯の変わりにして足首に巻いていく。自慢じゃないが不器用な手つきで、いつかネットか何かで仕入れた知識の手順をなぞりつつ巻き終えるころには、
「ありが、とう……」
 ぶっきらぼうに照れながら礼を言う珍しいハルヒの出来上がりである。 
 余談だが、素足にぺたぺた触ってしまうのが必然だったので、あっ、とか、やっ、とか、んっ、とか終始くすぐったそうにしていたハルヒであり、そんな変な声を意識してシャットアウツしていたのが俺だ。
「んじゃ、乗れ」
 青白い月光と虫の鳴き声に包まれながら咳払いを一つひっさげて、ハルヒに背中を向ける。
 が、背後からは逡巡する様子と気配が伝わってくるのみで、中々ハルヒはのしかかってこない。遠慮している? んなアホな。じゃあ何故といわれてもさっぱり分からんが、早くしろや、とはっぱをかけると、
「……今日、迷惑かけっぱなしだから」
「はぁ?」
 非常にふざけたことをぬかしやがった。
 迷惑をかけっぱなしって何だそりゃ。そんなもん今に始まった話じゃないだろうが。ていうか自覚してたのかよ……自覚?
「上様。正直に答えてもらいたいんですが」
「……なんじゃ」
「歩き詰めでお疲れなんですか? 歩くことになって申し分けなくて、無理に明るく振舞っていたんですか?」
「……」
 再びだんまりで肯定された。俺が言うのもなんだがなんという不器用さ。古泉よ、確かに変なところでこいつは常識があるなぁちくしょう。
 はぁ……もう、いや、まったく、やれやれやれやれ。
 俺は努めておっそろしい低い声が出るように声帯を調節し、いやそんな器用な芸当できないが、とにかくそういう意識で喉を震わせて、
「クマがな、出るんだよ」
「……何いってんの?」
「いや、だからクマだよ。この前ニュースでやってた。ちょうどこのあたりだ。……開発で住処を追われたクマがな、人里に下りてきて畑を荒らしたり人を襲ったりするんだ」
「……それで?」
 遠まわしに俺に気を遣わんとさっさと乗れや、と言っているつもりなんだが、この野郎テコでも動かんつもりだな。
 げほごほっ。喉いてぇ。やっぱり搦め手は俺には向いてない。振り返り、ハルヒのしょぼくれた顔を真正面から見据える。なるべく自然に自然にと、そう考えてしまった時点で不自然になってしまうのは必定なんだよという声は無視をして、
「ほんまにクマやぁぁぁ!」
 出たぁーっ! と情けない大声をあげて、思わずしりもちをついた。
 ハルヒは何こいつ……わざとらしいわねというように鼻からふん、と息を吐いたが、俺が必死に背後を指差してやるといかにも気だるそうに振り向いて、
「ちょとぉぉぉ! ほんとに居るじゃないのよぉぉぉ!」
 何時の間にやらこんにちはしていた多分ヒグマにびっくらこいて立ち上がろうとし、しかし足首の所為で叶わずに終わった。
「クマー!」
 クマさんは驚かれて大声出されたことにぶっちんきたのか、両手をがおーと挙げてこちらを威嚇するポーズをとった。
 お前ら食っちゃう五秒前である。いや、ちょ、や、やばいって。死んだふり死んだふり……。
「もう遅いわよそんなの! おぶって! おぶりなさい! 逃げるわよ!」
「さささサーイエッサー!」
 がばちょと飛び起きて背中を向けるやいなやハルヒがのしかかる。無事な方の足が俺の太ももあたりを蹴っ飛ばしていざ走りださん。あうんの呼吸である。
「いやぁぁぁ!」
「たすけてぇぇぇ!」
 静かな夜に雄たけびをこだまさせつつ、ドーピングを決めたベンジョンソンよりも早いスピードで駆ける。火事場の馬鹿力って本当にあるんだね、なんて納得するか! マジで助けて!
「クマー!」
「ぎゃああああ!」
 も、もう遠出なんてこりゴリラ!

 ………………
 …………
 ……

「ふぅ。この季節に着ぐるみはこたえます。まったく世話のかかるお二人ですね。長門さんもそう思いませんか? ……長門さん?」
「クマー!」
「捕獲してきた。……うかつ。任務に間に合わなかった」
「本物ぉぉぉ!?」
 がじがじ。
「アッー!?」

 どっとはらい。
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by kyon-haru | 2006-06-14 14:44

●<その5ですよ! 2/2

 おばあちゃんに「まだ来ちゃいけないよ」と笑顔で送り返されて安堵しているとお花畑だった世界が暗転した。
 ふらふらゆらゆらぐらぐら。
 真っ暗闇の世界。上下天地左右東西方角の感覚全部が曖昧であり、太陽光が届かない地球の影で宇宙遊泳しているような感覚だった。
 無論そんなすごい体験をしたことはないので想像だが、ともかくそれくらい体も意識とふわふわと揺れているのである。
 いい加減脳挫傷一歩手前の脳みそで記憶はあやふやだが、多分本日二度目の体験。だからってこんなもん慣れるはずもなく、それでもまた明りは無いかと視線を巡らせる俺は無自覚の冷静沈着かもしれない。
 しかし……それにしても側頭部がいてぇ。刹那にぶっ飛んでくるパソコンケースの残像が網膜に残っているが、それが何処にあったとか誰のものだとかは分からなかった。この記憶の朧さはそれが原因じゃなかろうか。あんなアルミケースのごっついもん喰らったら普通死ぬだろう。ということは俺はやっぱり死んでしまったのか――などと思考をループさせていると、
「お……」
 うっすらとしか見えないが、再び光源があるのを発見した。
 四角形に切り取られた窓のようなものから、夕焼けのような茜色の光が発せられている。相変わらず茫洋としていてい頼りない明りだが、引き寄せられるように近づいていくにつれて、光はやはり視界どころか世界一杯に広がっていき、

