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春雨

 春雨というのだろうか。春に降る雨の事を。
 そんなくだらないことを考えていた所為だろう……少し腹が減ってきた。
 いや、かなり減った。ぐぅ、なんて漫画的効果音だと思っていたが、本当にそういう音がした。俺の腹から。
「――」
 ちらりと長門を見やる。どうやら紙上の御伽噺は佳境のようで、視線にもページを捲る手にも随分と熱がこもっている。
 そんな長門の変化を見抜けるのは俺くらいだろう――見抜けても、腹は膨れないが。
 どうやら、今しばらく部活終了まで時間があるようだ。
「――」
 内臓が満たされるのなら心を満たそうという算段で朝比奈さんを見やる。
 いや、見やれない。至上の天使は本日は体調不良でお休みされているのである。
 変わりに古泉がお茶組係を担当しているので、明日の朝のクソはかなり快調な予感だ。
 そんな古泉はクソの肥やしを笑顔でテキパキと用意し、俺に差し出した。要らん、と突っぱねる。
「……」
 プリンでももってねぇーかなぁ、とハルヒを見やる。
 ちょうどプリンを旨そうにかっくらっていた。思わず精神病にかかりそうな笑顔だった。
 プリンひとつでお安い幸せ。羨まし過ぎて、また腹が鳴った。
 なにか、前向きなことを考えよう。そう、晩飯は何だろうか――だが、そう想像をめぐらせる俺を嘲弄するかのように、時計の短針はケツを蹴っ飛ばしてやりたくなる勢いで「5」の辺りをうろちょろしている。
「……」
 春雨、食いたいな。
 窓の外。雨は止みそうになかった。
# by kyon-haru | 2006-05-07 02:30

誰かの厄日

「キョン、ちょっと話あるから残ってて」
「厄日か」
 古泉君にまぁまぁと肩を叩かれて、キョンは俯いて溜め息を吐いている。
 失礼もここまで来ると何だかすがすがしくて、怒る気分にならない。
 何でかしら。あたしの心が月の静かの海より広いからね。器量の良い女はもてるのよ。
「じゃあな、長門、古泉」
「ええ。お先に、涼宮さんも」
「……また」
「ばいばい、二人とも」
 意味ありげな目線の有希の肩を、また古泉君が叩く。
 将来しけた会社の中間管理職になったら怖いタイプね、と思考転換。
 何で有希があんな目をしてたのか、なんとなく――知るか。
「で、何の話だ」
「あたし、傘忘れた」
 キョンはバナナのむき方を知らないサルを見るような目であたしを見た。
「本気で言ってるのか」
「嘘ついてどうするのよ」
 そっぽを向きつつ、だから、とあたしは言った。
 アンタの傘が雨を遮断する面積の半分、あたしによこしなさい。
 何でそんな変な言い方になってしまったんだろう。あたしにとって素直は酷い生理より強敵だから。 
「まぁ、構わんが……途中のコンビニで、ビニル傘でも、」
 疾風怒濤でその先を遮る。頬が赤くなっていないだろうか。
「財布も、忘れたわ」
 今度こそキョンは絶句していた。
 それでも――たっぷりと十秒間固まってはいたけれど――最終的には、
 やれやれやれやれ、だなんてちょっとやれ多すぎよ、一緒に帰ってくれた。
 ゆっくりと歩き、キョンは左肩を濡らし、あたしは濡れずに、たわいないおしゃべりをしながら、家まで。
「……たまには役に立つじゃない」
「やっぱり厄日だった――じゃあな」
 風邪ひくんじゃないわよ――! と言いたかったのに、ありがとうとあたしの口は呟いていた。
 傘をぐいっと天に掲げてキョンが返事をする。背中がいいってことよ、と言っていた。
 全然似合ってなかった。

 余談だけれど、今日は早朝から雨が降っていて、あたしのお昼は食堂だった。
 ……だからなんなのよ?
# by kyon-haru | 2006-05-07 02:29

