涼宮ハルヒはしあわせ 第三話


 終わりのホームルームが終わる。
 岡部が昨日学校の近くに不審者が出たから気をつけろ、と真面目な顔で。
 なんでも例のお嬢様学校の生徒が被害にあったらしい。
 いつにない岡部の態度だったからか、何故か耳に残った。背筋の裏にぞくりという嫌な予感は、気のせいだろう。不審者も何が悲しくて俺のような男を襲うんだ。……男を襲うから不審者なのかもしれないが。
「キョン! 一緒に帰りましょ!」
「帰らない。少し用事がある」
 100ワットから、一気にブレーカーダウンへ。
 あたしよりも大事なとか抜かす前に、俺はハルヒの頭にぽんと手を置いた。
「中庭かどっかでジュースでも飲んで待ってろ」
「う、うん……」
 ころりと変わる表情や態度に、単純なやつだと心内で失笑する。
 ――俺の気もしらないで。
 このまま頭を掴んで机に叩き付けたやりたいという衝動は、理性がおさえ込んだ。
 うっとりとした顔で自分の頭を摩るハルヒを残し、手を洗ってから、俺は部室に向った。

「……っと」
 ノックをしかけた手を慌てて引っ込める。
 何で気を遣わないといけないんだ。それに、アイツの言う分には退部になったのだから着替えてるわけであるまいし。
 チッ。舌打ちする。それを習慣としてまだ覚えている俺の頭や身体に。忌々しい。
「入りますよ」
 一応の上級生に対する礼儀でそれだけ言いつつ、返事もないうちに扉を開けた。はじめから返事を聞くつもりはないが。
 ……それにしても。
 話ならどこでも出来るだろうに、わざわざこの部屋を指定したのは俺に対するあてつけか嫌がらせだろうか。天然役立たず未来人のことだから、そこまで考えてるとは思わないが。
 アンタの無能ぶりに嫌気がさしたんだよ! とでも言ってやろうかと考えていた俺の目に飛び込んできたのが、
「え、あ、キョンくん、やぁ、だめぇ」
 なかなか扇情的な下着姿だった。

「……」
 ――しばしの間、唖然。なんともいえない空気。
「……はぁ」
 沈黙の天使を溜息で吹き飛ばして起動再開する。
 思わず「すいませんでした!」と叫んで部室から飛び出しそうになる軟弱な俺を追い出して、無言で俺はパイプ椅子に腰掛けた。
「うみゅうぅ……」
 下着姿のまま固まって、真っ赤な顔で意味不明言語を呻く未来人さん。
 瞳を潤ませて俺を見つめているが、誘っているんだろうか。んなわけない。出てって欲しいんだろう。生憎だがそうしてやるつもりはもう無いが。
「固まってないでさっさとして下さいよ」
 呼び出したのはそっちだろ、と。机の上に置かれていたメイド服に目をやりながら、呟いた。
 コイツもさっきの俺のように「習慣」に囚われているんだろう。この部屋にきたら着替えて給仕活動しなければならないとかそんなのに。まったく律儀というか馬鹿というか単純というか。
「あうぅ……」
 やたら白くて柔らかそうな肌までほんのり朱に染めつつ、のろのろと動く未来人さん。
 素早く動くことは出来ないんだろうか。着替えるのかと思ったら、メイド服で身体を隠しはじめるし。
「で、でてってぇ」
 俯いて、耳まで真っ赤にして、クリオネが水をかく音のように小さく。
 少し前までの俺ならパブロフの犬の如く言われたとおりにしただろうが、今は苛々するだけだ。早くしてくれと言っただろう。
「どうして俺がアンタの言うことを聞かないといけないんですか」
 言いつつ、上から下まで舐めるように見てやった。視姦とでも言おうか。そんな趣味は無いと想いたいが――しかしまぁ、劣情を抑えるのが困難な体だった。性犯罪者にはなりたくないが。
「――犯されたくなかったら、さっさと着替えて下さい」
 なんなら手伝いましょうか? と笑顔で言ってやったら、かたかたと震えながらも物凄い速さで着替え始めた。途中何度か転んだりしたが。
 ……出来るんなら最初からしろよ。まったく。
 やれやれ、と肩をすくめた。一応言っておくが、犯す云々は冗談だからな。