「――ふぅ」
 まぶしさに目と閉じた。次の瞬間足の裏にしっかりとした地面の触感を感じて、息を吐く。もちろん服だって着ているし、天地の感覚だってばっちりだ。
 坂を上るときなどは鬱陶しい重力を今は頼もしく感じながらゆっくりと目を開くと、
「ん……」
 現在地は文芸部室と同じくここ一ヶ月お世話になりっぱなしの一年五組の教室だった。
 ゆらゆら漂っているときに見つけた光源の正体を理解する。誰もいない教室。窓から差し込む夕日はオレンジに血を混ぜたような濃厚な茜色をしていた。
 影を長くした主のいない机たち。午後五時を過ぎたあたりをのろのろと動いてる時計の針。誰かの忘れ物だろう、教卓の上に一冊のノートがぽつねんと置かれている。
 ――ふと、郷愁を感じて首をひねった。
 数時間前までここに居て授業を受けていたというのに、ひどく久しぶりにこの教室にやって来たような錯覚を覚える。そんなに学校に愛着を持っていただろうか俺は。入学して一ヶ月と少し。愛着を持ち始めてもおかしくない時期ではあるが、生来の勉強嫌いの俺は勉強が姿かたちを持っていたらぶん殴ってやりたいくらいだときていて、帰巣本能に従うとすれば足を向けるのは文芸部室の方のはずだ。
「……」
 どうやら頭のエンジンの回転数がまだまだのようだ。
 ものさびしい雰囲気にノスタルジックな気分になりつつ、とりあえず窓際の後ろから二番目の席に腰を落ち着けた。
 肘をついてしばらくぼんやりとしてみる。時計の針は五分も進んでない。何時もはみくると一緒に下校している時間だな。……そういえばみくるたちはどうしただろうか。俺が涼宮にドナドナされて家に直行した後、あいつは――って、あらら?
 そもそもだ。先ほどの文芸部室しかり、俺ってばどうして、
「学校に居るんだ?」
 自分の海馬に問いかけてみるが、もちろん答えは返ってこない。記憶の海は冬の日本海のようにごうごうと時化模様であり、そこに潜るには俺の水泳能力は聊か能力不足の感が否めない。つまり思い出したいのだが思い出せないのである。
 ならば悩んでも無駄だな。おでんの精霊が居る世の中だしこれくらいの不思議があってもおかしくない……だろう。
 我ながらいい加減にも程があるが、無駄な労力を使わないのが俺のジャスティスだ。
 さてさて、何時までもこうしててもしょうがないな――と、そろそろ帰宅するかと腰を浮かせ、
「……変だな」
 教室の一箇所に違和感を感じて、そこへと近づいていく。
 黒板。黒板だ。教室に絶対存在するでかい黒の板きれの右隅の、日付と日直の名前を書くスペース。本日の授業は終了しているので日付はもちろん明日のものが書かれているが、その下の日直の名前の部分。そこがおかしいのである。
「こんなやついたっけか」
 比較的はっきりとしている授業中の記憶が正しければ本日の日直は出席番号が一番後ろのヤツが務めており、ならば明日の日直は出席番号一番のみくる……つまり「朝比奈」のはずなのだが、
「朝倉?」
 そこにはとめはねを丁寧にしかし女らしい丸みも持っているという見事な文字で「朝倉」と書いてあるのだ。
「ひ」より前なのだから「あさくら」と読むのだろう、恐らく。
 しかし……こんな苗字のヤツうちのクラスに居ただろうか? それどころか学年、学校に居ただろうか? 後者二つにはまったく持って自信が無いが、前者にはちょいとくらいの自信はある。名前を覚えていないクラスメイトはまだ若干名存在するが、入学したての出席番号で並べられた席順で、みくるの前には確かに机は存在しなかった。
 だとすれば……これは悪戯だろう。みくるの乳のでかさに嫉妬した貧しい胸の持ち主の嫌がらせとかなんとか馬鹿なこと考えていないで、さっさと書き直しといてやろう。
 苗字がたった一つ。ただそれだけで存在しないヤツがそこに存在しているような妙な感覚。少々不気味だ。
 黒板消しを手に取る。掃除をさぼった俺が言うのもなんだが、おい、もうちょっとチョークの粉丁寧に払っておけよと文句をつけたいほどのばっちさ。……ええい、ここまで来たんだからこれの掃除もしてやるか。後ろの小黒板のと合わせて窓の外でばんばんやりゃ少しはマシになるだろう。
 我ながら変なところで優等生ぶりを発揮していると、頬をやさしく撫でていく感触。まるでシルクの手袋をはめた貴婦人に手を添えられたみたいだった。散々言うがそんな経験ないけどな。ともかく、左からやってきたその感触の源へ目を向ける。開いた窓から夕焼けに紛れるように緩やかな風が吹き込んでいて、カーテンをそよそよと揺らしていた。
 なんだよ窓も閉め忘れてるのか――やれやれと肩を竦めた、その時である。
 窓ガラスの反射越しに、俺の背後に立つ人物の姿が見えたのは。 
 驚き半分疑問半分。教室の入り口に立っているそいつへと振り向いて、
「何でお前がここに居るんだ? それに、それウチの制服じゃねえか。どっからかっぱらってきた」
 思いついた限りの疑問をぶつけてみる。こいつ相手に驚くのはどこか癪だったし、そうして早口に捲くし立てないと……なんだ、思わず見とれてしまいそうだったからな。
 夕焼けを正面から受け止めているおでんの精霊りょーこちゃんは、清潔そうな前髪を揺らしながら雨雫を葉に湛えた紫陽花のような微笑を浮かべていて、初めて見たというのにウチの制服姿は特別似合っていて……ブリーツスカートから覗く白いハイソックスと太ももがかなり眩しかった。