わたしはぼくになる。


 昨日の戦いはあんまりにもあんまりだった。
 ……あの人が体調不良で部活を休んだというだけで、特大の閉鎖空間発生だ。
 彼女が彼に対して恋愛感情を抱いているのは良い。良いけれど、ここまでのめりこむとなると不味いのではないだろうか。
 低下の一途を辿っていた閉鎖空間発生率が、最近は急増している。
 疲れた体をベッドにぶちこんだのは、確か夜中の三時で――現在は七時前だ。
 三時間と少ししか眠れていない。けれど、それでも学校を休むわけにはいかない。
 彼女の監視も重要な任務の一つだからだ。それも自分のようにかなり近くに居る人間にとっては。

「――ふう」

 顔を洗い、歯を磨く。適度に髪を整えて、簡単な朝食を取る。
 そして――パジャマを脱ぎ捨てた。
 現れたのは、歳相応にふくらみと丸みを帯びた胸。くびれたウエスト。ひょろりとした痩躯。

「……」

 無言でさらしを巻いていく。最近、とてもきつくなってきた。
 そろそろ限界かもしれない――僕を演じるのにも。
 しかし、構いはしない。その時はまた、別の不思議な転校生が現れて、”僕”は二度目の転校をするだけだから。

「……」

 鏡の中には、自分で言うのもなんだけれど、 ほっそりとした顎のラインの、なかなか可愛い顔があった。
 薄い唇が魅力に欠けている気がして、どうしてか悲しい気分になる。
 そんなことは考えるな――無理やりに自分を誤魔化して、なれた手順で特殊なメイクを施した。

「……」

 そして、制服を着込む。男子用の、制服を着込む。
 ……股間のところに、少しだけ詰め物をいれる。ここまでしなくて良いと思う。
 セミロングの髪をゆってまとめ、鬘をかぶる。夏場はムシムシしてたまらない。
 咽に特注の咽ぼとけ型変声装置を装着する。アルトソプラノのオクターブがいくつか下がる。

「……」

 鞄を手に持った。
 最後に、25センチなんて、殆ど義足に近い冗談みたいなシークレットシューズを履く。

「……行って来ます」

 行ってらっしゃい、という声はない。  
  

「おはようございます。今日は――いえ、今日も良い天気ですね」


 そうして今日も、わたしはぼくになる。
# by kyon-haru | 2006-05-07 02:28

みらくるパパ


「あ、キョンくん」
 きてくれたんだぁ。と満面の笑みを浮かべた朝比奈さんが教室に入ってきた。
 歩を進めるたびに夕焼けに照らされた栗色の髪がふわりと揺れる。
 来てくれた、だなんて謙遜と心配のしすぎですよ。あなたの頼みなら火の中水の中はたまた過去未来。
「うふふ、ありがと」
「いえいえ、……それで話っていうのは?」
 朝比奈さんは軽い足取りで俺に近づいて、ひとつ息を吸った。
 上目遣いの瞳には決意めいたものがある。真剣な話だと悟って俺も心を引き締めた。
「あのう、実は……」
 朝比奈さんは体の前で指をもじもじと組みあわせ、瞳を揺らしてから、

「あなたは、わたしのお父さんなんです」

 きっぱりとした口調でそう言った。
 ――ホワイ?