「……ご、ごごめんなさいぃ」
 着替え終わるやいなや、縮こまってぺこぺこと頭を下げてくる。  
 何がごめんなのか。今までの俺を巻き込んだ騒動の全部か、それとも着替えが遅かったことに対してか。知るヨシもないが、その程度で許しが降りる訳が無いのだけは確実だ。
「ふひゅっ!」
 目を合わせただけで気持悪い悲鳴と共に後じさる。
 俺を見る半べその目には、羞恥と恐怖がごっちゃになっている。だから冗談だってのに……扱いづらいというか、面倒な。
 さっさと話だけ聞いてこの場を後にしたいと言う俺の願いはこのままでは確実に達せられそうにない。
 ――その話の内容如何によっては、頭が狂って本当に犯してしまうかもしれないが、とにかく冗談だと言ってやることにした。
「一応言っておきますけど……」
 びくん、と肩を震わせて俯く未来人さん。
「犯すとか冗談ですから。当たり前じゃないですか」
「ふぇ?」
 意味不明の呻きとともに、頭をゆっくりと上げる。
 あからさまにほっとしたような顔。
 そして「で、ですよねぇ」と小さな笑い、胸に手を置いてはふぅと息を吐いた。天然もここまで来ると脳に欠損があるんじゃないかと思えてくる。
 そんな可哀想な天然さんは俺が呆れているのにも気がつかず、
「あ、お茶淹れますね」
 てとてととコンロの方へ駆けて行き、がたごとと急須やら茶缶やらを弄りだす。
「この前買ったのは……あれぇ?」
 ふりふりと左右に揺れる形の良いお尻を眺めながら、溜息を吐いた。
 どうやらさっさと話をする気は毛頭ないらしい。
 暫くして「はい、どうぞ」と出されてきた湯のみを手に取り――そのまま投げつけてやろうと思ったが、これで最後だと一口だけ飲んだ。
「すご。まず。店で出されたら店長呼んで怒鳴りつけますね」
 本当は悲しいことに美味かったが。
「飲めたもんじゃないです。俺のこと馬鹿にしてるんですか」
 また半べそをかきだした未来人さんは、俺が茶の残りを床にぶちまけると本気で泣き出した。これ以上此処に居る気は無い。付き合ってられない。詰め寄って、俺は不機嫌な声を絞り出した。

「話ってなんですか。いや、一つ教えてくれるだけで良いです。これは”既定事項”なんですか?」
 口ではさらりと言ったが、内心は戦々恐々としていた。
 違うと言ってくれと懇願している俺とそれでも別に良いという投げやりな俺が混在している。
「どし、てぇ……ひどぃ、え、ぐぅ、ひっく、うぅ……ひっく、うぅ」
 恐かった。本当は答えなど聞きたくなかった。むき出しの心臓にナイフを突きつけられているような恐怖感。膝が震えるのを我慢しなかった。
「ひっく、ふぅ、うっく、うひゅぅ……」
 俺は今正常と狂気の境界線に立っている。どちらに一歩を踏み出せば良いのか。
 ぶっ壊れたハルヒの相手などしたくもない。
 それでも俺はしてしまっている。
 その原因は何なのか。俺が弱いだけなのか。それともそうなるように成っているのか。
「ひゅっく、うぇ、えぐ、ううぅ……」
 言ってくれ、早く。アンタの顔も見たくないんだ。泣いてる場合じゃないだろ、えぇ、おい。
「どうなんだよ! おい!」
 怒鳴りつつ服を掴んで前後に揺さぶった。
 小さな頭の真っ赤な顔がぐわんぐわんと揺れ、零れる大粒の涙が散らばって、はじける。
 メイド未来人は嗚咽を大きくするだけで、俺の問いには答えようとしない。くるしぃと呟くだけだ。
 ……苦しい?
 違う。違う違う違う。苦しいのは俺だ。アンタじゃない。何時も何時も苦しいのは俺だった!
「腹を刺されたのも、車にはねられそうになったのも、全部俺だろ!」
 ……どうしてか泣きそうだった。
 一時は楽しかったかもしれない思い出が、今は忌々しい単なる記憶でしかない。
「あ、ぐぅ、えふっ、ごめん、なざいぃ……」
「ごめんなさいで――」
 済むのかよっ! という、言葉を飲み込んだ。
 今はそのことはどうでも良い。今はこれが既定事項かそうでないのか、それだけ知れれば良い。
 それに――

「けふっ、うぐっ、う、けほっ」
 手を離す。青白くなったコイツ……朝比奈さんの顔を見て、少しだけ罪悪感。何も首を絞めるような真似はしなくてよかった。泣き喚かせる必要も無い。ただ、答えだけ聞けば良い。
 それなのにこんな事をしてしまったのは、昨日からハルヒがらみでストレスが溜まっていたからだろう。