 やっぱり普通に出会ってたらどきまぎのひとつでもしただろうなとひそかに感激する俺に向けてりょーこちゃんは青だった紫陽花を赤に変えて、
「えっとね、あたしもここの生徒だから。ううん……だった、から」
「はぁ?」
 よく分からないことを言いやがる。
 見た目は人間だから入学しようと思ったら出来んことも無いだろうが、過去形っていうのはどういうことだ。
 もしや俺が入学する前に卒業したオージーさんなのだろうか。精霊も通っていた北高校。校長もさぞや鼻が高かろう。ま、そんな荒唐無稽な話なんてあってたまるかだがな。涼宮あたりなら喜びそうだが。
 りょーこちゃんは「うふふ」と蟲惑的な笑みを携えて俺へと歩み寄り、そっと黒板消しを取り上げた。口をへの字に曲げている俺、次いで黒板の朝倉という文字に視線を移し、
「あたしの名前は朝倉涼子っていうの」
 いまさら自己紹介をおっぱじめ出したときたもんだ。 
「初耳だな」
「うん。言ってなかったもんね」
「……そういや俺の名前も言ってなかったな」
 かなり間抜けだが、いまさら自己紹介が必要なのは俺も同じだった。思い返せる限りそうしてみるが、出会いからしてめちゃくちゃだったし、気絶するは失神するわでまともにこいつと面と向かったことは無かったはずだ。それどころか意味のある会話すらしていないような気さえする。
 チョークをひとつ手にとって、俺は最近ほとんど呼んでもらえない本名を書き連ねた。
 りょーこちゃん改め朝倉は「へぇ」と関心したような息をひとつ吐いて、
「なんだか……どことなく高貴な感じがする名前ね」
「佐々木みたいなこと言うんだな、お前」
「佐々木?」
「あぁ……中学ん時の悪友だよ。あんまり気にすんな」
 そうするわ、とくすくす笑い、朝倉もチョークを手に取った。
 お前の名前は書いてもらわんでも分かってるぞ、と思いながらも何をするのか見守ってやる。
 かつかつかつ。小気味よい音とともに、日直の朝倉という文字と同じ筆跡で俺の名前の隣に書かれるカタカナ三文字。
 ――キョン。
「ね、あなたってこういう渾名じゃない?」
「……よく分かったな。本人の預かり知らんところで勝手に広まって、勝手にそう呼ばれてるけど、残念なことにそれが俺の渾名だ。親までキョンって呼びやがる」
「ふふ。ね、じゃああたしもそう呼んでいい?」
「好きにしたらいいさ」
 別に呼び方くらい何だって良い。そりゃ見知らぬ野郎にいきなり「ヘイキョン!」なんて呼びかけられたらメンチのひとつでも切ってやるが、知り合いなら話は別だ。動物っぽいとかは置いておいて、渾名ってのはたいていの場合親愛の情が込められてるもんだからな。
 だがしかしね、
「キョンちゃん」
「それはエヌジーだ」
「えー、あたしのことは涼子ちゃんで良いからキョンちゃんもキョンちゃんで良いと思わない?」 
「お前のことは一生朝倉って呼んでやる」
 これは一体なんの羞恥プレイだ。俺のことをそう呼ぶのは親戚のおばちゃんだけで十分だこのやろう。
 睨み付けたつもりだがてんで迫力がなかったらしく逆に睡蓮のような微笑みを返されてすごすご視線を外す俺だが、さすがにちゃん付けは簡便してもらいたい。
「じゃあキョンくん」
「うむ。よろしい」
「じゃああたしは涼子ね」
「それはよろしくない」
「えー」
「えーでもないし、びーでもない。そんな簡単に女を下の名前で呼べるかってんだ」
「でもす……じゃなくて、あのかわいい子のことはみくるって呼んでたじゃない」
「いや、みくるは付き合い長いからし幼馴染だしな……」
 つうか何だこの初心なカップルみたいなやり取りは。
 反射的に初めてみくるを「みくる」と呼び捨てにした時の甘酸っぱい記憶がよみがえりそうになって、慌てて蓋を閉めてお札をはって封印した。
「み、みくるは良いんだよ別に」
「ほー、ほー」
 焦る俺の内心を見透かしているかのように朝倉はにへにへと笑っている。
 ――このアマあなどれん。俺の周りには居ないタイプだ。
 これ以上みくるのことに突っ込まれてまたるかとファイティングポーズをとって身構えるとさらに笑われてしまったが、……ま、女はぐしゅぐしゅしたりヒスるよりは笑ってる方が良いってことで落ち着いておこう。
 朝倉は俺の荒ぶるフラミンゴの構えがよほどツボったのか腹をおさえて笑いながら、
「ふふ、うふふっ。何であなたが選ばれたのかあの頃のあたしにはいまいち理解できなかったけど、今なら分かるわ。……あなたは根っこに誰よりも人を惹きつける魅力を持ってるのね。ちょっと変わっただけでこれだもの」
「よく分からんが褒めてくれてんのか?」 
「ええ、そうよ。あたしも精神病にかかりそう」
「え……? お、おい、いきなり悲しいこと言い出すなよ」
 近くに心療内科あったけなぁ、と真面目に悩む俺の心配をよそに朝倉はうふえへ笑いつつ眦に浮かんだ涙を拭っている。
 ほうほう。精神病うんちゃらは冗談なのか。
「冗談じゃないんだけどね……あぁ、本題を忘れちゃってた」
「本題?」
 鸚鵡返しに口を開いた瞬間だった。
 今の今まで楽しそうに嬉しそうに笑っていた朝倉はもじもじと体を揺らすと、ふっと立派な眉毛をハの字にたれ下げた。