「あの、えーと、冗談でなければその、つまり?」
 軽い沈黙の後、俺はこめかみを押さえつつまさかなぁと思いつつ、未来からやってきたオサセなキューピッドに真意を確認してみた。
 だがしかし朝比奈さんはその愛くるしい顔を夕陽以外の何かにも茜色に染めて、
「――パパ」
 雨にうち濡れた捨てられた子犬みたいな瞳であーあーあー反則ていうか犯罪だろコレ。
 今すぐにでも穴を掘ってそこに隠れ頭をガンガンやりたい衝動に駆られながら、舌足らずな甘い声がパパとつぶやくたびに蕩け沸騰しそうな脳みそに活を入れる。
 落ち着け落ち着け!
「朝比奈さん、いや、あなたが未来人だっていう事は知っていますし、いまさらなんのこうの言うつもりもありませんけれど、あとそれじゃあママは誰なのかなーじゃなくてですね、」
「そんな、苗字じゃなくてみくる、って呼んで。パパ」
「うわーうっひぃ! いやいやそうじゃなくてですね、いやもうなんと言っていいのか……」
「パパぁ……」
 お願い、と。しととに濡れた瞳。
「みくる!」
 何かとっても大事なものが爆発するように四散した俺は、思わずみくるを抱きしめていた。
 年上の娘の髪の毛から漂う芳香に酩酊しつつ、(省略されました)
# by kyon-haru | 2006-05-07 02:27

●<その2ですよ!

 猛烈な空腹感に無理やり意識を覚醒されて、昨日は晩飯も風呂も全部すっ飛ばしてしまった事に気がついた。おまけに服も着替えてないわ課題もやってないときたもんで、今日一日が最低な日になることが早速決定されてしまった。
「サイテーすぎる」
 律儀にアラーム音を奏でてくれる携帯を操作しつつ、起き上がる。
 やれやれと口をついて出た言葉は俺の今の心境を的確に表していて、そのサイテーの源はというと、
「だ、だめよ……まだダシが……むにゃむにゃ」
 季節はサツキだというのにお春真っ盛りの笑顔の寝顔で、どんな夢見てるんだコイツとお脳の中身を心配させるような寝言を呟いていた。

 ――ベッドの中の俺の隣で。

 きゃあいやーん! とはこういう場合男の台詞としてどうなんだと自分でも思うが、とにもかくにも朝で元気な息子さんを手で庇った俺は、
「何で夢じゃないんだよ!」
 最後の最後の儚い希望を打ち砕かれた悲しみが怒りへと転じ、本人いわくりょーこをころころ転がしベッドから追放してやった。
 あんな奇想天外の枠を飛び越えた出会いをしなければ淡い恋の一つでも感じたかもしれない端整な顔立ちは、立派な眉毛を痛みに顰め、
「こんぶっ!」
 どすんむぎゅ。 
 打ち所が良かったのか手足をピクピクさせ出した。
 流石にやり過ぎたかな……という心配は「ぐーすかぴー」という冗談のような寝息が杞憂に終わらせてくれて、だがしかしこれだけして目を覚まさないのもある意味どうなんだという新たな心配を一つ増やしてくれたというか、もう俺も自分で何を言っているのかよく分からない。
 つまりこうやって混乱するくらいに昨日の出来事は奇妙奇天烈だったのだ。
 鼻ちょうちんをこさえた少しだけ悪戯したくなる寝顔を見つめ、
「……マジ、どうすんだよ、これ」
「すかぴー」
 朝っぱらから俺は盛大にため息を吐き出した。
 精霊とか何とか言っていたような記憶があるが、普通信じられるかそんなもんな自己紹介も、人語を操る食物もといおでんを見て食ってしまっては鼻で笑って否定することも出来ず。
 五十歩ほど譲って精霊だと認めて、けど認めて何が如何なるというワケでもなく。
 シンプルに一人の身元不明の女の子として警察に突き出して解決するような問題とも思えず。
「き、きんた……じゃなくて……きん、ちゃく……」
「……」
 今現在分かっていることと言えば、こいつがアホの子で、おでん大好きで、悔しいがちょっと可愛くて、隣で寝ていたのは俺があのおでんを食ってしまったからだということ。
 そして、
「顔が油っぽいな……」
 俺がとりあえずシャワー浴びて制服着がえてトイレに行きたいということだった。