 ――つまるところ、俺も既にどうにかしているのだ。

「すいません。俺、どうかしてるみたいです……」
 反吐を吐く気持で謝罪の言葉をひねり出す。
 解放されるや床に蹲った朝比奈さんの肩をそっと抱いて、背中をさすってやった。
 こんなことをした手前だ。嫌がれるかと思ったがそんな事は無かった。
「ううん。ごめんね。ごめんなさい、キョンくん……」
 それどころか、俺に謝る朝比奈さん。分らない。謝られる筋合いはふんだんにあるが、この状況でどうしてそんな台詞が出てくるだろうか。
「私、何も知らない、出来ない……だから、今までいっぱい迷惑かけたもんね。キョンくん怒ってもしょうがないもんね……」
 今日だって、私が呼び出したのにぐずぐずしてたから。お茶淹れるのも下手糞だから。
 と、泣きながらごめんなさいを繰り返す。俺の服をやんわりと掴み、鼻にかかった声で連呼する。
 ハルヒといい、朝比奈さんといい、昨日今日はこんなのばかりだ。
「――」
 何も言うことは無い。朝比奈さんの言うその通りだったし、今更謝られてもどうしようもない。
 ……まぁ、お茶をぶちまけたのと首を絞めた形になってしまったのは俺が悪かったが。
 だからと言ってもう一度謝る気にもなれず、俺は無言で背中を摩るのを続けた。
 本当に、どうしようもない。

「んしょ」
 時間にすれば五分も無かったかもしれない。けれど、酷く長い時間が流れたような気分だった。落ち着いたらしい朝比奈さんは、俺の腕の中からよろよろと立ち上がると、メイド服の裾で顔を拭った。
 俺もならって立ち上がる。とつとつと朝比奈さんが語りだす。
「お話っていうのはね、キョンくんの退部のことと涼宮さんに辞めなさいって言われたことだったの。どっちもいきなりで吃驚しちゃって……」
 あぁ、なるほど。それだけで理解する。
「――つまり、これは既定事項では無いんですね」
「はい。少なくとも私達の歴史とは違います……ついでに言っちゃうと、涼宮さんの力も関係ありません。古泉君がそう言ってました」 
「そうですか。良かった」
 ほっと息をつく。そんな俺を見て、朝比奈さんはぷりぷりと怒り出した。
「良くないです。このままじゃ私たちの未来が……あっ」
 言ってからしまったという顔をする。強張った俺の顔を見てびくんと肩を震わせる。やれやれ。分かっているんだったら言わなければ良いのに。
「――俺の未来は俺が作るもんですから」
 聞きたいことは聞いた。これ以上どうにかなる前に、俺は部室を出た。
 その間際に――本当にごめんなさい――悲しそうな声が聞こえた気がしたが、気にしなかった。
 
 中庭にも何処にもハルヒの姿はなかった。
 そんなに長い時間が経ったとは思わないが、待ちくたびれて帰ったのだろうか。
 そんなことを思いつつ、下駄箱まで来て俺は鼻から息を吐いた。そうだよな。帰ってるわけないな。
「……ふん」
 俺の靴箱の前でハルヒが体育座りをしていた。
 片手にオレンジジュースのパックを握り締めて。
「あ、キョン! 用事はもう終わったの?」
 俺を見つけるやいなや、立ち上がって飛びついてくる。
 新しい玩具を買って貰った幼児のように嬉しそうだ。相変わらず瞳の濁りはあったが、本当にしあわせそうな顔をしている。
 ……あぁ。どうしてだろう。ハルヒの笑顔につられて、俺の顔も僅かだけ綻んでしまった。
 俺の頭もハルヒと同じくらいに壊れてしまっただろうか? それとも既定事項ではないと聞いて気分が良かったのか。分らない。けれど、嬉しそうな奴の機嫌を損ねてやろうという気分にはならなかった。
「待ったんじゃないか? 悪かったな」
「う、ううん。良いの。ちゃんと来てくれたから」
「来ないかも、って心配だったのか」
 だから下駄箱で待っていたんだろうな。靴を履き替えないと帰れない。
 ハルヒは困ったような顔をしながら、少しだけ、と呟いた。
「心外だぜ。俺は約束は守る男だぞ」
「そう、そうよね。ごめんなさい。キョンは優しいもんね」
 約束を守るのと優しいのは関係ないと思うが、まぁ良いか。
「喫茶店にでも寄って日曜日のこと話すか」
「う、うん……」
「……?」 
 おかしいな。喜ぶかと思ったが、何故か歯切れが悪い。おまけに怪訝な顔をしている。
 不思議に思っていると、ハルヒは俺の身体に鼻を近づけて、すんすんと匂いを嗅いだ。
 何してるんだ? と今度は俺がいぶかしむ。
 俺から離れたハルヒはそれまで怪訝だった顔を――眉を顰め、目を吊り上げ、不機嫌にしたと思ったいなや、
「……この香水の匂い、用事って、あの女と会ってたのね!」
 地獄の底から響く怨嗟のような声で、そう叫んだ。
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by kyon-haru | 2006-11-06 05:25


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