 教室内に充満する侘しい空気。夕焼けと夕闇に半身ずつを染めた朝倉は、世界にたった一人ぼっちになってしまった幼い少女のような不安顔を浮かべ、吐き出す言葉が壊れ物であるかのようにゆっくりと大切に口を開く。
 真剣な話題だと察知して、俺も佇まいを正した。
「んとね、難しい話をしてもあなたには分かってもらえないと思うから単刀直入に言うけど」
 目が合う。瞳の中にお互いの姿を映しながら、まるで想いを告げる片思いのように。
「あたしが居たほうと居ないほう、どっちが良いと思う……?」
 ――雰囲気に割には答えに悩まない質問を、おっかなびっくりと。
 どんな奇想天外な話かと思ってみれば拍子抜けだ。俺はあからさまに何言ってんだこいつという顔をわざと浮かべてやり、やれやれもため息を同じく意図的に吐いて、その仕草に不安を募らせていく朝倉に向かい、
「お前はどうしたいんだよ」
「えっと」
「お前の好きなようにすればいいだろ」
「あたしは……もう少しこのままで居たい、かな」
 だったら何を不安に思うことがあるんだろうか。
「んじゃ、そうしたら良いさ」
 今夜の献立を発表する母親の気安さでそう告げて、俺は黒板に書かれたままの自分の名前と渾名を適当に消した。黒板消し自体の掃除はもうやってやる気分じゃない。変わりに朝倉の文字のとなりにアホと書き、矢印で結んでやった。
 ほんと、何をアホなこと言ってるんだか。
「これは受け売りだけどな」と、これから述べる台詞の恥ずかしさを誤魔化す為の布石をうち、きょとんとしている朝倉の鼻をぎゅむっと摘む。とたん「はにふふほ!」という抗議の表情が浮かんで、俺は笑った。良いねその顔、ユニークだ。
 俺はこの話をしてくれた超常識人に心中で感謝をしてから、笑いながらもなるべくさりげなくと気をつけつつ、
「この世に居てはいけないヤツなんて居ないんだ。大事なのは居たい理由を見つけることで、居ることの意味を知ろうとすることだ。自分が気に食わなきゃ自分を変えれば良いし、世界が気に食わないなら世界を変えれるような自分に変えれば良い。要は……全部自分次第ってことだ」
 息継ぎ。
「お前が居たいんならそうしろよ。何がお前を居たいと思わせるのか知らないけどな」
 大きく息継ぎ。こんなんだからたまに苦労好きだとか保父さん候補生だとか言われるんだなと思いつつも、生まれつきこの性格なんだから仕方ないと諦めて。
「……無茶苦茶な知り合い方だったけどな、一応縁があるってことで、宿がねえなら寝床くらい貸してやるから」
 最後の一文だけはそっぽを向きつつ言い終えた。
 精霊が飯食うのかどうかは知るところじゃないが、寝るってことだけは既知の事実であり、それならば毛布や布団の世話くらいしてやってもいい。家にはもうやたらでかい三毛猫がすでに一匹居るからな。いまさら増えたところでどうってことない。
 ……ということにしておこう。まともに会話して情が移ってしまっただなんて本音、恥ずかしくって言えるはずがないだろう。
 朝倉は天恵を受けた太古の農民のような感激具合で、手と手を合わせ瞳を潤ませるだなんて漫画みたいな反応をし、
「だ、大丈夫! あたし基本的には食事も睡眠も排泄もしなくても生きていけるし、だけど家事はできるし、あ、あの、お得だから! 徳用デラックスだから!」
 多分自分でも何を言っているかよく分かってないんだろうおばかな台詞を一生懸命俺にぶつけてくる。
 それを適当に「ほいほい」と受け流しつつ、今は家を空けている両親が帰って来る頃には自力で宿を確保してもらわんとなー、と将来の展望を考えていると、
「本当に……ありがとう。こんなのあたしのエラーに付き合ってくれて」
 俺が英語が苦手なのを知ってか知らずか変なカタカナ語が耳をうち、なんだそりゃ、と言い返そうとした時には「ぎゅむっ」と抱きつかれていた。
「ちょ、おいっ!」
 こらこら。いきなり何しくさる。は、はは、恥ずかしいだろおい。ちくしょう。何で女って生き物はこんなにもやわらかくてあったかいんだ。おい、えへへ、うふふ、じゃねえよ。胸板に頬寄せてすりすりしてんじゃねえよ。や、やめて! と言いたいのだが指先がぴくつくだけで体はてんで動きやしない。
「えへへー」
 お前はマーキングする動物かよったく……もう、ええい、離せと言うのに。遊びの王様風に離せ! と言うのに。
 とかなんとか暫く桃色合戦に励んでいると、もうかなり日が翳ってきた。気の早いお星様が我こそが一番槍なり! という威勢の良さでまだ暁が残る空に輝き始め、そろそろ俺の腹も戦が出来ぬくらいに緊急事態である。
「……腹減ったから帰ろうぜ。早速何か作ってくれよ」
「うん! がんばっておいしいおでん作るから!」
 やっぱりメニューはそれなのね。
 邪気の無い苦笑が自然に湧き出る俺から離れて、朝倉はアンゼリカのような弾ける笑顔を浮かべて、見事な動作でウィンクひとつ。
「荷台、乗っけてね?」
 晩飯の対価と考えればそれくらいお安い御用だと、俺は任せとけと胸をたたいた。
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by kyon-haru | 2006-06-12 16:39