 ………………
 …………
 ……

 びばのんのサッパリぶるるっとそれらを終えて、さて部屋に戻ってあいつを叩き起こしてこれからどーすんだと大論弁大会開催と行きたかったのだが、近所でも評判の勤勉真面目学生である俺は今日も学校に行かねばならず、そうなるともう適当に飯食って家を出ないといけない時間であった。
「キョンくーん、早くしないと遅れるよー」
「おーう」
 食卓に座った歳の割りに子供っぽ過ぎていろいろ大丈夫なのかな、と俺を心配させてやまない姉に返事を返しつつ、その姉が用意してくれたトーストにバターを塗りたくる。
 がぶっと齧り口に咥えてさぁ登校――なんて古いアニメのようなことはせず、コーヒー片手に普通に平らげた。目玉焼きやサラダの類が無いのはご愛嬌で、朝食はそれで終了だ。人並みな朝食は美代子さんが作りに来てくれる日しか食すことは出来ない。
「ごちそーさん」
「はーい。おそまつさま」
 本当におそまつでござるとは言えない俺も料理なんて出来るはずがなく、一体全体うちの両親は何を考えて揃って長い事家を空けるなんてことしてくれているんだろうか。
 大の男が単身赴任くらいで死ぬワケがないだろうに、と心中で愚痴をこぼしたところでタイムリミットである。
 部屋に戻った俺は両方の穴から鼻ちょうちんをこさえている物体を極力視界に入れないように苦労しながら時間割を済ませ、カバンを引っ掴んだ。課題は……まぁなんとかなるだろう。
「行って来ます」
「いってらっしゃーい」 
 午前は休講な満面の笑顔に送り出され、憎いくらいの晴天の下へと繰り出した。 
 最近チェーンがへたってきたチャリに跨り、さぁこのままレッツゴーといけたらどんだけ楽かとつくづく思うのだが、悲しいかな嬉しいかな、毎朝荷台にはちょいとした荷物を乗せねばならぬのである。
 その荷物を受け取るためお隣さんのチャイムをピンポーンと押して数秒で、インターホンから艶かしい返事が返ってきた。
「おはよう、キョンくん。毎朝ありがとうね」
「おはようございます、みちるさん。ええと、お礼を言われるようなことじゃないですよ」
「うふふ。ありがと。今着替えてるところだから、もう少し待ってあげてね」
「了解です」
 このお声が聞けるから毎朝頑張れているんだろうね。
 というぐらいに俺の耳をやさしく慈しみ癒してくれるボイスがこの後、
「みくる! モタモタしてキョンくん待たせるんじゃないの! さっさとしなさいこのボケ!」
 難波の金融王もかくやというぐらいに恐ろしいモノに変貌することになるのだが、その声を発している時のお顔を思い出したくないので故意にスルーである。
 風のうわさでは「泣く子も殴る悪鬼羅刹」とかいう二つ名のレディースヘッドだったらしいのだが、……それを否定して良いものか納得して良いものかと悩んでいると、
「お、おはよう、キョンくん」
「おっす、みくる」
 見た目だけは色んな意味でお姉さんと瓜二つの幼馴染が、朝っぱらから名前が赤く表示されてるくらいに瀕死な様子でよちよち歩いてきた。
 家事も勉強もそこそこ出来るというのに如何せんどんくさいこいつは、勿論体育は万年イチで、こうして毎朝お姉さんに本気でケツを蹴っ飛ばされないとブッちぎりで遅刻してしまうのである。
 しかも、だ。
「ごめんね毎日毎日……練習してるんだけど」
「気にするなって。その代わりにってみちるさんに弁当作ってもらってるし」
「それもほんとはあたしが作らないといけないのに……うぅぅ」
 景気が悪そうな顔でめそめそ俺のチャリの荷台に腰掛けるこいつは、何を隠そう高校生になっていまだに自転車に乗ることが出来ない。
 冗談と笑うやつが居たら朝比奈邸のガレージを見てみると良いぞ。補助輪がついた大人用自転車という非常に珍しいものを見ることが出来るからな。
 そんなワケで俺は毎朝みくるをケツに乗っけてチャリ登校するという苦行を強いられているのだが、主に辛いのは足回りだけでお楽しみもある――とか何とか意識すると前かがみになってしまうので、今のうちに丹田に気合を集中させておこう。
「忘れものないか?」
「ううん。大丈夫。キョンくんこそ、大丈夫?」
「いろいろあって課題をやってない」
「そうな……え、えぇー!?」
 めそめそ一転「だめじゃないのもう」とぷりぷり怒る姿を見ていると谷口が俺に本気でぶち切れる理由にも納得だが、
「写させてくれるよな? な?」
 ノーと言ったら盛大に遅刻してもらうぜ。
「うぅぅ……みなさーん、悪い男がここにいますぅ……」
 ぷりぷり一転まためそめそしだしたみくるにしっかり捕まってろよ、と声をかけていざ出発である。良かった良かった何とかなった。
「もっとしっかり捕まっとけよ!」
「う、うん、や、ちょ、キョンく、はや、ひゃー!」
 腹に回された腕にきゅっと力が篭って背中に凶悪な弾力を感じた瞬間に、丹田の気合が跡形もなく吹き飛んで、最初からトップスピードで漕ぎ出さないとどうにかなってしまいそう――なのは言うまでもないな。

