朝倉が放課後の教室で居眠りしている――なんて、とんでもなく珍しい光景に出くわしたからだと思う。何時もは絶対にしないようなことを俺はしてしまっていた。軽い悪戯なのに自分で言いすぎな気がするが、これは俺の緊張具合だととってもらいたい。
「……」
朝倉のそばに座り込む。清潔そうな前髪がさらさらだ。無防備であどけない寝顔である。
そんな朝倉に向かってそぉっと、そぉっと手を伸ばす。奮える指先に神経を集中する。
「もうちょい、」
指の先には、なんとも凛々しい眉毛。まゆげ。うん、眉毛だ。
立派である。女の子にしては濃く、形も良く、ふさふさ。非常に立派である。
ちょっとだけ触ってみたくなるだろう、普通。いや普通じゃないか。
でもともかく触ってみたい。ちょっとした好奇心と羨望? である。指触りも良いに違いないし。
「んっ」
――触れる。
ぴくりと、朝倉の口から吐息が漏れた。
まるで赤ちゃんの産毛だった。グッド。何がグッドなんだ。
……ていうかどうして吐息なんか漏れるんだろう? 眉毛にも微細だが感覚があるのは分かるが、眠っているんだぞ、朝倉は。敏感なのか。
「んふぅ」
さわさわさわさわ。
ゆっくりとなぞってみる。うーむ。良い感じだ。癖になりそうである。
朝倉の方も鼻から変に甘い息なんて吐いて気持良さそうである。……どうして? くすぐったいのだろうか。だとしたらこれ以上続けたら申し訳ないな。起こしてしまうかもしれないし。
「すまんな。寝てるところ」
小さく謝って、立ち上がった。結局俺は何をしたんだという巨大な疑問が残るが、良い体験だったのは間違いない。なんだそりゃ。
そして、音を立てずにそっと教室から出ようとした時である。後ろから朝倉のぼんやりとした声が聞こえてきたのは。
「……もっと、触って」
なんだ? もっと触って、とそう言ったのか?
寝言にしちゃあずい分と色っぽい声だったからだろう。
柄にも無くドキリなんてしてしまった俺は、振り向いていた。
「……朝倉」
朝倉は机から身を起こし、虚ろな目で俺を見つめていた。というよりは、ぼんやりと俺を含む周囲の背景と一緒に視界に捉えていたという感じだ。焦点が定まらないというのはこういう事を言うんだろうな。
明らかに起き抜けだった。恐らくさっきの台詞は寝言だったんだろう。寝言じゃないと困る。誰が困る?
「悪いな、起こしちまった」
謝りつつ、あのまま寝ていた方が風邪でもひいて大変だったんじゃないかとも思う。
結果的に起こして正解だったかもな。
「あれ、私、」
ぱちぱちと瞬きをして、朝倉は頭を振った。
まだまだ意識の半分は夢の世界なんだろう。きょろきょろとあたりを見回して、最後に時計を見て驚いた顔をした。
「えーとだな」
傍に行き、忘れ物を取りにきたらお前が居眠りしてて、俺が教室から出ようとした時に起こしてしまった。と状況の説明をしてやる。
恥しいところを見られたな、という風に朝倉は少し俯いた。前髪がふわりと揺れる。
「ちょっと疲れてたみたい」
「そうか」
「起こしてくれてありがとね」
それほどでも。と適当に答えておく。
起こすつもりはなくて結果的にそうなっただけで、しかも寝ている間に軽い悪戯をしてしまっていたからな。
「寝顔、見た?」
「さぁな」
「案外意地悪なのね」
「何のことやら」
寝起きとは思えない晴れやかな笑顔で、朝倉はふぅと息をつくと鞄をつかんで立ち上がった。
見たとも見てないとも言ってない俺の曖昧な返事をどうとったのかは知らないが、あまり気にしていない様子である。いや、助かった。
「学校で何か用事あるか?」
「ううん。どうして?」
窓から差し込む夕陽の中に二人。伸びた影は長かった。人気のない校舎の教室に、熱心な部活の掛け声が届いてくる。おおかた陸上部だろう。熱意のわりにかんばしくない成績が伸びれば良いなと、人事に思う。
「途中まで送ってこうかと思ってな」
良い体験させてもらったし、それくらいしないと罰が当たるってもんだ。
朝倉は僅かの間だけ考えこんで、月見草のように微笑んだ。
「それじゃ、お願いしようかな」