●<その5ですよ! 1/2

 酩酊した経験はないが、酷く酔うとこういう感覚になるんだろうな。洗濯機に放り込まれたようだ。体も意識もふらふらぐるぐるとしていて、地に足が着いているかどうかさえ分からない。
 目の前は真っ暗だ。光を落とした夜の部屋でも星の灯りやなんやらでぼんやりと景色を捉えることができるが、周りにはそれさえもない。暗黒だけがただただどこまでも広がっていて、眼球がどこを向いているのか自覚できない。
 ここはいったい何処なんだろうか。そもそも俺はここに来る前は何処にいたんだろうか。
 涼宮とニケツして帰宅して、りょーこちゃん相手にいろいろふざけたところまでは覚えている。いきなりおでんに変化するなんて化狸や狐も驚きだろうな。その後おでんから人間の姿に戻って、何か素敵なものを見てされたような……気がするんだが、そこいらから記憶が曖昧である。
「……」
 顎がじんじんと痛むのは何故なんだろう。
 ……殴られたのか? 誰に? 何故? ……駄目だな。思い出せない。確かなのは暫く口を開くたびに四苦八苦するだろうってことだ。
「ん?」
 誰かが俺を呼んだ……ような気がする。毎日聞いている、なじみの深い声。その声を聞いていると思わず頬が緩んでしまいそうな、F分の一揺らぎ満載の優しい音色。
 声がした方に目を向けた。暗闇しかないはずの此処に、茫洋と灯るろうそくの火のようなものがあった。俺のような平々凡々な男子高校生に第六感覚が備わっているとはとても思わないが、直感はそこに行けばこの暗黒世界から抜け出せると告げている。
 ま、ずっとここでぼーっとしてるワケにもいかないしな……。
 顎をさすりながら歩き出す。遠近感がボケているのか、遠いと思っていたろうそくは意外と近くにあった。触れてみたいが……熱くねえかな、火傷しねえかな、そんな風にびびっていると、小さな灯りが視界どころか空間全体に広がっていって、