 ………………
 …………
 ……

 今日の弁当のおかずはなんだろうな。全体的に洋風にしてみたって言ってたよ。ほうそりゃ楽しみだ。
 なんて他愛無いにもほどがある会話を交わしつつ、チャリ漕ぎというスポーツのはしくれで煩悩を退散させていると、あと地獄坂までもう半分といったところで国産車では醸し出せない独特の重低サウンドが背後から近づいてきた。
 古いアメリカの大統領の名前を冠する高級車は上品に聞こえるのは俺の耳が貧乏だからだろうね、という小さめなクラクションを一つ鳴らし、いったい幾らほどの値段差があるか想像もつかないチャリを追い抜くくと十メートルほど前方で停車する。
 パワーウィンドウが開ききるタイミングでその横に到達し、同じく停車して、
「二人とも今朝もラブラブ登校なんだねーいいねいいねーやけるねぇ」
 にょろっと顔を出したクラスメイトは毎度元気に聞き捨てならないことを言う。
「おはよう、鶴屋」
「おはようございます、鶴屋さん」
「おいっすー! 二人とも元気? わたし? わたしは今日もめがっさ元気だよっ」
 それだけ元気なら俺たちのような庶民を見習って自転車通学しやがれ。
 それとだな、というかコレが毎回の俺が言いくて堪らない台詞なんだが、
「ラブラブなぞしとらん。……と突っ込むのももう疲れたから、次からはスルーするからな」
 なぜか背後からとほほと遣り切れないといった気配を感じ、どういうわけか停車しているというのに胴に回された腕がきゅっと力を込めた。
 それを目ざとく観察していたにょろにょろ娘は天晴れとさわやかに笑い、
「あははっ。みくるは素直なのに素直じゃないねー。それじゃわたしは先に行ってるから、二人とも遅刻するんじゃないにょろよっ!」
 にょろよーにょろよーにょろよー、とやけに耳につくエコーを残しながら軽やかに去って行った。
 エンジン音より耳に残るだなんてどういう声帯をしているんだろうかとくだらない事を考えつつ、発車する前から準備万端な幼馴染に一声かけてから、こちらも出発である。
「……」
「……」
 で。
 なぜか無言である。タイヤが回転する澄んだ音が響くばかりで、何も会話が無い。
 そりゃ二人ともあまりべらべらお喋りするタイプじゃないが、……分かってるさ、なぜかだなんて言ったが、毎度ああも直球にラブラブだの夫婦だのバカップルだのからかわれては意識するなと言われるのが無理な話で、つまり気恥ずかしくって口を開くことが出来ないのだ。
 顔を合わせていないのに体は密着という妙なシチュも影響しているのかな、なんて酸素消費の増大以外の理由で心臓の鼓動をちょいとばかし早くさせながら、結局決まって先に口を開くのは俺の方なのだった。
「みくる。……みくる?」
「あ、な、なに? どうしたの?」
「お前さ、あーいう登校どう思うよ?」
 それが鶴屋のことを指しているんだという事に気づくのに暫くかかったようで、若干の間を置いて、
「……ちょっと羨ましい、かな。車ならキョンくんも疲れないし」
 えへへ、ごめんね。としょんぼりした声でみくるは締めくくった。
 やれやれとは声に出さずに呟いて、俺は鼻から息を出し体の力を抜き、アホ、と前置きをする。
「どんだけお前をケツに乗っけて走ったと思ってるんだよ。やれ学校だやれお遣いだ。最初はバテバテだったけどな、今じゃ競輪選手を目指すのも良いかなってぐらいには楽勝だぜ」
 それになにより。
「……あんな高級車に乗ったら緊張で余計疲れる」
 俺の言葉にみくるは暫く呆気にとられたようで、捕まる腕の力がふわっと緩んだ。
 そのままずるずると落ちてしまいそうな気配を感じた俺は自転車を慌てて停めて、
「みくる?」
 そう声をかけて後ろを振り向こうとしたところで、再び腕に力が込められた。
 すんすんと鼻をすする音が聞こえて、何なんだよといぶかしむ。やれやれと今度は声に出して漕ぎ出そうとしたところで、みくるが調子を取り戻した。
「あたしもきっと緊張しちゃう」
「だろ」
 鶴屋は金持ちを鼻にかけない良いやつだが、やっぱりどこかがちょっとずれている。逆玉の輿に憧れんでもないが、もしそうなったとしたら息苦しさにすぐにまいってしまうだろうな。
 だからだ。
「俺にはママチャリで、お前はその荷台がお似合いだよ。……なんか時間くったな、さっさと行こうぜ」
 うんっ、と答える声はやたらめったら元気で、今まで以上に押し付けられた卑怯な弾力に俺は脳内をパステルピンク一色に染めながら、心の何処かで思うのだった。幼馴染じゃなかったらこんなヤツと二人乗りなんて夢のまた夢だったんだろうなと。