「あれ?」
 次の瞬間には体も頭もはっきりとしていた。
 ちゃんと地面に足が着いているし、服だって着ているし、ケツの下にはパイプ椅子っぽい安いすわり心地を感じる。退屈な授業でよくそうするように、上体を机に押し付けて腕枕を作っていた。
「んー……?」
 起き上がる。何度か瞬きをして、現在地の光景を脳みそに理解させた。
 ここ一ヶ月で急激にお世話になっている文芸部室。
 確証づけるように向かいの隣に一個ずれた席には長門が座っていて、あいも変わらず分厚いハードカバーとにらめっこを繰り広げていた。
 タイトルに目をやってげんなりする。フェルマーの最終定理。お前そんなもん読んでどうしようってんだ。それに、
「何で……めがね」
 かけてねえんだろう。終わりのホームルームまでは確かにかけていたと思ったが、突然コンタクトな気分にでもなったのだろうか。
 ……ううむ。別段めがねっ子が好きだとかいう趣味はないが、どうやらコンタクト趣味は持っていたらしい俺だ。疑問はスコーンと吹っ飛んで、めがねは無い方が俺比で三倍はかわいらしい。
 腕を組んで一人ご満悦に浸っていると、目を開けたその時から故意に無視していた意味不明存在が微笑みと共に、
「お目覚めのようですね。お疲れだとお見受けしたので声をかけませんでしたが、良かったでしょうか?」
 そんな慇懃丁寧な台詞をすらすら連ねやがる。
 本能があんまり見ないほうが良いと警鐘を鳴らしていて、苦労して視線を返し、
「良いも何も……お前、古泉だよな?」
「寝ぼけていらっしゃいますね? ……そうでないと少々傷つく台詞です。一年以上も共に過ごしたというのに名前を覚えてもらっていないのは堪えますよ」
 一年どころか一ヶ月しか過ごしていないはずなんだが、この真面目くさった口調と雰囲気からしてこいつはどうやら古泉で間違いないらしい。声のトーンが何時もより低いのは鼻でもつまってるからだろう。
 俺が寝ぼけているかどうかはひとまず置いておいて、
「お前なんで男もんの制服着てるんだ?」
 眉を顰めつつ尋ねてみた。
 終わりのホームルームまでは確かにセーラーちっくなリボン尽き制服を着ていたと思ったが、突然男装趣味に目覚めたのだろうか。
 もしそうだとしたら俺比で今までの三倍は近寄りがたい存在になるのだが、古泉は微笑みしつつも口の端を引きつらせながら、
「何故、と言われましても……これが制服だからとしか」
 いやま、確かに制服には違いないけどさ。……まぁ良いか。放課後だし服装くらい個人の自由が尊重されても文句は言われないだろう。
 それよりも文芸部室に居るってことは入部希望ってことなのか、こいつ。そうだとしたら部員数に応じて部費が支給されるので非常にありがたい話だ。
 古泉は委員長で委員会が忙しいを理由に部活には入らないと言っていたような気もするが、これから暑くなるにかけて扇風機の一台でもどうにか導入したいと考えていたところなのでそれには突っ込まないことにする。お金の力ってすばらしいね。
 弱小文芸部をなめているのか「オセロでもどうですか?」などとのたまいだした古泉にカツをくれてやるかどうか悩んでいると、
「どうぞ、キョンくん」
 控えめな声と仕草をひっかけて湯のみが差し出された。ほかほか緑茶美味そう。
 おお、みくるよ。書道部を抜けて文芸部に移籍してくれるのか。さすがは幼馴染。これならクーラーも夢じゃないぜ! と上機嫌にお礼を言いたかったのだが、
「ありがと……う?」
「どうしたのキョンくん?」
 振り向いた先には、顔面のすべての筋肉を停止させた俺に、口元に指をあてて桜文鳥のように首を傾げ――何故か何故か何故か、
「おまっ、なんつー格好してんだよ、みくる!」
 メイド服を着て俺比で三十倍は素敵な意味でやばくなったみくるの姿があって、頬が赤くなるのも思わず突っ込むのも我慢できなかった。  
 突如としてコスプレ趣味に目覚めたのか。それともご奉仕活動に目覚めたのか。後者のほうが大歓迎だぜ、と心の中でサムズアップをかます。――そんな風にあたふたてんぱっていた所為だろうか。部室の中の空気が俺の一言で妙ちくりんなものに変化していた事に気がつかなかったのは。
 その空気を全身から放出しているのは一人だけ離れた机になぜなぜどうしてか文芸部室に主のように居座っていた涼宮で、
「ちょっとキョン! あんたなにみくるちゃんのこと呼び捨てにしてんのよ!」
 がっぼーんと勢いよく立ち上がり不機嫌顔で睨みつけてきた。
 今日は異常に「何故か」とか「どうして」を使用する日だな。この分じゃ暫くこの二言は禁止にしないとストックが尽きてしまうぜとどうでも良いことを考えつつ、どうして涼宮にんなこと言われなきゃ分からない俺は何故か桜餅みたいな顔をして慌てているみくるに目をやって、
「呼び捨てもなにもだな、俺とこいつの仲じゃそれが当たりまえだろうが。な、みくる?」
「ふぇぇっ!?」
 更にみくるを慌てさせてしまったようだ。
「あ、あの、あのね、キョンくん。あたしたちはお友達で、わーわー、涼宮さん! きっとキョンくん寝ぼけてるんです! あたしたち何にもないです!」
「何言ってんだ。毎日一緒に登下校してんじゃねえか」
「ひゃー! き、キョンくん、目を覚ましてくださいぃ。一緒に帰ったことは何度かあるけど、毎日だなんて、あ、す、涼宮さんだから違うんです! も、もうキョンくんったら! 何言ってるんですか!」
「何か言ってるのはお前だろ? ほら、落ち着けよ」
 半べそをかきながら腕をぶん回しているみくるの頭に手をのっけて、ぽこんぽんとする。
 ちっこい頃チャリンコでこけて泣いているのを宥めるときに良くしてやったやなーと感傷に浸って、思わず苦笑がもれた。まったくしょうがねーなーという類のもんだ。
「ひゃ、あ、あわ、わわ……」
 だとういのにみくるときたら信じられないものを見たという表情で、体をふるふる震動させてまだ真っ赤な顔で半べそ続行中である。
 むむう。どっか体の調子でも悪いんだろうか。けったいな格好といい難儀だなまったく。
 やれやれと鶴屋推薦のお決まりのポーズを決めて、ふぅ、と溜息を吐く。おでんっ子に会わせる約束もあることだし、今日はこのへんで帰宅するのが良いだろう。
「もう帰ろうぜ? 今日は俺ん家来る約束だろ?」
 おかしなことを言った自覚はないのだが、みくるは「わひゃう」というなぞの声とともに頭から湯気を吹き上げてくてんと脱力してしまった。
 どうやら本気で調子わるいんだな、とメイドな幼馴染をとっさに支えてやったあたりで、いい加減部室の空気がカオスもいいとこになっていた。
 古泉が額に汗をたらしながら胃腸のあたりを押さえている理由と、まわりが騒いでるだけで恥ずかしくなってしまう長門が無表情な理由と、涼宮が閻魔か般若かナマハゲかっつうくらいブチ切れた怖い顔をしている理由を知っているやつがいたらすぐ来てくれないだろうか。
 人生で一番の悪行といえば子供のころはしゃぎ過ぎて公園の水道の蛇口をぶっ壊してしまったくらいなのだが、今すぐにでも死刑宣告アンドレッツ執行されそうな雰囲気である。
 裁判官というよりは異端審問間のような身のこなしで涼宮が口を開き、
「……キョン?」
「何だよ涼宮。変な顔してからに」
 俺の言葉に「ひぐぅ」と泣きそうな表情を浮かべつつも、
「このアホ! 馬鹿! 特大馬鹿! 痴漢! スケベ! 変態やろう! 人でなし! 鬼! 悪魔! 包茎! 童貞! 童貞なのかしら……? うがぁ! この巨乳ハンター! しんじゃえ! むしろ殺す! 今すぐ殺す! おばかーっ!」
 いや実際に泣きつつ激怒するよいう器用な技を披露しつつ、そんなもんあったかなぁというパソコンの本体ケースを恐るべき速度で放り投げてきて、
「ぬふぅ!」
 みくるに怪我させるものかと体で庇ったおかげで、脳天に雷が落ちたかのような衝撃を受けた俺は気絶に一直線を決めた。
 ……最近気絶しすぎだろ俺。
 脳挫傷で死ぬ日も近いなと物騒な予想に戦慄する脳裏では、お花畑をスキップする死んだばあちゃんの姿があった。
 あ。今死ぬんすか、俺。簡便してもらえまえんか? 駄目? 無理? そんなこと言わずに……どうか一つ頼みますって。とかなんとか誰かとやりとりしてるうちに完全に意識は途切れて、今更ながら何故どうして俺は文芸部室に居たんだろうという疑問を覚えるのだった。
 こりゃ一週間は何故とどうして使えないな。
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by kyon-haru | 2006-06-12 16:28

長門が野良犬にめちゃくちゃされる話~USO~

 今まで食ったパンの枚数を覚えていないのと同じように、SOS団の活動内容の一つに「悩み相談」というもんがある事などすっかり忘れていた。
 喜緑さんの海藻類みたいな髪型とカマドウマ部長の顔をぼんやりと思い出しつつ、相談に来た女性徒と相対しているハルヒの上機嫌さにうっへりと肩を竦める。
 また何か主に俺が疲れる厄介ごとが巻き起こるんだろうな。この女生徒はお前のお友達かと長門に視線で問うが、ふるふると首を振るばかり。
 ならば阪中みたいに普通の少女なんだろう。出来うることなら相談事も普通であって欲しいもんだ、という俺の願いはしかし、
「あの……わたし漫研に所属していて、もちろん漫画を描いているんですけど……どうしても書けないシーンがあって」
「それを描くのをあたしたちに助けて欲しいってことね! で、どんなシーンなの?」
 少女は俺と古泉に視線を巡らせ、真っ赤になって俯いて、
「ゲイの二人が絡むシーンなんです……」
 とっても腐ってる発言を消え入りそうな声でぼっそりと。
 脊髄反射で体中を駆け巡る絶望感に第二宇宙速度で部室を脱出しようとしたが、衝撃を感じた瞬間には長門に捕らえられていた。
 宇宙的パワーを発揮しているのか、そのちっこい手はびくともしない。ぎりぎりと肩に食い込む指の向こう、長門も目も腐っていた――戦慄。
「――大丈夫」
 何が大丈夫なのか。何が大丈夫なのか。何が大丈夫だっていうんだてんめえ!
 いやぁ! 助けて! おかあさん! と命乞いをする俺などお構いなしにハルヒはどーんと胸を叩き、
「そんなのお安い御用だわ! キョン! 古泉君! そういうワケだからちゃっちゃとゴー!」
「任されました。特別濃いのをお届けしましょう」
「え、ええっ! 引き受けるんですか!? そこで泣いてるキョンくんの意思はっ!?」
 女神かと勘違いしてしまうような慈悲深い朝比奈さんの肩をぽんと叩き、儚げに笑い、
「そんなこと言っちゃって……みくるちゃんだって嫌いなワケじゃないでしょうに。ね?」 
「……えと、ええ、でも」
「ほら。想像してごらんなさい? いっつもツンケンしてるキョンが無理やり体を開かれて羞恥と快楽に顔をゆがませている姿を」
「……ぜ、ぜひ協力しましょう!」
 腐った道に引きずりこんでいた。
 ――どうやら、とことん世界は俺に冷たいらしい。
 ケツの穴に世界の終わりの先端が触れたあたりで、俺は意識を手放した。