 ………………
 …………
 ……

 坂の麓まで来て、どっこらしょっとときたもんだ。
 流石に二人乗りでこの坂を駆け上るのは朝からハードワークにもほどがり、ワーカーホリックでも何でもない俺はみくるを下ろし、チャリを手で押しながらえっちらほっちら徒歩で上る。
 煩悩退散全速前進の割りにはあまり疲れてないわれながらたくましい足腰を少し誇らしく思いつつ、本気を出した蝸牛と良い勝負なみくるの歩調に合わせてのほほんとしていると、
「やぁやぁ二人とも久しぶりだねっ」
 時速数倍の速さで先行したはずのにょろっ子がなぜか後ろからやって来た。
「突っ込んでやらねーぞ」
「鶴屋さん、おひさしぶりです」
 律儀なみくるを再び目ざとく観察すると、にんまりといやらしい笑みを浮かべ、
「キョンくんにしては上出来だねっ」
 どういうワケか俺の肩をばんばんとたたいてきやがった。
 何なんだよおい。
「ふひひ。なんなんだろうねー? ね、みくる?」
「えぇ? う、うーん……じょ、上出来かな」
 口元に指を当てて考えるような仕草をする癖に同調しやがる。何故窺うように俺の顔を見るのか。
 本当に一体全体何なんだよおいおい。
 二人はすっかり意気投合したのか顔を見合わせてうふふえへへと風にそよぐ白つめ草のように笑い合い、
「それが分かっちゃったらキョンくんじゃなくなっちゃうから」
「そういうことだねっ」
「なんだそりゃ……」
 やれやれと肩を竦める俺を見て鶴屋は「いつものでたー!」と何故か喜びはしゃぎ、みくるはうふふと上機嫌に微笑んでいる。
 何がなんだか分からないが、二人が楽しそうなので別に良いかと思う俺は案外フェミニストなのかもしれないと、後で思い返して自分のキャラじゃねーよな薄気味悪くなるようなことを考えていた所為だろうか。
 アホの谷口がさっきから恨めしそうな視線でこちらを睨んでいるのを発見して、一匹の雄として勝利した笑みを向けてやろうと振り返ったところで、
「おはようございます、みなさん」
「顔近っ!」
 何時の間にか背後に忍び寄っていたそいつに気づかず、満面のドアップといきなりご対面した俺は数センチほど地上から浮いて後退った。とっぴな叫び声でさえ中々恥ずかしいというのに、余分な恥ずかしさまで追加されて柄にもなく慌てふためいてしまったのだ。
 それくらいに俺にドアップをかましてくれやがったコイツは、
「すみません。驚かせてしまったようですね。……ですが、そこまでされると少々こちらも傷つくというものです」
「すまん。……あー、なんだ。古泉、おはよう」
「あ、おはよう。いつきちゃん」
「おっはよー!」