  
「寡黙な女の子が野良犬に獣姦されるシーンも描けません……」
「というワケだから有希、ちゃちゃっとゴー!」
「…………え?」

 …………
 ……

 長門と二人でお互い慰めあいつつ泣きながらカレーを食い、翌日のこと。
 部室で再び長門と二人で古泉をオクトパス殴りの刑に処していると、控えめに部室の扉が開かれた。
「あの、僕、漫研で、あの、その、どうしても描けないシーンがあって」
「帰れ!」
「ちょっとキョンうっさい。今度は男なんだから昨日みたいなことにはならないでしょ。大丈夫よ」
 ハルヒの言う事を信じるなど愚の骨頂だが、俺はミリ数秒で頭のCPUをフル稼働させてここは納得しておくことにした。
「……良いだろう」
 昨日は女子だった。なので、ゲイの二人が絡む。
 今日は男子である。つまり、レズの二人が絡む。
 そしてわが部には腐った輩かつ心にキズを負っていない女子が二人おり、これは「ぐふふ堪らん!」な事になるに違いないという寸法だ。
 もしその時になったらこのアホンダラ漫研の野郎と古泉には部室からご退場願うことを決定事項にしつつ、今回のシーンについてに耳を傾ける。
「で、あんたはどんなシーンが描けないわけ?」
「ええっと、そのう……」
 ボケは――何故か俺に視線をやり、恥ずかしそうに俯いて、
「好きな相手に恥ずかしさからいつもつっけんどんに当たってしまう人が、ついに自分に正直になって想いを告げるシーンが描けません……」
 何だかゲイとかレズとか想像してた俺がバカなんじゃないかと思うようなピュアなことをおっしゃりました。
「き、清い! 清いよ君! 帰れとか言ってすまなかったな!」
「あ、はい。えっと、気にしてないです。大丈夫です」
「うんうん。礼儀も正しくて好青年だな。……だが、すまない。残念なことにうちの部にそんなシークレットラブを胸に秘めた人間はおらんのだ」
 だから協力できない。爽やかに青年を送り出そうとすると、何故か「えぇ?」という疑問の声が上がった。
「何が”えぇ?”なんだよお前ら。本当にいないだろうが」
「き、キョンくんあたしまでお前って……うぐしゅっ、ぐすっ、あ、あの、居るんです。居るんですよ、キョンくん」
「はぁ、……で、ソイツは一体誰なんすか?」
 腐った朝比奈さんはぐしゅぐしゅしながら……ハルヒを指差した。
 こ、これはとんだお笑い種だぜ! ハルヒがそんなエロゲーに出てくるツンデレ少女みたいな! がははは!
 あまりにもあんまりな朝比奈さんの目の節穴ぶりに腹筋を爆裂させていると、何故かハルヒまでもが顔をぐしゅっとさせ、


「キョンタン、好きです!」
 やおらそう叫んだ古泉を本気で殴り飛ばしていた。がははは!

 …………
 ……

 古泉の顎が複雑骨折して、俺の腹筋が攣ってピクピクし始めたころ。
 このカオスに普通にドン引きしている好青年が哀れになってきて、マジお帰り願おうと思ったのが、
「まちんしゃいキョン!」
 顔をぐしゅっとさせたままのハルヒに呼び止められた。
「んだようっせえな。朝比奈さんの目は節穴だったんだから、お前かんけーねーだろ」
「かかか、かんけーあるもんね! キョンもかんけーあるもんね!」
 何でこいつこんな喋り方してんだろうか。
 ていうか待てよおい。お前と俺が関係あるって……まさか朝比奈アイは節穴じゃなく、しかもそのハルヒのシークレットラブの矛先は、

「ず、ずっと好きだったの! あ、あ、だから、あ、あたしと付き合ってください!」

 ハルヒはぐしゅぐしゅのみっともない顔で、腹のそこから声を張っていた。
 ――なんだなんだ、そういうことだったのかよ。ちくしょうめ。
 俺は曖昧に頷きだけを返し、何かやたらめったら感動している青年を部屋から送り出した。良い漫画描けよ。
 パタン、と扉が閉じられ、部室にはSOS団だけが取り残される。俺は半べそでふるふるしているハルヒの肩にぽん、と手を置き、

「さすが団長だぜ! あの青年の願いに答えるために一芝居うったわけだな! アカデミーもんだったぞ!」

 渾身の笑顔を浮かべ、逆の手でサムズアップしてみせた。
 うんうん。なんて清いんだ古泉以外。ほんの少しでもまさか本当に俺のこと好きなのかとか思ってしまって申し訳ないったらないぜ。 
 ハルヒは何故か脳天に雷をくらったような顔をし、それからうずくまってえぐえぐ泣き出してしまったが、自分でそれだけ感動する演技だったんだろうな。
 ふう、喉が渇いた。朝比奈さんお茶くださいと言おうとしたら、ものすごい目で見られていたのに気が付いた。

「ほ、ほんまにキョンくんのフラグクラッシュはハンパないでしゅ!」

「何いってんすか?」
「あ、えー、なんでもないです。うふふ。日ごろの行いって大事ですよね」
「……これは演技でなくて本気。私と付き合ってください」
「いいけど、何処にだ?」
「……ほんまにハンパないで!」
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by kyon-haru | 2006-06-11 21:50