「えぇ。改めましてみなさんおはようございます。今日は見事な五月晴れですね。こういう日は賑やかに登校したいと思うのですが、よろしかったら仲間に入れていただけませんか」 
 同い年だというのにやたら丁寧な言葉を遣い、勉強運動パーフェクトな上に委員長まで務め上げていて、如何なる時も終始微笑みを絶やさないこいつは、
「別に構わないぞ。つうか、んなもん断らんでもいいだろ。好きにしろ」
「そうですよ。お友達じゃないですか」
「うんうん。みくるの言うとおりさね。キョンくんの他の男子からの恨みを考えるとごめんなんだけど、あたし友情って素敵だと思うんだよねっ!」
 鶴屋にそういう台詞を吐かせるくらいに、ちなみに谷口的評価AAプラスくらいに、そこいらのやつらとは比べるのが酷というもんだという顔立ちをしているのである。
 ぶっちゃけて顔が近づいただけで俺がどきっとするくらいに美少女なのである。
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えまして」
「言葉以外に甘えたらみくるが泣いちゃうから気をつけてねっ」
「わーわー、何言ってるんですかっ」
「はい。心得ていますよ」
「何故俺を見る?」
「さぁ、何故でしょうか」
「キョンくんは知らなくていいのっ」
「もーおー! 二人ともー!」
 温和な性格で友達も多く、みくると鶴屋とはその中でも特に仲が宜しいらしくこうしてときたま一緒になるのだが、さてこうも女が多いと肩身が狭い。
 二人に弄られだしたみくるを何時もの事だと放置して、ここいらで谷口の無謀という名前の勇気を頼りにして「こっち来いよ」と念を視線に込めてみるのだが、
「――――」
 口の動きだけで「マジコロス」と返された。放送するにはモザイク必須な顔を隣に居た国木田がまぁまぁと窘めているが、お前もこっちに来てくれない時点で俺的友情ランクはガタ落ちだぞこのやろう。
「はぁ」
 友情ってそんなに素敵じゃないと思うぜ鶴屋と心中で愚痴りつつ、ため息ひとつ。
 しょうがなく視線を三人よれば姦しいを体言してやまない方に向けるが、すっかり女同士の会話に夢中で俺は蚊帳の外のである。参加しろと言われても困るし、参加する度胸も意思もないのだが。
 ……まぁ目の保養にはなるか。
 そんな悲しい結論を下して傍観者に徹する俺の頭の中からは、このときおでんの精霊のことなんぞすっぽり抜け落ちていて、その事を後悔するのはもうちょっと後の話になるな。
 もう少しあの鼻ちょうちん娘のことを真剣に悩んでいれば、――あんなことにはならなかったのに。

 自分のモノローグにあえて突っ込ませてもらおう。いったいどうなるんだよ、俺。
# by kyon-haru | 2005-05-22 00:57